カテゴリ:350九州神社の旅( 8 )

消えた天神社の信仰を「肥後国誌」が語る

熊本といえば、阿蘇山。阿蘇神社の信仰が県内に染みわたっていると思いますよね。
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十年前の阿蘇山、御池に湯が溜まっていました。地震で壊れる前の阿蘇神社の楼門、大変懐かしく思います。これが、横揺れでぺしゃんこになったのでした。

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さて、熊本で人々が古くから信仰したのは、何神社だったでしょうか。阿蘇神社は、大宮司家の氏神でしたから、庶民からは遠かったのでしょうか。
阿蘇一宮1・阿蘇一宮大明神2・阿蘇一之宮1・阿蘇二宮5・阿蘇二宮社1・阿蘇二宮大明神1・阿蘇三ノ宮1・阿蘇三宮社1・阿蘇三宮大明神社3・阿蘇三宮大神宮1・阿蘇四宮3・阿蘇四宮大明神1・阿蘇五社2・阿蘇五社大明神1・阿蘇五宮大明神1・阿蘇六宮1・阿蘇七ノ宮1・阿蘇七ノ宮大明神2・阿蘇十二宮大明神1・阿蘇乙宮1・阿蘇大宮1・阿蘇大神本地1・阿蘇宮12・阿蘇山上宮1・阿蘇山上宮神社1・その他
その数は、全部入れて53か所でした。球磨郡・天草郡は別に編集されているので除かれていました。

では、天神社を見てみましょう。「肥後国誌」の編纂者は、天神社の信仰が今日では失われているとまとめていました。

天子社2・(天)大神宮1・天子天満宮1・天子堂2⇒計6

天社大明神社1・天壐社1・天心社2・天神4・天神宮15・天神社171・天神堂3・その他2⇒計199 索引を載せました。
ただし、上記の数字は、ページを数えたものです。天神社・天神宮は、一ページに数か所掲載されていることが多く、実際の数は、2倍ほどにはなりましょうか。
また、「天神社は、氏神なり」などと、説明のあるものはほとんどなく、ただ祭日が9月15日などとあるのみです。何神を祀ったものか、いつ祀り始めたものか、全くわからないのです、ほとんどが。
然し、天満宮は「宰府より勧請」とか、「誰がいつ勧請した」とか書かれていますので、天満宮と天神宮は似て非なる神祭りなのです。
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流石に天神社関係は多いですね。フム、天満宮も多いです。数えたら173ページもありました。
村の中に、自分たちの氏神として、人は如何なる神を祀ったのでしょう。
知りたくなりますね。
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十年前の阿蘇の五岳です。俵山峠からの写真ですが、この風景は峠越えの道路が完成した時から毎年のように訪れて見続けた絶景です。亡き父母と見た阿蘇の変わらないはずの、幸せな光景でした。
この写真は、東京都生まれの東京育ちというお嬢さんが「故郷を持たない」と言われるので、阿蘇を案内した時に映したものです。この爽やかな風景を紹介した時、十年後のことなど思ってもいませんでしたね。
今さらに、この風景がなつかしいです。時は戻りませんが、記憶とは枯れないものです。
たぶん歴史においても、古代から残された記憶が、今も生きているのでしょうね。

そう思います。



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by tizudesiru | 2018-08-05 20:02 | 350九州神社の旅 | Trackback

日田の山間に高住神社がありました

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高住神社は、山の中にポツンとありました。鳥居をくぐり階段を登ると磐座がありました。
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岩を穿ってお堂が建てられていました。辺りには人家も無く、何を願って人は此処に社を造ったのでしょうか。
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こんな岩の中にいらっしゃる神様はどなたでしょう。
切り石を加工して造られた祭殿は、古いものではないでしょう。然し、木で作られていたものが石に代えられたのでしょうから、それなりの時間は経っていそうです。岩は凝灰岩だと思います。
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高住神社という名称から考えると、英彦山修験道の神社ではないかと云うことでした。高住神社とは英彦山北岳の登り口に在る神社ですが、ご神体は豊前坊です。北岳ではなく、北岳の隣に林立する岩山のことです。
江戸時代は英彦山にはあまたの寺社や宿坊があって、明治になるまで神仏習合の拠点だったのです。しかし、明治以降、かっての賑わいどころか、茶店が若干あるばかりです。
文化の破壊とは、こんなことを云うのでしょうか。


この高住神社は凝灰岩の磐座のようですが、他の磐座はほとんど花崗岩でした。
船石権現とか
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神在の大石とか、
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太田宮の磐座とか、
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どれも見事な花崗岩でした
すると、この高住神社の信仰は、磐座信仰とは別のものかも知れません。
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そうだとしても、小屋が建てられていますから、ここに通って参詣する人が沢山いるということですね。山の中に通う強い信仰があるのです。

では、また。

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by tizudesiru | 2018-07-20 20:45 | 350九州神社の旅 | Trackback

大原神社の元宮を訪ねました

守りてもいなくなった宮地嶽神社
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宮地岳神社は社も壊れてしまい、今は小さな社が跡地を示しています。今は、大原神社の摂社になっているようです。
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日本の神社は、かっては地域の拠所であり結束を深める場でもありました。然し、守る人も集まる人も絶えて行き、社は朽ちて行きました。これから20年もたてば、更に祭の場は無くなるのでしょうね。

宮地岳にお詣りして、元大原神社に行きました。地名もそれらしい「神来」です。
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何度も遷座した大原神社でしたね。ここから現在地の田島の大原神社に遷座したので「元大原神社」と呼んだのだそうです。元の神社跡が守られるのは珍しいと思います。
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社殿は覆い屋で守られていました。ここは750年間も社地であったのです。
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750年前と言えば、鎌倉時代が始まった頃です。いろいろなことがあったのです。

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by tizudesiru | 2018-07-17 20:15 | 350九州神社の旅 | Trackback

日田の総社・大原神社の1300年の歴史

大分県・日田市の大原神社に行きました
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何度か参拝した神社でしたが、宮司さんのお話を聞いたのは初めてでした。

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此の神社は、郷社や村社などのように氏子を持たない神社です。日田盆地の山際に鎮座するのに、所在地は日田市田島一丁目となっています。
祭神はホムタワケ命、大帯姫(オオタラシヒメ)命、比売大神
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『大原神社の起源は、天武天皇白鳳9年(680)、靫負郷岩松峰(日田市天ケ瀬町金場の北)に、宇佐の鷹の居にいます神と名乗る神が現れ、社(鞍尾形の宮)を立てて祀ったのがはじめである。

慶雲元年(704)、杉原の杉下に髪が降りて神がかり、「岩松のの嶺の神」を名のって、杉原が便宜よいので此処に来たと告げたとして、社を立てて祀ったというのが大原八幡宮の前身である杉原宮である。

貞観13年(871)もしくは仁珠念(852)に、当時日田郡司であった大蔵永弘によって、杉原から現在の元宮に遷座され、宇佐神宮より橋本公則を迎えて社司としている。

建久4年(1193)、九州探題大友能直が、東の総社を柞原八幡宮、西の総社を大原八幡宮として鎌倉鶴岡八幡宮の参拝礼式に改めさせたといわっる。

更に、元和10年(1624)日田永山城主石川主殿守忠総により、元宮から現在の位置に遷座された。その際社殿形式に八幡造を用いている。』
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記録に在るだけでも、五度の遷座遷宮が行われたというのですね。
大きな神社は何処も所在地をどんどん変えますから、古代の祭祀線はひけません。

筑後川流域には、久留米市にしても、創建に天武天皇や高市皇子がかかわる神社がありますね。特に天武朝と筑後川流域は関わりが深いのでしょうか。

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大原(大波羅)神社は、広い境内に摂社末社が沢山ありました。
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本殿の真後ろには、大山祇神社がありました。本殿のご祭神にお詣りすると、この神様も一緒に拝むことになるのですね。

珍しい所では、昭和10年(1935)に就役した大日本帝国海軍の最上型重巡洋艦「三隅」の船の上に祀っていた神社は、此の大原神社から分祀されていたと云うことでした。艦名「三隅」が、日田盆地を流れる三隅川に因むと云うことから大原神社が艦上で祭祀する神社に選ばれたのだそうです。

その記念碑がありました。大きな神社は、政治と時代の変化をもろに受けているのです。

では、
天武天皇白鳳9(680)年に何があったのでしょう。特に天武天皇が神力を頼むことがあるとしたら。
 678年(十市皇女急死・筑紫大地震)680年(橘寺火災・金光明経をはじめて宮中で講ずる・皇后の病回復のために薬師寺建立を発願)こうしてみると、皇后の回復を願って、神社建立の発願となったのですかね。それに、筑紫大地震も大きな衝撃だったことでしょう。護国神祭祀も当然です。

文武天皇慶雲元年(704)年、この年はどうでしょう。702年12月に持統太上天皇崩御。翌年は喪に服したでしょうから、年が明けて五月に改元し、文武天皇は心新たに祭祀を始めたかったのでしょうか。

貞観13(871)年、には何があったでしょう。
 869年(陸奥貞観大地震)・870年(大宰少弐藤原元利万呂ら反乱を企てる・上総国で俘囚が反乱)871年(貞観式を頒布)未曾有の大地震・貞観大地震で日本中が震撼としたのかも知れません。民の不安も高まっていました。やはり、天変地異は大きく祭祀に関わるのですね。

建久4(1193)年、これは言わずと知れた政変の後です。
 1192年、源頼朝が征夷大将軍となっています。世の中が大きく変わった後です。神社も次の政治体制に順応しなければならないでしょうね。

元和10(1624)年、これは江戸時代ですね。
 1623年(徳川秀忠、征夷大将軍を辞職し、家光が任じられる)この数年前からキリシタンの取り締まりが激しくなり、宣教師らが多数処刑されています。江戸幕府が政治基盤の安定に奔走していた時期ですから、神社もそれに倣ったのでしょうか。


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赤ちゃんの産毛を治めて無事に成長することを願った祠です。
人々の願いも受け止めながら、大きな神社は生き残って来たのでしょうね。


大変でしたね。


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by tizudesiru | 2018-07-13 16:19 | 350九州神社の旅 | Trackback

新田神社の末社(みささぎ神社)は誰の墓なのでしょう


不思議な神社を訪ねて鹿児島に行きました


地元の女性に案内してもらって、次に行った祠も細い山道を少し登った先に在りました。

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新田神社の末社で中陵神社です。瓊瓊杵尊の妃の陵墓だとか…

神社の階段を登ると全て石で造られた祠がありました。
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ここ、中陵と呼ばれる神社は、明治に石造りになったのです。どうやらお墓の上に建てられた社のようです。社の横の空き地が石柵で囲まれ、意味深な石が置かれていていました。
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江戸時代にはこの場所が守られていたという証の石塔ですね。
本当は誰の陵墓なのでしょう。陵とは、高貴な方の墓をいいますからね。
さて、この小丘の隣にも岡があり、同じような社がありました。
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此処も中陵神社で新田神社の末社でした。先ほどの石祠と同じような祠がありました。
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両者は同じ時期に同じ工人の手によって造られたのでしょうか。どういうわけか、由緒などすべて削り取られていました。どうしたのでしょう。何かあったのでしょうか、不都合なことが。
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この空白に、歴史の転換期があったのです。こんなことを書き残してはいけないとか。
ここは、新田神社の裏手に当たりますし、末社になっていますから、神話の世界に関係する女性のことが書かれていたのかも知れませんね。
では、また。

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by tizudesiru | 2018-07-10 10:16 | 350九州神社の旅 | Trackback

天火明命を祀る川合陵神社にいきました

地元の女性に不思議なところに案内されました。川合陵(かあいりょう)神社です。え?川合陵?
川合陵神社に行きました。

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雨が降っていましたが、薄暗い道を通って山の中の小さな祠につきました。
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案内板がありました。
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川合陵神社(薩摩川内市五代町羽田=旧高城郡水引郷五代村中尾崎)
ご祭神  天火明命(あめのほあかりのみこと)
由緒  川合陵神社は御稜殿とも称され、新田神社のご祭神瓊瓊杵尊の皇兄、天火明命が祀られています。創祀の年月は詳らかならずといえども往古より冠山と呼ばれる高さ二十メートル、周囲五百メートルの山の麓に御鎮座されています。社殿の西方道路を隔てたところにチョッポリ岡といわれる小丘があり、土地の人はこの岡を御祭神の墳慕として以前は木柵を設けて陵域を護持していました。又この丘の頂に立つと不思議な音響がきこえてくるとされ崇められています。社殿の前には御手洗池と呼ばれる小池があり、神社境内には文化年間の石灯籠があります。現在の社殿は嘉永年間に作られました。
          平成十八年 川江みささぎ会
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何とも意味深な言葉が並んでいました。案内板に在るチョッポリ岡は、祠から20mほど離れたの土手のような場所です。
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チョッポリ岡は自然の丘のように見えましたが、たしかに独立した小丘です。
川合陵神社とチョッポリ岡の間に道路と沼がありました。
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沼には葦が繁茂していました。この片側だけ葉のついた葦は、スズテツが取れる湿地に生えるのだそうです。だから、ここは古代鉄製産と関係があるんじゃないかとNさんが云っていました。

ふうん、そうなんですか。と素通りしましたが、全く変なところに天火明命の墓があるのですね。
それにしても、意味深な場所に冠岳がありますね。熊本でも宮崎でも鹿児島でも、冠岳が多いのですが、それは同じような時期に同じような文化を持った人たちがそこに住んでいたと云うことでしょうね。
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では、また。


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by tizudesiru | 2018-07-09 11:25 | 350九州神社の旅 | Trackback

菅原道真は生き延びたのですか?藤川天神の由緒

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鹿児島の菅原神社に行きました。藤川天神と呼ばれている神社です。
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なんと、道真の墓所もあるそうです。
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お詣りさせていただきました。
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裏山は急だったので杉が伐られていました。土砂災害を防ぐためでしょうか。
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一旦神社の鳥居を出て、伝「道真の墓」へ行きます。鳥居の左手近くです。
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それらしい証拠を見つけることはできませんでしたが、小さな盛り土を信じる他ありません。この10mほど先に、また別の墓がありました。
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白太夫(しらたゆう)の墓でした。道真の寵臣として仕え、終身仕えてこの地に没したというのです。
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次に、道真の妻子がはるばる訪ねて来たという伝承の地へ行きました。
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祠は崩れて撤去されたのでしょうね。案内板のみが在りました。
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道長の伝承は、どこどこまでも不思議です。人はなぜこの人に心寄せるのでしょう。
恵まれた才能があったのに、不遇だったからでしょうか。

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梅が香る頃、お出かけください。

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by tizudesiru | 2018-07-07 14:27 | 350九州神社の旅 | Trackback

鹿児島の新田神社に行きました

新田神社に行きました
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この階段を登ると、途中に広場があります。もともと社殿はそこにありました。

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高倉天皇は、源平合戦で壇ノ浦に入水された安徳天皇のお父さんですね。この広場には多くの摂社が残されていました。
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此処の高良神社のご祭神は天鈿女(あめのうずめ)となっていました。さて、広場からまた階段を上ります。
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はい、ここが「天津日高彦火瓊瓊杵尊」の神社です。祖母の天照大神は伊勢に、父の天忍穂耳尊は英彦山に、ニニギ尊は新田神社に祭られたと書かれています。
明治維新で功があったと自負する鹿児島に、ニニギ尊が祀られているのですね。
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子だき狛犬を見て、本殿にお詣りいたしました。
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それから、可愛(えの)山稜に行きました。本殿の裏あたりになりましょうか。
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本殿の裏に回るために少し階段を降りました。

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此処が可愛山稜です。

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ニニギ尊は此処に眠られているのでしょうか。
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by tizudesiru | 2018-07-06 00:13 | 350九州神社の旅 | Trackback


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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6祭祀線と平原王墓ラインから分かること
7祭祀線で読める八女丘陵の古墳のライン
8祭祀線で分かる高良玉垂命の目的
9渡神山から英彦山へ
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11羽白熊鷲と脊振山を結ぶ祭祀線
12祭祀線が明かす羽白熊鷲と古処山
13祭祀線が秘密を示す・九千部山と香椎宮
14国守りの山を祭祀線で考える
15神籠石が教えてくれる古代
16祭祀線で探る六世紀の都
17なぜか神功皇后伝説の空白地
18太宰府と大保と大分
19畿内に近い豪族たち
20魏志倭人伝に出てくる「大倭」とは何か
21七世紀の政変と天智天皇
22天智天皇の十年間
23日本書紀の中の日本
24唐書から見た倭国と日本国
25/26文林朗裴清が見た倭王
27倭の五王の行方
28倭国の空白
29筑紫城の最後
30山岳の名と歴史や文化
31国内最古の暦が刻まれた太刀
32祭祀線と阿蘇山と高良・高千穂
33筑紫舞(宮地嶽神社)
34志賀海神社の山ほめ祭
35栂尾神楽(宮崎県椎葉)
36祭祀線と神籠石から分かること(1)
37祭祀線と神籠石から分かること(2)
38祭祀線と神籠石からわかること(3)
39祭祀線と神籠石から分かること(4)
40祭祀線と神籠石から分かること(5)
41祭祀線と神籠石から分かること(6)
42愛宕山が見た早良国の光芒
43祭祀線が解く仲哀天皇の宮殿
44祭祀線がつなぐ江田船山と筑紫君磐井
45不思議な祭祀線・筥崎宮と太宰府天満宮
46祭祀線で結ぶ高千穂の峰から阿蘇へ
47祭祀線で分かる雲仙が守った首長
48祭祀線で神籠石の謎解き
49宮地岳(阿志岐)古代山城
50祭祀線を使った醍醐天皇の都の守り
51祭祀線で十世紀の国守り
52淡路国伊弉諾神社の祭祀線
53祭祀線で空海の霊力を知る
54出雲大社と熊野本宮大社の祭祀線
55祭祀線と大山古墳の謎
56天智天皇陵と天武天皇陵の祭祀線
57宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ
58石上神宮の視線(祭祀線)
59続石上神宮の視線(祭祀線)
60祭祀線で守る藤原京
61高松塚古墳の被葬者
62石舞台古墳と藤原宮の祭祀線
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64続・あおによし奈良の都の祭祀線
65継体天皇陵墓のラインを読む
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94 金富神社と鉾立山の祭祀線 2
95 金富神社と鉾立山の祭祀線3
96宇佐神宮と北部九州
97宇佐神宮と北部九州・2
未分類
98北部九州のミステリー
102安心院の二女神社
101宇佐神宮と九州の神々
103安心院の妻垣神社
351 九州寺院の旅
104安心院の佐田神社
105大富神社と和気清磨と
106宮地嶽不動古墳
106宮地嶽古墳と石塚山古墳
107寄り道・邪馬台国
108ふたたび香椎宮
109倭国王の侵略
110瀬戸内の神籠石再び
111京都の守り・再び祭祀線
112都を守る天皇陵
113神となった斉明天皇の祭祀線
114天武朝の都の守り
115こんにちは万葉集
116大王は神にしませば
117太宰府・宝満・沖ノ島
118石人山古墳と王塚古墳
119基山とは何か
120九州国博「美の国・日本」
121博物館の『金印祭り』
122宮地嶽神社の筑紫舞
123寿命大塚古墳の被葬者
124宇佐神宮の呉橋を渡る
125「新・奴国展」博物館の諦め
126邪馬台国から倭国へ
127倭国を滅ぼした?国
128倭国の墓制
129?国の墓制・巨石横穴墓
130素材が語る古代Ⅰ・樟
131素材が語る古代Ⅱ・石加工技術
132箸墓は卑弥呼の墓ではない
133ホケノ山古墳
134邪馬台国シンポ・久留米
135阿蘇ピンク石の井寺古墳
136古代の土器焼成
137方保田東原遺跡の庄内式土器
138武士の祭祀線・徳川と足利
139大祖神社と志登神社に初詣
140猫大明神のネコとは
141熊本大震災
142光の道は祭祀線
143大汝小彦名の神こそは
144紀伊國に有間皇子の跡を訪ねて
145和歌山と九州の古墳
146有間皇子の墓は岩内1号墳か
147糸島高校博物館
148光の道は弥生時代から
150草壁皇子を偲ぶ阿閇皇女
151有間皇子を偲ぶ歌
152有間皇子の霊魂に別れの儀式
153有間皇子の終焉の地を訪ねた太上天皇
154 有間皇子は無実だった
155持統帝の紀伊国行幸の最終歌
156人麻呂は女帝のために生きた
157持統帝の霊魂に再会した人麻呂
158草壁皇子の形見の地・阿騎野
159草壁皇子の薨去の事情
160大津皇子の流涕して作る御歌
161天武朝の女性たちの悲劇
163持統天皇の最後の願い
164持統天皇との約束・人麻呂ことあげ
144有間皇子事件の目撃者
165天武大地震(筑紫大地震)678年
166高市皇子と高松塚古墳
167持統帝の孫・文武天皇の仕事
168額田王は天智天皇を愛し続けた
169額田王の恋歌と素顔
170額田王が建立した粟原寺
171額田王の歌の紹介
172糸島の神社
173高市皇子の妃・但馬皇女の恋歌
174高市皇子の死の真相
175草壁皇子の挽歌
176大化改新後の年表
177持統帝と天武帝の絆の深さ?
熊本地震・南阿蘇への道
178天武帝の霊魂は伊勢へ
179天武帝と持統帝の溝
180天智天皇と藤原鎌足
181藤原不比等とは何者か(1)
181藤原不比等とは何者か(2)
181藤原不比等とは何者か(3)
182鎮魂の歌集・初期万葉集
183元明天皇の愛と苦悩
184氷高内親王の孤独
185長屋王(高市皇子の長子)の悲劇
186 聖武天皇の不運と不幸
187難波宮を寿ぐ歌
188孝徳帝の難波宮を寿ぐ
189間人皇后の愛と悲劇
190間人皇后の難波宮脱出
191有間皇子と間人皇后の物語
192軽太郎女皇女の歌
193人麻呂編集の万葉集
194万葉集は倭国の歌
195聖武天皇と元正天皇の約束
196玄昉の墓は沈黙する
197光明子の苦悩と懺悔
198光明皇后の不幸と不運
199光明皇后の深い憂鬱
200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独
201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 九州の古代山城の不思議
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」

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