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カテゴリ:310法隆寺は怨霊の寺なのか( 1 )

法隆寺は怨霊の寺なのか・隠された十字架再び!

法隆寺・救世観音は聖徳太子なのか
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聖徳太子は実在したのか? その実在をを疑う説があります。推古天皇(女帝)の太子だった厩戸皇子は、日本書紀で活躍しています。しかし、同時代の隋書に残る俀国(倭国)の首長タリシホコは女性ではなく男性であり、しかも「天子」と自称しているのです。俀国から使者も沙門も隋に到達していますし、隋から文林朗裴世清が俀国に来ています。裴世清はタリシホコに謁見したのです。隋書では阿蘇山の詳しい記述もあるし、風俗も詳しく紹介されています。
「日出処天子」から「日没処天子」に国書を出したのですが、隋の煬帝は「無礼だ」と怒り国交は結局絶えたとまで書かれています。さて、日出処天子は、何処に住んでいたのでしょうね。隋書には「竹斯国より以東、皆な倭に附庸たり」ですからね。筑紫より東は、倭国に附属していたのです。

倭王、隋都大興(長安)に使を派遣(600年)

隋書に名前が残る阿毎タリシホコと聖徳太子は同一人物? 別人?
もし、タリシホコが聖徳太子なら救世観音(聖徳太子の姿を写したとされる)を秘仏にした理由は何でしょうね。

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聖徳太子建立とされる法隆寺は670年に焼失した
「日本書紀」によると、天智九年(670)に法隆寺は焼失しました。しかし、西院伽藍には焼失を立証する址はなく、仏像も残っていたので、火災後の再建説と火災はなかったとする説が長く対立していました。しかし、今日では焼失したのは若草伽藍とされ、金堂は天智九年頃の再建で、塔は和銅四年(711)頃に竣工とされています。
不思議なことに、法隆寺(若草伽藍)は一宇も残さず焼失しましたが、飛鳥仏は残りました。

ということは火事の最中に(六七〇年)、に大量の仏像を金堂に運んだのでしょうね。
火災の業火が堂宇に及んでいる時、台座から仏まで持ち出せるほどの怪力を持った僧が数百人かいたとしても、火事場で運び出す人数は足りたと思えないのですが。

再建法隆寺に数多くの仏像が残されたのは何故か
木彫仏の用材は楠なのです。
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観音菩薩立像・勢至(せいし)菩薩立像・伝日光菩薩立像・伝月光菩薩立像(飛鳥時代・七世紀)いずれも樟から彫り出されています
(六観音のうちの四体。観音・勢至の二像は、金堂西の間の阿弥陀如来像の下にあった、そうです。日光・月光の二像は、食堂の本尊薬師如来の両脇に安置されていた、そうです。金堂の本尊は釈迦三尊像です。)

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持国天・多聞天もクス材で造られていますが、肩先・腰の天衣・両沓などは檜材での補修となっています。なぜ、このようになったのでしょうか。台座から全てクス材だった四天王(前日紹介)とは、違いますね。面相も掘りなおしてありますし。
補修の時、近くに樟がなかったか、手に入らなかったのでしょうね。

樟が使われたのは、仏像だけではありません
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薬師如来の台座ですが、請花と反花のみが、クス材です。それも、上座と下座では様式が違っているそうです。
釈迦三尊像の台座も、同じように上座・下座の様式が違う
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請花・反花のみがクス材で、あとは檜材です。下座(したざ)の下框(したがまち)を形成する巨大な檜板は、本来は建物の扉であったものが仏像台座として再利用されたものだそうです。
「樟は日本に現存する七世紀の木彫仏のほとんどの作例に共通する用材である」と、国宝法隆寺展の図録には書かれています。なぜ七世紀だけに? 

七世紀にはわざわざ九州から樟を手に入れることができたが、八世紀になるとできなくなった、のでしょうか。


用材に樟が使われていた理由

わたしは、白村江敗戦後に俀国(倭国)から仏像を運んできたと思います。仏像の用材は産地を示すだけでなく、その製作地も示しているのです。

救世観音も百済観音も、そのほかの法隆寺の飛鳥時代の木彫仏はクス材で造られています。これは、九州で造られたことを示していると思います。クスの北限は福岡市ですから、古代に自然木としての樟は九州にしかないのです。
8世紀になって、近畿では楠材が簡単には手に入らなくなって檜を使用した、檜が思いのほか適した用材だったので、以後仏像に多用されるようになった、のではないでしょうか。

それにしても、明日香から遠い斑鳩の法隆寺に仏像が運ばれたのは何故でしょう、飛鳥でもよかったでしょうに。当時は明日香が京だったのですから、最高の宝物は都(明日香)に置かれるべきです。が、天智帝はそうはしなかった。
天智天皇は斑鳩の地を選んだ、そこに法隆寺を造営して、大量の飛鳥仏を運び入れた、のです。案外、交通の便(大和川の舟利用)が作用したのかも知れません。

それに、すべて死者の持ち物だったから、怨霊の持ち物だったから、封じるために斑鳩を選んだ、その祟りを思うと厚く供養せざるを得なかった、鎮魂の為に一か所に集めた、のでしょうか。
それとも、多くの霊魂を供養するためには多くの仏像が必要だったのでしょうか。
そして、安置されていた元の寺院の伽藍(塔と金堂が東西にならぶ)に倣って西院伽藍を建立したと思います。


霊魂を鎮める寺が法隆寺
東西に塔と金堂が並んだ寺院、金堂と塔が入れ替わる場合もありますが、法隆寺・橘寺・川原寺は伽藍配置が東西だし、同じ目的の寺院でしょうね。
三寺院には、白村江敗戦で怨霊となった高貴な人の霊魂を鎮める務めがあった

今日の結論です

仏像の写真は1994年「国宝法隆寺展」の図録をデジカメで写したものです。
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また、あした。


by tizudesiru | 2017-12-13 16:15 | 310法隆寺は怨霊の寺なのか | Trackback(2302)


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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