カテゴリ:314草壁皇子と天智天皇の関係( 1 )

草壁皇子と天智天皇の関係は秘密ではなかった

天智天皇は草壁皇子と義淵を共に岡宮で育てた
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竜蓋寺(岡寺)は吉野の竜門寺と共に義淵僧正が国家の隆泰と藤原氏の栄昌を祈って建立したものであると、「竜門寺縁起」に書かれています。
岡寺(竜蓋寺)には草壁皇子の宮跡を賜って、義淵が寺にしたと伝わります。が、寺の建立の目的が国家と藤原氏のためだったと「竜門寺縁起」はいうのです。ここで分かるのは、義淵と藤原氏を結びつける何かがあった、草壁皇子の宮跡を賜る縁もあった、と云うことです。
また、「竜蓋寺伝記」は、『高市郡に住む津守氏と阿刀氏の夫婦が多年子どもがないので観音に祈ったところ、夜に柴垣の上に白帖に包まれた小児を得、養育していたが、その事を聞いた天智天皇が引き取って日並皇子(草壁皇子)とともに岡宮で育て、やがて長じて義淵になった、その義淵が岡宮を賜って寺とした』と書かれています。
義淵が僧正に任ぜられたのは、大宝三年(703)でした。その数年前の文武三年(699)に義淵はその学行を賞され稲一万束を賜っています。それは、持統太上天皇の目に留まり、「天智天皇の元で草壁と共に育ったあの義淵がここまで成長したのか」という思いの結果だったのでしょうか。

ここで、「天智天皇が育てた」という文言が気になります。以前、わたしは持統天皇と天武天皇が草壁皇子と義淵を共に育てたと思っていました。しかし、「竜蓋寺伝記」では、天武帝ではなく天智帝なのです。
この時代の結婚の形として、娘の生んだ子供は実家が面倒をみたという意味で「天智天皇が岡宮で育てた」と書かれたのでしょうか。では、天智天皇は岡宮に住み、鵜野皇女の実家は岡宮だった? となるのでしょうか。
それとも、「竜蓋寺(岡寺)伝記」は、草壁皇子の父親は天智天皇だったと伝えているのでしょうか。
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義淵は草壁皇子と共に育ち、後に賜った岡宮を寺として「国家の隆泰と藤原氏の栄昌を祈った」と云うことは、藤原氏の後ろ盾があって僧正になったのでしょう。では、藤原氏が「僧正」に義淵を押した理由です、どんなつながりがあったのでしょうか。

藤原氏と義淵を結びつけたのは、やはり天智天皇でしょう。藤原氏は鎌足以来、「藤原」の姓を賜った天智天皇を如何なる時も主上と仰いできました。「天智天皇が育てた義淵」として、僧正に押したと思います。
義淵は神亀四年(727)に俗姓「市往(いちき)」氏を改めて「岡連」の氏姓を賜りました。新撰姓氏録によると、市往(いちき)公は百済国明王の出自で、岡連と共に百済系の人です。
すると、義淵はいつ百済から大和に来たのでしょうか。白村江敗戦後でしょうかね。白村江敗戦後、天智天皇は百済人を多く起用しています。大友皇子に百済人を仕えさせたように、草壁皇子の傍にも百済の少年を置いたのかも知れませんね。


今日の結論として、義淵と草壁皇子の関係から、育てた天智天皇とのつながりはまだはっきりしません。しかし、万葉集を読むかぎり、持統天皇(鵜野皇女)の父親は天智帝とは考えられません。しかし、鵜野皇女の天智天皇に対する思慕は尋常ではありません。それで、父親ではないなら夫だった、草壁皇子の父だったと読んだのです。

万葉集は、その事を隠してはいませんでした。見えなくしたのは、平城天皇です。この事は何度も書きましたね。
今年も、万葉集を読みます。一つの読みで万葉集のほとんどが変わる。その事を紹介したいと思っています。


万葉集は文武天皇の為に編纂された
編纂を命じたのは持統天皇、実働したのは柿本人麻呂
草壁皇子の皇統の正しさを文武天皇に伝えるために、万葉集は編纂された
文武天皇は十五歳で即位しましたから、周囲の政治的状況も十分にはつかんでいなかったでしょう。その困難な政治的状況を生き抜いていくには、ゆるぎない皇統であるという確信が必要だったのです。皇統や血統やどの氏に属するかが何より大切で、それによって地位が決定されるという、血統が財産と同じであった時代ですから。
故に、孫に譲位した持統天皇には伝えたいことがあり、「人麻呂に「遺言としての万葉集を編纂」させたと思います。

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持統→草壁→文武の皇統がどのような運命をたどり、誰の皇統を引き継いだのか、これから誰に受け継がれていかなければならないのか、持統天皇は「近江県の物語」を人麻呂に託したのです。愛する者の為に「皇統の真幸」を願って、歌集を編纂させたのでした。
万葉集で、すぎにし人を意味する「葉(もみじば)」、それはただ一人「草壁皇子」を象徴する詞でした。万葉集で人麻呂は黄葉を「すぎにし人=死者・故人」として使いました。集中に「もみじば」として黄葉・紅葉はあっても「葉」だけで「もみじば」と読むのは、一か所だけです。それは、草壁皇子を意味しました。皇位継承の霊魂に触れる儀式の時に使われた詞でした。
万葉集は、文武天皇に「父・草壁皇子の皇統の真実」を伝えるために編纂されたのです。
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(去年の一月に訪れた岡寺)
岡宮で草壁皇子と一緒に義淵をそだてたのは、天智天皇だった
それは、草壁皇子に教養を身に着けた子どもと共に育ってほしかったからです。父親としての教育の一貫だったと考えられませんか。

そして、天武朝でも、吉野盟約の時も、秘密にしていなかったと思います。少なくとも、持統天皇が生きている間は。
しかし、文武天皇崩御の後、元明天皇が即位する時、大問題になったと思うのです。天武帝の皇統の皇子達が存命中なのに、天智帝の娘の阿閇皇女(元明天皇)が即位するのですから。天武朝の皇統ではない女帝が即位するなんて、壬申の乱で勝利した氏族には我慢ならなかったでしょう。軽皇子(文武天皇)即位の場合は持統天皇の孫としてまだ筋が通りましたが、阿閇皇女(元明天皇)の場合は、誰の目にもにも異例だったでしょう。そこを乗り越えて、なんとか元明天皇が即位しようという時に、万葉集が献じられたとしたら…大混乱になったはずです。
だから、人麻呂は処断されたと思うのです。言霊をつかって世を混乱させようとした、として。
それが、柿本人麻呂の刑死の理由でした。では、また。



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by tizudesiru | 2018-01-03 02:11 | 314草壁皇子と天智天皇の関係 | Trackback


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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203藤原仲麻呂の最後
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204吉備真備の挫折と王朝の交替
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240神籠石の水門の技術
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252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
314草壁皇子と天智天皇の関係
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