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カテゴリ:368 北部九州で弥生文化は花開いた( 2 )

金隈弥生遺跡は 卑弥呼の時代まで六百年間継続し、136 体の人骨が出土

福岡県福岡市の金隈(かねのくま)遺跡に出かけました。甕棺墓が見学できるように公開されています。『金隈遺跡では、約2,400年前から1,800年前、弥生時代のおよそ600年にわたって甕棺348基をはじめ土壙墓(どこうぼ)119基石棺墓2基の合計469基もの墓が発見されています。』とパンフレットに書かれています。ここから136体分の人骨が出土しました。貝輪や石製の小玉、甕棺に供えられた小型の壺が出土していますが、青銅製の武器などはありません。福岡平野の西の吉武高木遺跡と東の金隈遺跡ではずいぶん違っています。西の吉武高木遺跡では、弥生時代の前期の鏡や玉や銅剣が特定の墓域から出土していますから。(福岡市博物館に展示されています)
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4体分の人骨が展示されていますが、本物だそうです。他は九州大学で保管されているそうです。ここの骨で、弥生人の骨格の特色が分かったと聞きました。DNA分析を加えれば更に詳しいことが分かるでしょうね。期待がふくらみます。
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折り重なるように甕棺墓と土壙墓がありますから、長い間に同じ場所に埋葬を繰り返したのですね。
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子ども用の甕棺も多いですね。下の写真のように、子どもに副葬されたゴホウラ貝輪もあります。ゴホウラ製貝輪は男性に、イモガイ製貝輪は女性に副葬されるのだそうですから、この子は男子でしょう。
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この甕棺墓群は北部九州の弥生時代の文化や政治の変化を解明できるのでしょうね。600年も続いたのですから。パンフレットには「遺跡の年代を測る『ものさし』として利用することもできます。また、かめ棺墓の中からは状態のよい多くの人骨や貝輪が発見され、弥生時代に生きた人々のすがたや、ほかの地域との交流を研究する上で貴重な資料となっています」
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この遺跡の案内板には、弥生前期から後期の初頭にかけての遺跡と書かれていました。その間は、400年となっています。これは発掘当時の50年前の認識なのでしょうね。昭和47年当時のままの文章ですね…
紀元前200年から紀元後200年の四百年間ここは墓地だったのです。ちょうど卑弥呼(248年没)の時代まで使われていたのですね。それにしても、パンフレットには600年間と書かれていましたが、この説明板には400年間と書かれています。200年の誤差は、大きいですね。
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なるほど、甕棺の形態の変化がわかるのですね。甕棺の変化から時期を推定できるということです。下の図の水色は土壙墓で、この遺跡では土壙墓が最も古い墓とされています。
「弥生時代前期後半ころ(約2300年前)からのちは、かめ棺墓が主体になります。甕棺墓は中期のおわり(約2000年前)にかけて減り、それ以降はわずかに石棺墓がつくられるにすぎません。金隈遺跡は弥生時代のおわり(約1800年前)まで、墓地として使われていたと考えられます。」(パンフレット)
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なぜか、栄えた甕棺文化は断絶するのです。みごとな大型土器の技法は失われたのでしょうか。この甕棺技術が埴輪製作技術につながったのではないでしょうか。カメカンの需要がなくなって工人たち集団は生活に困ったでしょうから。
人が移動するのは、需要と供給の問題、経済活動です。生活の成り立たないところに人は住みません。つまり、弥生後期に何かがあったのです。政治的経済的混乱…それは内乱でしょうか。
そして、誰もいなくなった…三国志の時代を生きた人たちはどうなったのでしょう。

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遺跡は勾配のきつい丘の上に有ります。弥生の森と書かれた広場の中心に横穴式石室の古墳があり、そこが遺跡の最高地となります。屋根をかぶせて残されたのは、甕棺と土壙墓の部分です。下の図の上下(東西方向、西が上)が急な崖になっていることが分かります。金隈遺跡は丘陵の尾根に作られた墓なのです。
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丘の上に展示施設があるので、資料館には階段を上ってたどり着きます。
あたりを歩いていると、気のせいか前方後円墳の上を散策しているように感じられます。北の古墳に向かって緩やかに登りますが、そこが後円部のように思えるのです。気のせいですが。古墳への道は細くくびれています。
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三国志の時代が終わって・・・
弥生人が墓を造らなくなって二百年、この被葬者が此処に墓を造った、ということですか。二百年経っていても、ここは墓地だったのですね。ふむ・・・

面白い金隈遺跡の紹介でした。
ここで、はっきりさせたいのは
卑弥呼の時代には大きな変化があったということですそれは、技術者の移動を余儀なくした…
さらに、弥生時代の骨は甕棺の中には残りやすいが、土壌には残りにくいことです。今、やたらに弥生の人骨と言って木棺墓から立派な木片とともに、立派な人骨が出土しています、ある地方で。それも、組み合わせ式の木簡は金属器で加工した「ほぞ穴」のある立派なものです。残らないはずの木材と残らないはずの人骨が相次いで見つかっている…日本はどうなったのでしょう
「日本は酸性土壌なので、人骨は土の中では30年で消える」と、ある骨の研究者は言われました。しかし、日本のある地方では、木棺墓に弥生の全身の骨がごっそり何体も出土しているという、狐につままれたような話が写真集でまとめられています。
どうなっているのですかねえ。
日本の科学はこれでいいのですかねえ…きになります。
では、またお会いします。


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by tizudesiru | 2019-09-10 10:33 | 368 北部九州で弥生文化は花開いた | Trackback

三国志の時代・野方遺跡は卑弥呼の時代に重なる遺跡

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福岡市の野方遺跡では弥生の住居址を展示しています。遺跡の中の溝は環濠でしょうか。奥に見える山は、飯盛山でしょう。平群の山です。今は福岡市になっていますが。早良郡平群村の中心にあったのが飯盛山でした。平群という村名も地名もなくなってしまいました。地名の変更で、歴史は見えなくなるのです。
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野方だって、早良郡額田だったのです。額田が消えて野方となりました。
野方遺跡の近くでは弥生後期の鏡「位至三公鏡」が出土しているそうです。これは、卑弥呼のすぐ後の時代の物だそうです。
野方遺跡には後漢鏡が展示されていました。
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そうそう、「卑弥呼が没した前後の時代」は今では、「弥生後期」ではなく『古墳時代』なのだそうです…が、福岡ではあいまいでほぼ「弥生時代」となっています。福岡では、三角縁神獣鏡は4世紀以降の墓や住居址から出土するのです。ですから、その前の弥生時代には三角縁神獣鏡は出土しないのです。

これは、どういうことですかね。特定の地域が「
三角縁神獣鏡の時代」を3世紀としたのは「間違い」ということですかね。
すると、近畿の古墳時代区分は間違いの上に構築されたということですか。ほんとはどうなのでしょうね。

10月1日から九州国立博物館でも「三国志の時代の展覧会」があります。隣国中国の学者は「魏の鏡として三角縁神獣鏡はありえない」という見解ですから、みんなで「本物の魏の鏡」を見た方がいいのではないかと思います。三角縁神獣鏡とどこが違うのか分かって面白いのではないでしょうか。もちろん、私も楽しみにしています。
この催しは東京国博でやっていましたから、早く見たいと思っていました。縄文展のように、九州はパスされるのかなあと心配でしたが、よかったです。
鏡だけではなく大刀も展示されますから、卑弥呼が魏から下賜された五尺刀がどのようなものだったか、類推する機会になると思います。


ということで、福岡の弥生の様相を調べるのも大事かなと思います。
福岡市の野方遺跡の紹介です。
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見学はもちろん無料です。
福岡市には甕棺墓地を見学できる金隈遺跡もあります。
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ここもなかなか面白いのです。そのうち紹介しましょうね。
ではまた、お会いできますように。

by tizudesiru | 2019-08-27 12:20 | 368 北部九州で弥生文化は花開いた | Trackback


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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181藤原不比等とは何者か(2)
181藤原不比等とは何者か(3)
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188孝徳帝の難波宮を寿ぐ
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194万葉集は倭国の歌
195聖武天皇と元正天皇の約束
196玄昉の墓は沈黙する
197光明子の苦悩と懺悔
198光明皇后の不幸と不運
199光明皇后の深い憂鬱
200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独
201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 九州の古代山城の不思議
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
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325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
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和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫

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