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邪馬台国フォーラム・高島忠平先生、質問してもいいですか?

重要な意味があった高島氏の発言
飯塚の古代史のフォーラム(2018・2・18)は、たいへん興味深いものでした。計画推進された飯塚市に感謝したいと思います。わたしの住居のある地域では、市の教育文化振興事業団の主催で「古代史講座」などやっていないのです。むしろ、予算を減らそうと頑張っているようです。歴史より経済の方が大切なようですね。
さて
今回、久しぶりに参加して高島氏の発言に大変納得いたしました。
討論会の中で「九州が畿内と関わりを持つのは、5世紀の終わりからだと思われる」という内容の発言がありました。

考古学者の目から見ても、やはりそうだったのだ。
高島氏の「新羅・伽耶系の土器や遠賀川流域の古墳の様相から、畿内と関わりを持つのは、5世紀から6世紀で、早くても5世紀後半以降と思われる」の一言で、今日は来てよかったと思いました。その事は、後で触れます。
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(福岡県飯塚市・遠賀川)
では、あらためて
高島忠平先生、質問してもいいですか?

質問1
遠賀川沿いの集落の人口について、です。桂川の古墳見学に行った時、古墳を造営した人々の集落が何処にあったのか分かっていない、周辺にはない、と説明されました。
では、遠賀川流域全体を見て、弥生後期から古墳時代の人口の増減はどのようになっていますか?
弥生後期の卑弥呼の死後のあたりの人口、古墳時代の磐井の乱前後にかけての人口の推移です。特徴があるのでしょうか?




(冬空の中、筑豊の最奥に英彦山。中央に雪をかぶる)
質問2 
松木さんは討論の中で「近畿には九州系の土器は一つも入っていない」と言われ、すぐ後に「博多遺跡群の第一加工物の中に、近畿の土器がある」と云われました。
纏向遺跡から出土した鞴(ふいご)の羽口(はぐち)は、特長があり博多遺跡の鞴の羽口と同型です。近畿の学者も九州からの技術の提供を否定していませんが、遠賀川流域の鉄生産の状況と、鞴の羽口の形態について、教えてください。博多遺跡とのかかわりはあるのでしょうか?


質問3
村上さんが『銅戈は異常な武器』だと云われました。「特別なものとして扱われ、鉄戈となっていく。剣や矛とは違うよほどの意味があった。用途は祭祀用で、装着部分はそれなりに作られている。」と、なかなか意味深な発言でした。
(福岡平野では鉄戈を副葬する甕棺は周辺部ですが、飯塚の立岩遺跡では、鉄戈は首長墓に副葬されています。)
銅戈を重要視するのは、宗像・阿蘇などの地域だったと思うのですが、装飾古墳で有名な王塚古墳(遠賀川流域最大)もある飯塚市としては、北部熊本との関係をどのように分析されているのでしょうか?


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(遠賀川には数多くの支流が流れ込む。平坦な筑豊平野のの運河となっていた。)

質問4
高島さんの発言の中に「近畿で発掘していた頃」の体験についての一言がありました。「私は大阪(?でしたかね。メモしていません)で発掘していましたが、一つの遺跡から出るその遺物の多さに圧倒されました」とのことでした。
この言葉から近畿の人口爆発が考えられるのですが、発掘された集落は、どの辺りで、時期はいつ頃(土器編年でもいいのですが)のことでしょうか。
河内湖が陸化する時期だとしたら、大量の人口を養えると思いますが。それは、おおよそ邪馬台国時代より下がるのか、上るのか、微妙ですが教えて下さい。
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(飯塚市の東側の山が見えます)
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聞きたいことはまだあるのですが、ここまでにします。

ところで、高島忠平さんは「古代国家と邪馬台国」について、次のように書かれていました。
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邪馬台国が「近畿であれば、日本列島の大部分を三世紀には統一した政権があった」ことになり、「九州であれば、倭国は列島の一部であり、国家形成の道筋が、まったく異なってくる。」と云われます。
ですから、「近畿との接触は5世紀後半」という発言が心に残ったのです。


高島さんの発言は当然です。

3世紀に列島が統一されていれば、ヤマトタケルの東国遠征もないでしょう。

南九州の熊襲征伐も伝承としてないはずです。

もちろん、神武の東征もいりません。


何より宋書の倭王武の上表文が出鱈目になってしまいます。

倭王武は、西夷や毛人の国、海北の地を平らげたとしています。
なにより列島統一がなされていなかった証拠ではありませんか。
統一していなかったからこそ、「治天下大王」を目指して、遠征したのです。


倭王武の遠征が始まったのは、5世紀末です。
478年、武は宋に朝貢し「開府儀同三司」を望みますがかないませんでした。その後、宋の天子は臣下に禅譲し、宋は滅びます。
そこで、武は冊封体制から離れ「治天下大王」になることを決心したのです。

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武は東国に遠征します。稲荷山古墳の被葬者は、その時「左治」したのです。治天下大王の政治を助けた(左=たすける)のでした。

では、武の出発地は何処か、もちろん九州です。日本海側から、若狭湾に入り(そこは弥生から九州と関係の深い場所でした)、名古屋を抜け、東海・東国と進んだのです。
そのころ、瀬戸内と近畿には新たな勢力が出現していましたから、いずれ衝突することは必至でした。
衝突は起こりました。それが、磐井の乱として歴史に残された政変だと思います。墳墓の石人石馬を叩き壊す行為は、相手の王権への冒涜でしかありません。

筑紫君葛子は糟谷の屯倉を献上して、命乞いをします。
しかし、531年(辛亥年)、武の王朝は滅びました。その時、稲荷山古墳の被葬者は、倭王武が活躍したころを偲んで辛亥年(531年)の銘文を刻んだとわたしは思います。


この事には、後で触れるつもりです。

要するに、三世紀での統一はありえません。統一していれば、方々へ遠征する必要もないのですから。このように考えるのが、自然だと思うのです。
高島忠平さんの発言に納得したのは、わたしだけでしょうか。
そもそも、大和朝廷はどのようにして成立したのでしょうか。邪馬台国とは直接にはつながらないとしたら。

では、また。

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by tizudesiru | 2018-02-23 16:22 | 327古代史の危機!? | Trackback

女王国は、武器の矛、宮室・楼観・城柵、絹織物、クスがある地域

倭人伝・倭人は古代九州地方の人だった

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倭人伝の、その倭人の風俗を読んでみましょうね。
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①倭人の風俗は節度がある。男子は被り物がなく木綿のはちまき。着物はひと幅の布を巻き付け紐で結んで縫うことはない。婦人は髪を曲げて束ね、単衣の真ん中に穴をあけてきている。
➁稲やカラム氏を植え、桑で蚕を育て繭を集めて織り、細い麻糸、絹織物、綿織物を造っている。そこには、牛、馬、虎、豹、かささぎはいない。
③兵(武器)にはを用い、楯、木弓を使う。木弓は下を短く上を長くする。竹矢には鉄鏃や骨鏃を使う。
そこに有るのは、儋耳や朱崖と同じである。
倭の地は温暖で、冬夏も生野菜を食べ、皆はだしである。家には部屋があり、父母兄弟は寝起きを別にしている。その体に朱丹を塗っていて、中国のおしろいのようなものである。飲食には高坏を使い、手で食べる。
④葬式について、棺はあるが槨はない。土で塚を作る。死んですぐから十数日間は喪にふくし、その間は肉食をしない。喪主は声をあげて泣き、他の者は歌い舞い飲食する。埋葬後は、家をあげて水浴し、中国の禊ぎのようなものである。
⑤倭国から使いが海を渡る時,持哀(じさい)を選んでいる。<その紹介は略 >
⑥倭国から真珠・青玉が取れる。山では丹砂・朱砂があり、樹木には、くす・とち・(くすのき)・ぼけ・クヌギ・スギ・かし・ヤマグワ・カエデがある。<略>
⑦には、骨を焼く占いのことが書かれている。<略>
⑧倭人の集会では父子・男女の差別はない。酒好きで、偉い人に会うと拍手をする。寿命は長い。
⑨身分のあるものは四、五人の妻を持つ、下戸でも二、三人の妻がいる。<略>

さて、どんな地域が想像されますか?
そこでは絹織物が造られ、武器は矛で、クスノキがあり、骨で占いをしているのです。
そこは、九州ですね。棺は甕棺ですね、直葬ですから槨はないのです。

租税・物々交換の市・諸国を検察 国の組織ができていた
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皆さんがよくご存じのことがかかれています。
①税があった
➁伊都国に一大率がいて、諸国を検察していた。
③女王が中国・帯方郡に使いを出す時と迎える時、全て港であらためていた。誤りは許されなかった。<略>
④倭国では、もとは七・八十年間も男王であったが、乱がおこり長年互いに攻伐しあったので、一人の女性を共立して王と為し、卑弥呼と名付けた。
⑤卑弥呼は鬼道(神霊に通じた)で衆を引き付け、年は取っているが夫もいず、弟が国政を助けている。
⑥王となってより直接会う者は少なく、千人の奴婢が仕え、ただ一人の男子が飲食の世話をし、伝言を取り次ぐために出入りしている。
⑦卑弥呼の宮室は、楼観や城柵を厳かに設営し、常に警備兵が武器を以って守備している。
女王国の東に海を渡って千里のところに、また国がある。倭の種族である。また、侏儒国がある。この国の背丈は、三、四尺で女王国からの距離は四千里。<略>
⑨倭地について問うと、絶海の中の島の上で、国々は離島だったり陸続きだったりして、周囲は五千里ほどである


地理的にも状況的にも、倭地は九州中心の地域
中国や帯方郡からの荷物を検めて、女王国に届けるのです。何日も離れた場所に女王国があるわけはありません。途中で紛失しては大変ですから。更に、倭地の周囲が五千里とは、狭くありませんか。

でも、倭人伝に書かれているのですから、周囲五千里でも仕方ないですね。
邪馬台国の時代に九州から近畿まで倭国が広がっていたのではないのです。

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by tizudesiru | 2018-02-01 14:46 | 324三国志魏書倭人伝に書かれていること | Trackback(21)


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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204吉備真備の挫折と王朝の交替
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247岩戸山古墳と八女丘陵
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249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡

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