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日田の山間に高住神社がありました

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高住神社は、山の中にポツンとありました。鳥居をくぐり階段を登ると磐座がありました。
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岩を穿ってお堂が建てられていました。辺りには人家も無く、何を願って人は此処に社を造ったのでしょうか。
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こんな岩の中にいらっしゃる神様はどなたでしょう。
切り石を加工して造られた祭殿は、古いものではないでしょう。然し、木で作られていたものが石に代えられたのでしょうから、それなりの時間は経っていそうです。岩は凝灰岩だと思います。
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高住神社という名称から考えると、英彦山修験道の神社ではないかと云うことでした。高住神社とは英彦山北岳の登り口に在る神社ですが、ご神体は豊前坊です。北岳ではなく、北岳の隣に林立する岩山のことです。
江戸時代は英彦山にはあまたの寺社や宿坊があって、明治になるまで神仏習合の拠点だったのです。しかし、明治以降、かっての賑わいどころか、茶店が若干あるばかりです。
文化の破壊とは、こんなことを云うのでしょうか。


この高住神社は凝灰岩の磐座のようですが、他の磐座はほとんど花崗岩でした。
船石権現とか
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神在の大石とか、
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太田宮の磐座とか、
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どれも見事な花崗岩でした
すると、この高住神社の信仰は、磐座信仰とは別のものかも知れません。
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そうだとしても、小屋が建てられていますから、ここに通って参詣する人が沢山いるということですね。山の中に通う強い信仰があるのです。

では、また。

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by tizudesiru | 2018-07-20 20:45 | 350九州神社の旅 | Trackback

丹後半島の籠神社の祭神の交替は倭五王時代とリンクするのか

五王時代の痕跡を求めて、丹後半島を旅しました。
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古代においても大型古墳を築くには、経済力と統率力と技術力と人口密度などが関係してくるはずです。何の権力も経済力も無い地では大型古墳は造れません。
と、云うことで、丹波の国の古代の中心地を見ています。


丹波国のころ、古代の中心地は何処だったのかというと、律令時代は籠神社・国分寺のある国分や府中の辺でした。そこは天橋立の北の浜近くです。(7世紀になって急に中心地になったのではなく、古くから栄えていたのです。)

古代からの中心地に在る籠神社の現在の祭神は、彦火明命、相殿に豊受大神、天照大神、海神、天水分神となっています。

吉佐宮(よさのみや)と呼ばれた頃の主祭神は、豊受大神。天照大神と共に四年間祭祀し、天照大神に続いて豊受大神が伊勢に移った後、天孫彦火明命を祀ったと案内板にありました。
元々の祭神は、豊受大神だったのです。(主祭神が何度も変わったのですね。)
元宮は奥宮真名井神社ですが、何故かごたごたしています。
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「神代の昔より奥宮真名井原に豊受大神を祀って来た」と案内板に書かれていたので、籠神社より徒歩で10分ほど離れている奥宮眞名井神社に行きました。
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奥宮真名井神社が、籠神社の元宮です。

この地の籠神社を守って来たのは海部氏で、大化改新までは「丹波国造家」でした。つまり、大化改新によって国造から「祝部(はふり)」へと変えられたのです。更に、その系譜を残した「海部氏の系図」(国宝)に押された印は、「丹後國印」であることが判明し、丹後国庁に提出して認知を受けたものであることが分かりました。祝部家系図が検閲を受けていた理由は何でしょう。
系図に高貴な出自であると書かれることを畏れたのでしょうか。それとも、海部氏の系図には重要なことは省かれ、公にしてもいいことが書かれていたのでしょうか。

系図によれば、海部直氏の始祖とされるのは「天照国照彦火明命」、籠神社の主祭神です。

天照国照彦火明命は『先代旧事本記』によると、彦火明命=饒速日命であり、天磐船に乗って河内の哮峯(いかるがのみね)に天下ったとされています。
籠神社の伝承と共通点がありますね。では、海部氏も「物部氏」の系譜と云うことでしょうか。
ここは饒速日の神社、石上神宮や大神神社ともつながりがあるのですね。

眞名井神社にも、「天岩船」という磐座が祀られています。

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元々の祭神は、豊受大神でしたね。
元宮は奥宮真名井神社だったと書かれていました。
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眞名井神社は、ちょうど工事中でした。これ以上神域には進みませんでしたので、ご神体の磐座に参拝しませんでした。

もともと眞名井神社には本殿はなく、磐座を直接祀っていました。
現在は、磐座の近くに寄ることも、写真撮影も禁じられているのです。心無い行為をした人がいた為に、このような残念なことになったと云うことでした。

丹後国一之宮・総社「元伊勢籠神社御由緒略記」を見ましょう。

眞名井神社=匏宮(よさのみや)吉佐宮・与謝宮・久志濱宮)
   別稱 豊受第神宮・比沼眞名井・下宮元宮・元伊勢大元宮)

『神代より、奥宮の真名井原に
匏宮(よさのみや)といい豊受大神が鎮座していたが、十代崇神天皇の三十九年に大和笠縫邑から天照皇大神が遷座したので豊受け大神と共に祭祀していた。
十一代垂仁天皇の二十五年に天照皇大神が伊勢に遷座した後、二十一代雄略天皇二十二年に伊勢度会郡の山田原に豊受大神も遷座となった。


眞名井原の吉佐宮は、大化改新まで丹波国造家であった海部氏が、大化改新以降「祝部(はふり)」として守って来た。

天武天皇の白鳳十一年に、海部氏が宮名を「与謝宮(よさのみや)」から「籠宮(このみや)」に改名し、彦火火出見尊を主神として祀っていた。

元正天皇の養老三年に、本宮を奥宮眞名井神社の地から現在の本宮の地へ遷し、海部直愛志(えし)が祖神・彦火明命を主祭神とし、天照・豊受の両大神、及び海神を相殿に祀り、天水分神を合わせて祭るようになった。』


以上が、おおよその縁起の内容です。

眞名井原縁起に書かれていること、意味深ですね

①豊受大神が伊勢に遷る…天照は他所から来た神で伊勢に移ってもいいのでしょうが、豊受大神は本来眞名井原の祭神だから、神が奪われたことになりますね


➁大化改新まで丹波国造家であった海部氏が、大化改新以降「祝部(はふり)」として吉佐宮を守って来た…海部氏は国造家の地位を奪われたのでしょうか。


③天武天皇の時代に、海部氏が宮名を「与謝宮(よさのみや)」から「籠宮(このみや)」に改名したとは、変更したのか、変更させられたのか、どちらでしょう。

④元正天皇の養老三年、奥宮眞名井神社の地から現在の本宮の地へ遷った…丹波国の重要な神社となったのでしょうか?

⑤彦火火出見尊を主祭神としていたが、祖神・彦火明命に主祭神を変えた…祭神を変え、宮地を変える理由があったはずです。


現在に至るまでの間に、籠神社には祭神の入れ替えなどの大変革が何度もあったのです。そこに政権交代が見え隠れしませんか。
神代・古代・大化改新・天武天皇代・元正天皇代と、幾度もありましたね。

その事を伝える貴重な神社なのですね、籠神社は。

神代・古代の変化は、倭五王とリンクするのでしょうか。
祀職の海部(あまべ)氏は、系図では「海部直(アマベノアタイ)氏」となっています。直(アタイ)という姓(かばね)を持っていますから、古代の有力氏です。
大化改新の頃、確かに大変革ですが、丹波国造は黙って従ったのですね。

(余談ですが)
元宮の眞名井神社は工事中でしたので、参詣は遠慮しました。

が、眞名井神社の噂の石碑は見ました。確かに「三つ巴」の神紋がはめ込まれ、元の神紋は替えられていました。

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2013年くらいまでは、「三つ巴」ではなく「籠目紋」=「六芒星」の神紋が彫られていたそうです。イスラエルの六芒星と似ているというので「日本人とイスラエル人の祖先が同じ証拠」という話をする人もいたようです。
(岩手県のヘライ(?)神社でも「六芒星」の神紋を見ましたね。30年前に)

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丹後半島と倭五王との接点を探し続けています。
では、今日はここまで。


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by tizudesiru | 2018-04-17 23:20 | 335丹後半島に古代の謎を追う | Trackback

古代の祭祀場なのか、明見社は

古代の祭祀場 磐座と明見社
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明見社は小さな石祠でした。石祠の北には筑紫平野が広がり、明見社は北斗をここから眺めています。
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砥上山、宮地岳、大根地山、三郡山、宝満山、大城山という信仰の対象となった山々がここからは見えるのです。
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実は、この石祠の横は2mほど下がったくぼ地になっていて、清流が横を流れている十坪ほどの広場があり、磐座が祭られていました。
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この磐座は無残にも砂防ダムと橋がすぐそばに造られていて、いにしえの面影をわずかにとどめているだけですが、今も祭られ守られているようです。
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この磐座の横の橋を渡り、さらに杉林の中に入ると、井樋神社があるのです。
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実に深い森の中に井樋(いび)神社はあるのです。

それは、また明日。


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by tizudesiru | 2017-10-01 21:06 | 287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編 | Trackback


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
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209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
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224樟が語る古代
225 九州の古代山城の不思議
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233似ている耳飾のはなし
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236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
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250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
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257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
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267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
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269彷徨える大国主命
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272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
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279小水城の不思議な版築
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282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
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287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
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302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」

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