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神籠石の水門の切り欠き加工の技術が失われた理由は何か

前回も長すぎました。ですから、神籠石と切り欠き加工についてのみ紹介します。
神籠石はいつ造られたのか

神籠石という名称は、高良山神籠石から使われ始めたそうです。神の神域と列石で囲まれた土地が重なったので、神籠石と列石が結びついたようです。高良山神籠石が知られるようになると、あちこちから「同じような列石がある」と報告があり、いつの間にか「神籠石」という名称が共通語になり、論文でも「神籠石」「神籠石系山城」と使われてきたのです。

その神籠石が急に「古代山城」となり、大野城などより後に造られたことになっているのです。
いつの間にか。


大野城より後に築造という、驚きの急展開!!!?

これまでは、6世紀後半から7世紀初頭に神籠石は築造されたというのが定説でした。大野城より先に築造。


神籠石という名称は、地域に深く根付いています。


幾つか紹介します。

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(女山神籠石の石柱と列石)
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(鹿毛馬神籠石の案内板と列石)
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(雷山神籠石の石柱と列石と水門)

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確かに高度な技術です。
だから、山の上に切り石をきちんと並べるなんて、6世紀後半の九州の技術ではできないというのでしょうか。
これが、統一新羅の技術だとでもいうのでしょうか。そんなことはありません。
5・6世紀の九州の古墳造に既に使われていた技術でした。
なぜか、この技術は後世に伝わりませんでした。この技術が忽然と消えたのはなぜでしょうか。
中央政権が造らせたのなら、古代の技術は失われなかったはずです。


忽然と消えた理由は一つ。後ろ盾の権力が潰れた(無くなった・消えた)からです。
白村江敗戦で九州は大打撃を受け、技術も技術者もバラバラになってしまったのです。それで、古代の石組み技術が消えたのです。


神籠石は白村江敗戦前の権力者の所在地を探る手がかりだと、多くの人が考えたようです。
だから、いけなかったそうです。九州に別の権力があるのは許されないそうです。
研究者が神籠石を無視し続けた理由は、民間の声だったと云うことです。
ホントに、そうですか? たしかに神籠石の論争はほとんどなかったようですが。


誰が神籠石を消したのか? 知りたいです。

知ってどうする? 分かりませんが、「文化庁」らしいです。
神籠石という名称を許さないのは、文化庁だと云うことです。
ホントでしょうか? 次は「文化庁文化財部記念物課文化財調査官」の近藤氏の論考を紹介します。

では、明日。

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by tizudesiru | 2018-03-21 14:03 | 231神籠石築造は国家的大事業 | Trackback

いつの間にか消えた神籠石という名称。消したのは誰?

今年も「鞠智城跡『特別研究』の報告会に行きました。3月18日(日)
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熊本県知事も挨拶に来るという若手の研究者の発表の場です。
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九州歴史資料館の小澤さん(文化財専門職)の発表「石垣構築技術からみた菊池城石垣の位置づけ」は、大変面白いものでした。
福岡県太宰府市・宇美町・大野城市にまたがる朝鮮式山城の「大野城」の石垣と、鞠智城の石垣を比べてみようというものでした。

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大野城の石垣には、崩れやすいとされる「重箱積」という石組み技術が使われています(赤〇部分)が、崩れてはいない。それは、重箱積を斜めにして、力のかかり方を変えているからだそうです。
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更に、逆三角の石組を入れることで、崩れるのを防いでいるというのです。更に、石垣に一本の線を引くように「横めじ」が走るそうです。これは、版築のように一定の高さに石を積み終えて、次の段を積むという工法だったのではないかと云うことでした。
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この技術が麹池城とも共通するかを調べたというのです。

ここで、若干の疑問

白村江敗戦後に、亡命百済人が指揮して造ったという「大野城の百閒石垣」と共通する? そうであれば、同じ百済人の指揮で造ったのですかね。肥後国には石垣の技術はなかった? のですかね。
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「馬こかし」の石垣と「三枝」の石垣、両者は工法・石積・技術などほとんどの点で共通性がなく、全く別の集団が造ったと考えられる。三枝の方は近世以降に見られる石積みと思われるが、表面観察では結論は出しにくい。

朝鮮式山城の「大野城」について、工法を知ることができて面白かったです。
質問させていただきました。

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上の百済の山城の石垣の紹介の時、写真に「切り欠き加工」と思われる箇所が見受けられたので。その事への質問でした。
「百済の石垣の切り欠き加工と思われ里箇所が見られるが、この技法は朝鮮式山城に採用されているのか。神籠石系山城や熊本の大野窟古墳や井寺古墳にはこの技法が使われているが、百済の山城にはこの技術は使われているのか。」

お答えをいただきました。
「まず、写真の切り欠き加工は、実は切り欠き加工ではなくそのように見えるが、小石が入っている。また、百済の石垣には切り欠き加工は見られない。神籠石の石組は、古墳の技術者が造ったと考えられるが、朝鮮式山城より後の時期に造られたと考えている。」
 
そうなのですか!
九州歴博は「神籠石が朝鮮式山城より後の時期に造られた」という見解を持っているのです。それを造ったのは古墳の技術者だと。百済の石組には 切り欠き加工はないそうです。(では、なぜ、何のために、いつ誰が造らせたのか?疑問が膨らみます。)

分かったことです
最近の山城の研究の方向は、古代国家の事業として山城が造られたのは間違いない。従って、神籠石系山城も国家の事業であろう。その築造時期は、白村江敗戦後の朝鮮式山城築造の後であろう、となっています。

神籠石系がヤマト王権の築造とされつつあることは、昨年から顕著になりました。
考えてみると、十数か所もの離れた場所で、同じような工法により一斉に工事を始めるには、命令系統が一つでなければ動けません。しかし、それはヤマト王権でしょうか。
今日は、ここまでにします。

他の発表者は、金田明大(独立行政法人国立文化財機構独法職員)、堀内和広(長崎県教育庁新幹線文化財調査事務所)、
山田隆文(奈良県立橿原考古学研究所研究員)でした。


山田さんの「古代山城の立地環境・百済と新羅の比較」は、次にまわします。
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では、また後で。

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by tizudesiru | 2018-03-19 20:15 | 231神籠石築造は国家的大事業 | Trackback

240神籠石の水門の技術は共通する

神籠石・水門の石組みの技術は共通する
雷山・阿志岐・女山・おつぼ山・御所ヶ谷神籠石の水門を見ましょう。
雷山神籠石の北水門
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阿志岐神籠石の第一水門
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女山神籠石の水門
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おつぼ山の水門
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御所ヶ谷神籠石の水門
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御所ヶ谷神籠石の中門は、あまりにも有名です。この石組みは「布積の水門石積の後に、重箱積の石積が乗る」と報告者に書かれていました。つまり、途中で技術者の交替とか、時間の経過とか、指導者の交替とか、何らかの異変があったのでしょうか。長く忘れられていた遺構を別の時代になって再利用した時、前時代の技術は使わなかったなどなど考えられます。また、御所ヶ谷は列石でも不思議でしたね。切り石が版築の中に隠れている所と、版築の外に露出している所とありましたね。何らかの工事変更があるには、社会的な出来事がかかわったと思うのです。
それは何時の出来事か、そこはわかりませんが、少なくとも6世紀の出来事でしょう。6世紀の土器の欠片が出土するのですから。

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列石の写真で、共通する技術に気がつかれましたか?
それは幾度も出て来た「切り欠き加工」です。この技術は古代にしか使われていないそうです。それは何故でしょう。こうして千数百年も壊れずに残る技術なのに、何故伝わらなかったのでしょう。技術を必要とされる時代が終わったとか、別の地域に一斉に流れて行ったとか、技術者集団が全滅したとか、様々な理由があるのでしょうね。
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他にも、阿志岐神籠石(阿志岐古代山城)の水門には、階段状に少しずつずれて行く技法が使われています。「持ち送り」の逆ですね。持ち送りは徐々にせり出して最後に大石で抑えるという「古墳築造」の技術ですね。ただし、阿志岐山城の説明会の時、学芸員さんは「持ち送り」とか、「古墳の技術」とか、云われてません。これは、わたしのかってな意見です。「階段のように石組みがずれながら上がっていくのが特色」「切り欠き加工は古代にしか使われていない」「水門の石組みの技術で、鬼ノ城と共通するものもある」とは言われました。
では、次は古墳の技術と比べてみましょうね。
また、明日



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by tizudesiru | 2017-04-08 10:42 | 240神籠石の水門の技術 | Trackback


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
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211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
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217熊本・陣内廃寺の瓦
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221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
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231神籠石築造は国家的大事業
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237パルメットの謎
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240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
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244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
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308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
314草壁皇子と天智天皇の関係
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う

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