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三角縁神獣鏡は甕棺からは出土しない

国産鏡だった・弥生後期の平原王墓出土の国宝の鏡
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国産鏡という平原王墓の鏡ですが、三角縁神獣鏡はありません。前漢鏡は甕棺からしか出土しないと聞きました。平原王墓は方形周溝墓です。弥生後期にはこれだけの鏡を生産できるようになっていたのです。ですが、古墳時代になると三角縁神獣鏡が出土します。
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しかし、古墳からは三角縁神獣鏡が出土する


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原口古墳は甕棺墓の上に築造された全長80mの前方後円墳です。主体部は粘土槨で木棺を安置していたと思われます。ここから三角縁神獣鏡3面、直刀3振、鉄斧4個、管玉・丸玉5個が副葬されていました。
この古墳の首長は甕棺墓群の集団の墓地を無視して自分のための墳丘を築きましたから、前の首長とは別の集団なのでしょうね。


鏡の製造技術が微妙に変化するのは何時でしょう。
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周防灘に面した福岡県京都郡の徳永川ノ上遺跡は、方形周溝墓(隅丸方形)に箱式石棺・甕棺・土壙墓などが同居した遺跡ですが、そこから内向花文鏡・方格規矩鏡などと共に三角縁神獣鏡が出土しています。

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福岡市の藤崎遺跡でも方形周溝場から三角縁神獣鏡が出土しているのです。
そして、初期の古墳から三角縁神獣鏡が出土するようになるのですね。
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画像は伊都国歴史博物館の「王の鏡」という祈念展示会の資料をデジカメで写したものです。
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三角縁神獣鏡が混じり始めるころが、その製造の開始でしょうね。
それは、方形周溝墓の時代ということでしょうか。

また、あした。


by tizudesiru | 2017-10-31 23:31 | 295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時? | Trackback

景行天皇と倭武尊が詠んだ平群の山は飯盛山

古事記にある平群山は福岡市の飯盛山
先に「倭は国のまほろば・倭建命の国偲び歌」と「虚実ないまぜ?古事記と書紀の倭建命の父」(カテゴリ・272平群を詠んだ倭建命)で「平群の山の熊白橿の葉を髻に挿せ」という歌詞をとりあげました。
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この倭建の絶唱に詠われた平郡の山は福岡市の山だと既に紹介していました。その早良郡史のコピーが見つからなかったのですが、家の隅から見つけました。やはり、
飯盛山こそ平群の山だった
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吉武高木遺跡の西に在る飯盛山です。かって、この辺りは平群村でした。将にこの遺跡を中心とした一体です。
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飯盛山から西山麓の室見川を挟んだ一帯を平群郷が占めていました。飯盛・金武・吉武・羽根戸が室見川の西側にあり、田(でん)四ケ(しか)は室見川の東側です。地形的にも近畿の平群と似ていますね。ここ早良郡には伊都国とつながる三カ所の峠がありました。飯場峠や日向( ひなた)峠などは有名ですよね。
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室見川は北に向かって流れています。額田郷で海に注ぎますが、そこには山門(やまと)郷があり、小戸の青木ヶ原が広がり壱岐真根子神社(武内宿祢の身代わりになった真根子を祀る)があります。額田郷も弥生遺跡の宝庫です。奥の島影は残島(能古島)で、オノコロ島(?)とも……だそうです。

この川の中流域・この辺りに平群郷はあったのです。
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西の飯盛山を神山としたのは当然でしょうね。山頂では伊弉冉尊を祀ります。創建時から山頂に伊弉冉尊で、中宮には五十猛命を祀っていました。山頂の玉石は南北朝の戦乱以来、下宮に安置されています。
平安時代になって、廃れていた神社に平城天皇の孫・在原清平から手紙が届き、途絶えていた祭事を復活させたと、神社の由緒にありました。
以来、年間26の行事を執行し、正月十四日の粥占の行事には勅使の参向があったと町史に書かれています。最盛時には神官も十三家あり、七カ所の末寺もありました。

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(飯盛神社・流鏑馬が行われています)
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平群郷の辺りには、伊弉冉命を祀る神社が沢山あります。不思議なことに伊弉諾尊を祀る神社はありません。伊弉冉命と共に祀られているのは、事解男命、速玉男命です。
他の神社には、素盞鳴命(スサノウ)、埴安神、大山祇神、熊野三神、事代主命、少童大神、保食神等々さまざま祀られているのに、伊弉諾命は他の地域に行かないとありませんし少ないです。姪浜の鷲尾愛宕神社には、天忍穂耳命、伊弉諾命、伊弉冉命、火霊産命が祀られています。やはり、伊弉諾命だけの神社はありません。男神は霊験あらたかではなかったのでしょうか。
早良郡は女神を信仰する土地柄なのですね。それは、古代から引き継がれたものでしょうか。すると、中心の神山は飯盛山です。平群郷の神山は、飯盛山です。
ここが、古事記に詠まれた「平群の神山」と思うのです。地名だけでなく古代の神祭りを伝えていますから。

この山に伊弉冉命だけしか祀られていないことを不思議に思ったのは、後の世に進出した氏族、ここの歴史を知らなかった為政者でしょうか。相対する男神を若杉山に太祖神社として祭りました。
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要するに、伊弉諾命が祀られたのは、後の時代ですね。
古代から祭祀をする時、飯盛山を神山として、起点にしてラインを引いたと思います。わたしも古墳や神社や山頂とラインを結んでみました。すると、この十年余りでたくさんの神祭りのラインを見つけました。二点ではなく、山頂・山頂・古墳古墳・古墳・山頂山頂・古墳・山頂神社・古墳・山頂、などなどの三点以上を結んだのです。有効なラインもありますが、偶然もありましょう。でも、地図にのせられた有名どころをつなぎますよ。
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こんなに通過点として、起点としてラインが集まる山はかぎられます。無視できない状況だと思います。これは、古代から神祭りの山だった、祖霊の集まる山だった、ということではないでしょうか。
では、平群郷についてはおわりましょう。



by tizudesiru | 2017-10-29 16:01 | 272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命 | Trackback

青銅鏡は紀元前に北部九州で国産が始まった

青銅鏡は紀元前に国産品があった!!
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もう数年前の新聞記事です。春日市で多鈕細文鏡の鋳型が見つかりました。
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紀元前に銅を熔かし鏡を作ることができたのです。大きな甕棺を製作していた人たちですから、決して無理ではなかったでしょう。その技術は進んでいったようで、糸島の平原弥生王墓の大型鏡も国産品ということです。
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40面の鏡のうちの内向花文鏡は、直系46.5cm重さは8kgです。これほどの技術は何処へ行ったのか。答は自明のことでありましょう。
そして、なぜこのように鏡を量産したのか? ですが、そこには太陽信仰があったと云うことになりますね。
太陽のように光り輝く鏡は、人々を引き付けたことでしょう。福岡平野には早くから太陽信仰があり、太陽を暦代わりに使っていたと思います。
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何度も紹介しますが、春日の須玖岡本王墓吉武高木王墓三雲南少路王墓は、飯盛山・大城山・宝満山の東西ラインの上に乗っています。この三か所の弥生王墓は鏡を大量に副葬していました。
古代から飯盛山は神の山でした。宝満山も最近まで修験道の山でした。大城山には神武天皇が山城を造っていたという伝承があります。
飯盛・大城・宝満山のラインは古代からの首長の祖先の神祭りの山であったのでしょう。福岡平野では吉武高木の王が、山々を暦とした祭祀を始めたと思います。
それが、春日丘陵に伝播したと思います。
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吉武高木の時代は、飯盛山の上から陽を見たでしょう。
須玖岡本の時代には、日知り王の祭場があったでしょう。
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熊野神社のやや南が丘陵の高地になります。そこに夏至と冬至の日の出・日の入りのラインが偶然にも交叉します。東西ラインの春分秋分の陽は宝満山から出て、飯盛山に沈みます。このラインも同じ処で交差します。
見渡せる山頂を使って、太陽を暦代わりに観測し祭祀できたはずです。
そして、伊都国最大の一貴山銚子塚古墳はこのラインの延長上にあるのです。糸島でも飯盛山を神の山としたと思います。
太陽信仰と鏡は将にセットなのです。
下の写真は、糸島(伊都国)の二見が浦です。太陽信仰の象徴のように思えますね。伊勢より大きいですね。

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太陽が沈む飯盛山には、伊弉冉尊が山頂に祭られています。母の山であり死者の山だったのでしょうね。
そして、ここは以前ブログで紹介した「景行天皇が詠んだ平群の山」であり、倭建命が詠んだ「平群の山」なのです。
それは、また後で。




by tizudesiru | 2017-10-29 02:05 | 294青銅鏡は紀元前に国産が始まった! | Trackback

赤塚古墳の三角縁神獣鏡はヤマトから来たのか?

大分風土記の丘・三角縁神獣鏡
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赤塚古墳には三角縁神獣鏡が5面副葬
パンフレットを見ると、ここも三角縁神獣鏡はヤマト王権との絆とされています。では、大分の三角縁神獣鏡を見ましょう。博物館の鏡は撮影できませんからパンフレットをデジカメで写したものになります。

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唐草文帯二神二獣鏡(21・7㎝)同型鏡(徳島県宮谷古墳、岡山県鶴山丸山古墳(伝) *傘松文様があります
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天王日月鋸歯文帯四神四獣鏡(23・0cm)同型鏡(大阪府石切神社(伝)、京都府椿井大塚山古墳、奈良県黒塚古墳)
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天王日月獣文帯三神三獣鏡(22・5cm)
同型鏡(京都府物集女付近(伝)、三重県筒野古墳、福岡県原口古墳、滋賀県岡山古墳)
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天王日月獣文帯三神三獣鏡(22・4㎝)同型鏡(福岡県原口古墳、同県天神森古墳、同県石塚山古墳、京都府椿井大塚山古墳)
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波文帯盤龍鏡(25・3㎝)同型鏡(なし)*この鏡は被葬者の頭部側にあったという
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赤塚古墳は風土記の丘の北東にあります。全長57・5m。拾遺には8・5m~11mの空濠があります。大分県では、赤塚古墳以外の古墳には三角縁神獣鏡の出土は1面のみです。それで、ここがヤマトと絆の深い重要な古墳とされ、3世紀後半の築造となっています。
ふううむ…では、福岡県の原口古墳・天神森古墳・石塚山古墳も三世紀後半になるのでしょうか?
福岡県ではそうなっていないと思います。福岡市の藤崎遺跡6号方形周溝墓は弥生の集落にあるようですし、若八幡古墳や那珂八幡古墳も古いと思いますが、三世紀ではありません。一貴山銚子塚古墳には後漢鏡が頭部に置かれていたのですが、三世紀後半か四世紀の始めとされています。

古墳の築造年代については、博物館に説明されたとおりに受け留める以外にありません。しかし、あちこち古墳を見て歩いていますと時々不思議に思います。年代は確かなのでしょうか?
赤塚古墳は三角縁神獣鏡が出土することと、前方部が奈良県の箸墓古墳と同じ特徴である「撥型(ばちがた)」になっているとして、三世紀後半となったそうです。
この赤塚古墳が位置する川部高森古墳群には、他にも古墳が五基ほど残されています。免ヶ平古墳、角房古墳、車塚古墳、福勝寺古墳、鶴見古墳ですが、鶴見古墳は六世紀半ばとか。
三〇〇年に渡って同じような墳丘の古墳がつくられたと云うことですね。他の地域では墳丘は形が変わっていきますけど…
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川部遺跡南西地区方形周溝墓は一辺18mの墓で、中央には石棺がありました。中はベンガラが塗られ、水銀朱も見つかっています。副葬品は三種の神器とよばれる玉・鏡・剣でした。上の写真がそれです。
わたしは、副葬品を見ると福岡平野とのかかわりが大きいと思いますが。ヤマト王権との結びつきを強調とすると、歴史はゆがめられませんか?

では。また明日。



by tizudesiru | 2017-10-26 21:24 | 293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳 | Trackback

彷徨う月ノ岡古墳の三角縁神獣鏡

三角縁二神二獣鏡三角縁神獣鏡に入らない
そんなことないでしょう!?
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(月ノ岡古墳の三角縁神獣鏡(上)と吉井町の若宮八幡宮)
最近でしたが、吉井町の若宮八幡を紹介しました。この広場に享保一揆と宝暦一揆の農民たちが集結したと云うことなどを。ここは、古来より人々の心の拠所だったと思うのです。

この神社を挟んで二つの古墳があります。月ノ岡古墳(西側)と日ノ岡古墳(東側)です。月ノ岡は竪穴式石室で長持形石棺があり、日ノ岡は横穴式石室で全面にに装飾があります。二つの古墳は150mほどしか離れていませんが、埋葬儀礼が異なる古墳なのです。月ノ岡古墳からは眉庇付冑などが出土し長持形石棺ということから、ヤマト王権がこの地に入り込んできた証拠だとされています。このことは、既に「そうではないだろう」ということを述べました。

今回は、副葬されていた鏡について書きたいのです。ここの三角縁神獣鏡ですが、前回紹介した「三角縁神獣鏡の出土地リスト」には、掲載されていません。仲間から外れているのです。


三角縁神獣鏡の出土地リストによると、次の古墳や遺跡が福岡県の出土地です

祇園山古墳、神蔵古墳、大願寺、原口古墳、御陵古墳、妙法寺2号墳、一貴山銚子塚古墳、大日古墳、老司古墳、藤崎遺跡6号方形周溝墓、藤崎遺跡第一地点、若八幡宮古墳、那珂八幡宮古墳、香住ヶ丘3町目古墳、天神森古墳、名島古墳、忠隈古墳、御坐1号墳、豊前石塚山古墳、沖ノ島(16号、17号、18号、御金蔵、遺跡)ほか伝来地2か所

ということで、月ノ岡古墳は入れてありません。なぜでしょう。鏡の縁は確かに三角ですが、直系が16.3cmと小さいからだと思います。

技術的には三角縁神獣鏡であり大きさが小さいということは、初期の三角縁神獣鏡だと云うことになりませんかね?
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吉井町教育委員会の「若宮古墳群(2005)」の写真をデジカメで撮ったのを紹介します。月ノ岡古墳は江戸時代から知られていました。
1805年に石室の発掘が行われ『月岡宮掘開記』『月岡所獲古器図』安元大炊祀官により記録が残されています。その後、1853年に矢野一貞が『筑後将士軍談』のなかで「若宮村古墳」「若宮月岡併古物図」と題して発掘の経緯や主要な出土物についての詳細なと説明を残しています。
その絵図を吉井町の発掘報告書から紹介します。

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スゴイ記録ですね。矢野一貞はこれらが腐ってしまう前に記録しなければならないと分かったのですね。写真は、眉庇付冑と鎧の破片、帯金具、脛当です。
では、吉井町の報告書の武具の写真を紹介します。デジカメで写しました。

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龍文透彫銙帯金具(上)は大阪府七観古墳の出土物に似ているそうです。七観古墳は、帯金具のみだけでなく、馬具類、革綴短甲、武器の大量副葬など、月岡古墳と共通するそうです。しかし、三角縁神獣鏡は七観古墳では出土していないようです。
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月ノ岡古墳の鏡は一面だけではありません。矢野一貞の記録には5面ですが、現在は4面が吉井町の博物館に展示されています。
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1号:同行式画像鏡(三角縁二神二獣鏡) 16.3cm *朱が付着している 
2号:獣形文鏡  11.9cm
3号:四乳渦文鏡 9.5cm
4号:珠文鏡  6.9cm

(5号は不明です)
2・3・4号は三角縁ではないし、前・後漢鏡のように縁は平たいですね。末永雅雄は「増補 日本上代の甲冑」(1981)で、4面をすべて仿製鏡としています。国産としても、モデルとなったのは弥生の漢鏡でしょうね。
この鏡は技術的にも高度だったのでしょうね。前回のブログで紹介したように三角縁神獣鏡の鈕孔は方形でした。しかし、1号鏡の鈕孔は丸いのです。
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鈕孔を見ると、たくさん出土した三角縁神獣鏡とは違いますよね。
では、この鏡はどんな位置付けになるのでしょう? 三角縁であって、三角縁とは呼ばれない、重要な古墳からの出土なのに「行き場」がないのです。

このまま「彷徨う三角縁神獣鏡」として、吉井町の博物館に鎮座するのでしょうか。
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月ノ岡古墳の三角縁神獣鏡は、和製鏡の大量生産の発祥地を教えてくれるかも知れませんね。

吉井町若宮にある月ノ岡古墳の竪穴式石室の蓋石は、石碑として、月讀神社(墳丘の上に在る)の社の敷石として使われています。
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石棺は社の中に御神体として祀られているのです。
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今回も隙間から覗きましたが、まったく見えませんでしたので、吉井町の報告書の写真を紹介します。あいにく雨だったので余計に暗かったのでしょう。
では、墳丘も紹介しましょう。前方部は草が刈られていましたが、雨で少々けぶって見えます。
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後円部もかすんでいます。木立の中に月讀神社があります。
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同行式画像鏡が何者なのか、その出自がはっきりする日が来ることを願っています。

同じ若宮地区には、日ノ岡古墳だけではなく、塚堂(つかんどう)古墳があります。ここは、副葬品・埴輪もあり出土遺物も面白いのですが、文化財指定を受けていません。古墳としての残存面積が少ないからだそうです。びっくりしました。
なかなか面白い古墳です。わたしは文化財指定を受けていないなら、町が独自で復元して、埴輪を並べ古墳公園にしたらいいと思いました。見ごたえがあると思いますよ。どうですか? 吉井町の方はいいものをお持ちですよ。
では、これにて。



by tizudesiru | 2017-10-24 00:56 | 292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳 | Trackback

三角縁神獣鏡はなぜ大量生産されたのか?

三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏から下賜された鏡ではない
最近、既に多くの人がこう考えているようです。
それはそれでいいのですが、では何故大量に生産されたのでしょうか。
三角縁神獣鏡が人気商品だった理由があるはずです。
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弥生時代の甕棺から出土する鏡は、一つの鋳型で一つの鏡しか造らないそうです。しかし、三角縁神獣鏡は一つの鋳型でたくさんの同范鏡を作っているのです。
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同范・同形鏡は全国で出土しています。その供給元が椿井大塚山の被葬者だったというのですが、本当でしょうか。

椿井大塚古墳出土の三角縁神獣鏡と同范・同形鏡を手元の資料でみますと。

天皇日月獣文帯四神四獣鏡、獣文帯五神四獣鏡、獣文帯四神四獣鏡、などなど文様もさまざまですが。

茶臼山古墳(奈良)・奥津社古墳(群馬県愛西市)・備前車塚古墳(岡山市)・秦上沼古墳(岡山県)・西求女塚古墳(神戸市)・長法寺南原古墳(長岡京市)・寺戸大塚古墳(日向市)・石塚山古墳(福岡県苅田町)・赤塚古墳(大分県宇佐市)など挙げられます。
全国の古墳と共通するのですね。それも、大きな古墳から多く出土するというのです。そうなんですね。
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でも、ですね。ちょっと気になることがあります。
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それは、鏡の数ではなく出土地の数です。
確かに、近畿に400面以上の三角縁神獣鏡はスゴイです。黒塚古墳33面、大塚山古墳33面を考えると、二ヵ所で66面になります。では、出土地の数はどうなるのでしょうね。「三角縁神獣鏡辞典(吉川弘文館)」のデータで調べてみましょうか。
ただ、出土地はそのままでいいのですが「伝来品」はどうしましょう。他所から持ち込まれたかも知れないし、偽物として造られたかも知れません。このことも考えてみましょうね。

県名 (出土地の数)#(出土地の中で5面以上の出土地数)*伝来品の数 
鹿児島県 (1)
宮崎県 (3)
熊本県 (0)*伝来3 
佐賀県 (3)
福岡県 (24)
#5面以上3出土数内に沖ノ島の遺跡5*伝来2 
大分県 (3)#5面以上1 *伝来3 
愛媛県 (2)
香川県 (5)*伝来1
徳島県 (2)*四国の伝来1
山口県 (4)*伝来1
島根県 (5)
鳥取県 (5)*伝来1
広島県 (5)
岡山県 (8)#5面以上 *伝来2 
兵庫県 (20)#5面以上 *伝来2 
和歌山県 (1)
大阪府 (17)#5面以上 *伝来3 
京都府 (15)#5面以上 *伝来6 
奈良県 (16)#5面以上 *伝来16 
滋賀県 (7)
三重県 (6)*伝来4
福井県 (1)*伝来1
石川県 (0)*伝来1
岐阜県 (8)#5面以上 *伝来4 
愛知県 (8)*伝来3
静岡県 (8)*伝来1
長野県 (2)
山梨県 (2)*伝来1
神奈川県 (2)
千葉県 (2)
埼玉県 (1)
茨城県 (0)*伝来1
群馬県 (6)*伝来2
福島県 (1)
出土地不明 (42)

*福岡の場合、沖ノ島では16号,17号,18号、御金蔵など出土遺跡がことなっています。

こうして見ると、福岡・兵庫・大阪・奈良・京都が多いようですね。これは、三角縁神獣鏡のデータです。古墳時代になって、鏡の生産を担ったのは何処なのでしょう。弥生の鉄も銅鏡も出なかった地域に鏡造りが急に盛んになったのなら理由があるでしょう。鏡を持つことで氏族の家格を引き上げたとか…でしょうね。

経済力を持ち権力を手にした氏族が次に求めるのは、高貴な血統と家柄の格上げでしょう。鏡は古代王家のシンボルであり、光り輝く物でした。威信財として、魔よけとして、家格の向上の為にも必要だったのでしょう。
鏡を多く手にした氏族は新興勢力だったと云うことです。そして、其の鏡の材料として北部九州の銅鏡や銅剣・銅矛・銅戈が持ち込まれて熔かされたと思います。
だって、伊都国の平原王墓でも分かるように、鏡の大量副葬は王墓級では当たり前のことでしたから、それに倣おうとしたのでしょう。

椿井大塚山の被葬者が鏡の生産に携わったかどうかはわかりません。ただ、彼は他の古墳群と離れた木津川の畔で氏族の栄華を願い、ひたすら鏡を集めていたと云えると思うのです。鏡制作者を集めたという可能性も否定はできませんね。わたしはその結果として様々な地域との同范同形鏡が手もとに集まったのだと、思うのです。

では、鏡を作っていたのは何処の誰なのでしょう。
銅製品を早く弥生時代から加工していたのは、北部九州でした。

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30面以上の漢鏡を副葬していた須玖岡本遺跡の王墓があった春日丘陵は弥生の工場地帯でした。57面の前漢鏡を副葬した三雲南少路王墓のある伊都国にも、産業があったのです。
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そこでは銅製品も作っていました。春日市では弥生時代の初期に移入したとされる多鈕細文鏡の鋳型が破棄された状態で出てきています。大事な鋳型を残したら技術を盗まれるからでしょうか。ただ、広形銅矛の鋳型は、時代が不必要としたので捨てられたのでしょう。弥生の終わりに突然に埋納された銅矛たちの鋳型です。春日市でも鋳型が出土しています。

弥生集落の発掘調査によると、北部九州では政治的大異変が起こったようです。弥生集落が突然捨てられました。人々は生活道具を周濠に捨て、又は家屋にそのまま残して何処かへ去りました。大型甕棺の時代に忽然と人々が消えたのです。文化的にも栄えていた時に、何かがあったのです。弥生集落の遺跡はそこが捨てられた時代を教えています。福岡平野でも、南の筑紫平野でも、同じように集落が捨てられました。捨てられた理由は地震でも洪水でもありません。福岡平野も筑紫平野も農業用地としては一等地が捨てられているのです。

銅製品製作の技術を持った人々は何処へ行ったのでしょうね。
大型甕棺の製作技術を持った人々は何処へ去ったのでしょうね。
わたしは技術を持った人々は何処に行っても歓迎されたと思います。
彼らは、新天地で自分の生業に汗を流し励んだことでしょう。そして、権力者に取り込まれていったと思います。

この人々の移動を引き起こした政治的大事件が、倭国大乱の後の卑弥呼の死であり狗奴国との戦争だったと思います。つまり、史書に残る倭国の中心地は北部九州にあり、そこから人々が拡散して行ったと思うのです。

また、明日。


by tizudesiru | 2017-10-23 01:41 | 291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は? | Trackback

三角縁神獣鏡を製造した?椿井大塚山古墳

椿井大塚山古墳に行きました
三角縁神獣鏡を製造した首長の墓?

椿井大塚山古墳の被葬者が、王権の委託を受けて三角縁神獣鏡を製造したと、いう説がほぼ定説です。この古墳を線路が横断していますので、前方部と後円部は線路で分断されています。
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だから、時々電車が通ります。
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ここは、木津川市の椿井大塚山古墳です。
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では、大塚山に登ってみましょう。線路のガード下を通って、墳丘に登ります。
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ここを上って行くと、後円部につきます。
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周囲は竹林になっていました。
山城の二大古墳群は、乙訓古墳群と久津川古墳群です。木津川古墳群の椿井大塚古墳群(全長75m)は少し離れた所にあります。
南部の比較的小さな古墳群の中に椿井大塚山古墳はあります。
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地図の一番南に在ります。木津川がカーブして北上する辺りです。
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では、鏡のことはまた明日。



by tizudesiru | 2017-10-20 22:47 | 291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は? | Trackback

続・黒塚古墳の三角縁神獣鏡


黒塚古墳にいきました



黒塚古墳の三角縁神獣鏡の続き

黒塚古墳は三角縁神獣鏡が33面出土した古墳でした。33面は棺外に置かれていましたね。戦後には「卑弥呼の鏡」として話題を呼びましたが、大量に見つかってしまった上に棺外に置かれていたので、これら三角縁神獣鏡が中国からの下賜品とは考えにくくなり、今では「三角縁神獣鏡」に考古学者でもふれない人が多いということです。が、今でも三角縁神獣鏡の中でも出来のいいものは「舶載品」出来の悪いものは「国産品」と分けられて論じられてもいるのです。
最近、ちまたでは三角縁神獣鏡の代わりに、「画文帯神獣鏡こそ卑弥呼の鏡だ」と主張されているようです。
黒塚古墳でも画文帯神獣鏡は棺内にありました。
では、昨日の続きで33面の鏡の残りの写真を紹介しましょう。
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こんな33枚の三角縁神獣鏡が棺外に置かれていたのですね。そして、画文帯神獣鏡は,棺内に置かれていました。
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この画文帯神獣鏡は13.5cmと小さいのです。が、棺内に置かれていたと云うことは、大変意味のある鏡なのでしょう。
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三角縁神獣鏡の出土は、奈良も京都もダントツですね。それは、一つの古墳に出土する数が多いからですが、この地域の首長はどうしてたくさん副葬することを願ったのでしょうか。理由があるはずですよね。
①鏡を副葬することは弥生時代から九州の首長のステイタスだった。鏡や武器はステイタスシンボルとして憧れの威信財だった。その思想が畿内に伝播した。
➁鏡製造の技術を持った集団が、何らかの理由で東へ移動した。そこで、生業にしてきた鏡作りをして地域の有力者と取引をした。銅を手に入れる手順を熟知していた。
③鏡や威信財を手に入れた首長達は、近隣の首長より多く手に入れようとした。
④祖先の葬送のしきたりの鏡・刀・剣などの武器や武具を埋葬する習慣を強調するために、大量に副葬品として墓に入れた。
と、なるのでしょうか。

500面近くの鏡の材料(銅)は、どのようにして手に入れたのでしょうね。輸入するにしてもそうそうには大量の銅は手に入らないでしょうし、それは大量の鉄にしても同じでしょう。
古墳時代になって、近畿で鉄製産が爆発するにしても、その技術者が全くいなかった(鉄の出土のない)地域に「鉄生産が急に始まる」には、理由が必要でしょう。ミステリーではありません。歴史的な意味や理由があるはずです。
古墳や石棺に朱を塗る習慣も九州が発祥ではありませんか。
埴輪を赤く塗るのも、九州の弥生の祭祀品の丹塗土器の伝播ではありませんか。九州で朱やベンガラが使われなくなった後に、近畿で朱が使われるようになったと考古学の先生から聞きましたが、そうだろうなと思いました。
その時、近畿の銅鐸は、九州から持ち込んだ鏡を鋳つぶして造ったとも聞きました。

いろいろ聞いて思う事は、三角縁神獣鏡も最初は九州で生産されたのではありませんか、という簡単なことです。



by tizudesiru | 2017-10-19 20:00 | 291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は? | Trackback

黒塚古墳の三角縁神獣鏡


黒塚古墳に行きました
三角縁神獣鏡を見ました

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資料館では黒塚古墳の竪穴式石室を再現していました。正面からも上からものぞくことができます。三角縁神獣鏡が棺外に並べられていたことがわかりますね。
ここは写真撮影はOKでしたよ。
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18号を写していないようです。
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33枚はやや多いので、次にまわします。
また、後で。




by tizudesiru | 2017-10-18 14:46 | 291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は? | Trackback

三角縁神獣鏡を33面も副葬した黒塚古墳

黒塚古墳に行きました

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春に行ったときは資料館が閉館していましたので、再度、夏に行きました。
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後世に城が造られているので、元々どんな古墳だったのか分からないのです。
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後円部の縁を廻って前方部から墳丘の上に登りました。
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墳丘の頂上は平らになっていて、石室のようすが陶板で紹介されていました。
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周囲を全部見渡せる位置に墳丘墓は作られていました。
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木が高くて十分に辺りが見えませんでした。辺りには大型古墳が揃っているのです。
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ここは三角縁神獣鏡が文様もはっきり残っています。資料館内には古墳石室が原寸大に復原されていました。大きな木棺あとでした。
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三角縁神獣鏡は棺外に置かれていたのです。鏡の力で棺を守ったのでしょう。
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黒塚古墳の時代は、まだまだ鏡の力が墓に必要だと考えられていたのですね。
それも一枚じゃ心細かった、できる限り手に入れようとした、のですね。
鏡の紹介は、次にまわします。

では、次回お会いします。



by tizudesiru | 2017-10-17 12:28 | 291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は? | Trackback


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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163持統天皇の最後の願い
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169額田王の恋歌と素顔
170額田王が建立した粟原寺
171額田王の歌の紹介
172糸島の神社
173高市皇子の妃・但馬皇女の恋歌
174高市皇子の死の真相
175草壁皇子の挽歌
176大化改新後の年表
177持統帝と天武帝の絆の深さ?
熊本地震・南阿蘇への道
178天武帝の霊魂は伊勢へ
179天武帝と持統帝の溝
180天智天皇と藤原鎌足
181藤原不比等とは何者か(1)
181藤原不比等とは何者か(2)
181藤原不比等とは何者か(3)
182鎮魂の歌集・初期万葉集
183元明天皇の愛と苦悩
184氷高内親王の孤独
185長屋王(高市皇子の長子)の悲劇
186 聖武天皇の不運と不幸
187難波宮を寿ぐ歌
188孝徳帝の難波宮を寿ぐ
189間人皇后の愛と悲劇
190間人皇后の難波宮脱出
191有間皇子と間人皇后の物語
192軽太郎女皇女の歌
193人麻呂編集の万葉集
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204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
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211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 九州の古代山城の不思議
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
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243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
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271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
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275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
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302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
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日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫

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