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カテゴリ:291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?( 5 )

三角縁神獣鏡はなぜ大量生産されたのか?

三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏から下賜された鏡ではない
最近、既に多くの人がこう考えているようです。
それはそれでいいのですが、では何故大量に生産されたのでしょうか。
三角縁神獣鏡が人気商品だった理由があるはずです。
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弥生時代の甕棺から出土する鏡は、一つの鋳型で一つの鏡しか造らないそうです。しかし、三角縁神獣鏡は一つの鋳型でたくさんの同范鏡を作っているのです。
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同范・同形鏡は全国で出土しています。その供給元が椿井大塚山の被葬者だったというのですが、本当でしょうか。

椿井大塚古墳出土の三角縁神獣鏡と同范・同形鏡を手元の資料でみますと。

天皇日月獣文帯四神四獣鏡、獣文帯五神四獣鏡、獣文帯四神四獣鏡、などなど文様もさまざまですが。

茶臼山古墳(奈良)・奥津社古墳(群馬県愛西市)・備前車塚古墳(岡山市)・秦上沼古墳(岡山県)・西求女塚古墳(神戸市)・長法寺南原古墳(長岡京市)・寺戸大塚古墳(日向市)・石塚山古墳(福岡県苅田町)・赤塚古墳(大分県宇佐市)など挙げられます。
全国の古墳と共通するのですね。それも、大きな古墳から多く出土するというのです。そうなんですね。
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でも、ですね。ちょっと気になることがあります。
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それは、鏡の数ではなく出土地の数です。
確かに、近畿に400面以上の三角縁神獣鏡はスゴイです。黒塚古墳33面、大塚山古墳33面を考えると、二ヵ所で66面になります。では、出土地の数はどうなるのでしょうね。「三角縁神獣鏡辞典(吉川弘文館)」のデータで調べてみましょうか。
ただ、出土地はそのままでいいのですが「伝来品」はどうしましょう。他所から持ち込まれたかも知れないし、偽物として造られたかも知れません。このことも考えてみましょうね。

県名 (出土地の数)#(出土地の中で5面以上の出土地数)*伝来品の数 
鹿児島県 (1)
宮崎県 (3)
熊本県 (0)*伝来3 
佐賀県 (3)
福岡県 (24)
#5面以上3出土数内に沖ノ島の遺跡5*伝来2 
大分県 (3)#5面以上1 *伝来3 
愛媛県 (2)
香川県 (5)*伝来1
徳島県 (2)*四国の伝来1
山口県 (4)*伝来1
島根県 (5)
鳥取県 (5)*伝来1
広島県 (5)
岡山県 (8)#5面以上 *伝来2 
兵庫県 (20)#5面以上 *伝来2 
和歌山県 (1)
大阪府 (17)#5面以上 *伝来3 
京都府 (15)#5面以上 *伝来6 
奈良県 (16)#5面以上 *伝来16 
滋賀県 (7)
三重県 (6)*伝来4
福井県 (1)*伝来1
石川県 (0)*伝来1
岐阜県 (8)#5面以上 *伝来4 
愛知県 (8)*伝来3
静岡県 (8)*伝来1
長野県 (2)
山梨県 (2)*伝来1
神奈川県 (2)
千葉県 (2)
埼玉県 (1)
茨城県 (0)*伝来1
群馬県 (6)*伝来2
福島県 (1)
出土地不明 (42)

*福岡の場合、沖ノ島では16号,17号,18号、御金蔵など出土遺跡がことなっています。

こうして見ると、福岡・兵庫・大阪・奈良・京都が多いようですね。これは、三角縁神獣鏡のデータです。古墳時代になって、鏡の生産を担ったのは何処なのでしょう。弥生の鉄も銅鏡も出なかった地域に鏡造りが急に盛んになったのなら理由があるでしょう。鏡を持つことで氏族の家格を引き上げたとか…でしょうね。

経済力を持ち権力を手にした氏族が次に求めるのは、高貴な血統と家柄の格上げでしょう。鏡は古代王家のシンボルであり、光り輝く物でした。威信財として、魔よけとして、家格の向上の為にも必要だったのでしょう。
鏡を多く手にした氏族は新興勢力だったと云うことです。そして、其の鏡の材料として北部九州の銅鏡や銅剣・銅矛・銅戈が持ち込まれて熔かされたと思います。
だって、伊都国の平原王墓でも分かるように、鏡の大量副葬は王墓級では当たり前のことでしたから、それに倣おうとしたのでしょう。

椿井大塚山の被葬者が鏡の生産に携わったかどうかはわかりません。ただ、彼は他の古墳群と離れた木津川の畔で氏族の栄華を願い、ひたすら鏡を集めていたと云えると思うのです。鏡制作者を集めたという可能性も否定はできませんね。わたしはその結果として様々な地域との同范同形鏡が手もとに集まったのだと、思うのです。

では、鏡を作っていたのは何処の誰なのでしょう。
銅製品を早く弥生時代から加工していたのは、北部九州でした。

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30面以上の漢鏡を副葬していた須玖岡本遺跡の王墓があった春日丘陵は弥生の工場地帯でした。57面の前漢鏡を副葬した三雲南少路王墓のある伊都国にも、産業があったのです。
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そこでは銅製品も作っていました。春日市では弥生時代の初期に移入したとされる多鈕細文鏡の鋳型が破棄された状態で出てきています。大事な鋳型を残したら技術を盗まれるからでしょうか。ただ、広形銅矛の鋳型は、時代が不必要としたので捨てられたのでしょう。弥生の終わりに突然に埋納された銅矛たちの鋳型です。春日市でも鋳型が出土しています。

弥生集落の発掘調査によると、北部九州では政治的大異変が起こったようです。弥生集落が突然捨てられました。人々は生活道具を周濠に捨て、又は家屋にそのまま残して何処かへ去りました。大型甕棺の時代に忽然と人々が消えたのです。文化的にも栄えていた時に、何かがあったのです。弥生集落の遺跡はそこが捨てられた時代を教えています。福岡平野でも、南の筑紫平野でも、同じように集落が捨てられました。捨てられた理由は地震でも洪水でもありません。福岡平野も筑紫平野も農業用地としては一等地が捨てられているのです。

銅製品製作の技術を持った人々は何処へ行ったのでしょうね。
大型甕棺の製作技術を持った人々は何処へ去ったのでしょうね。
わたしは技術を持った人々は何処に行っても歓迎されたと思います。
彼らは、新天地で自分の生業に汗を流し励んだことでしょう。そして、権力者に取り込まれていったと思います。

この人々の移動を引き起こした政治的大事件が、倭国大乱の後の卑弥呼の死であり狗奴国との戦争だったと思います。つまり、史書に残る倭国の中心地は北部九州にあり、そこから人々が拡散して行ったと思うのです。

また、明日。


by tizudesiru | 2017-10-23 01:41 | 291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は? | Trackback

三角縁神獣鏡を製造した?椿井大塚山古墳

椿井大塚山古墳に行きました
三角縁神獣鏡を製造した首長の墓?

椿井大塚山古墳の被葬者が、王権の委託を受けて三角縁神獣鏡を製造したと、いう説がほぼ定説です。この古墳を線路が横断していますので、前方部と後円部は線路で分断されています。
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だから、時々電車が通ります。
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ここは、木津川市の椿井大塚山古墳です。
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では、大塚山に登ってみましょう。線路のガード下を通って、墳丘に登ります。
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ここを上って行くと、後円部につきます。
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周囲は竹林になっていました。
山城の二大古墳群は、乙訓古墳群と久津川古墳群です。木津川古墳群の椿井大塚古墳群(全長75m)は少し離れた所にあります。
南部の比較的小さな古墳群の中に椿井大塚山古墳はあります。
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地図の一番南に在ります。木津川がカーブして北上する辺りです。
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では、鏡のことはまた明日。



by tizudesiru | 2017-10-20 22:47 | 291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は? | Trackback

続・黒塚古墳の三角縁神獣鏡


黒塚古墳にいきました



黒塚古墳の三角縁神獣鏡の続き

黒塚古墳は三角縁神獣鏡が33面出土した古墳でした。33面は棺外に置かれていましたね。戦後には「卑弥呼の鏡」として話題を呼びましたが、大量に見つかってしまった上に棺外に置かれていたので、これら三角縁神獣鏡が中国からの下賜品とは考えにくくなり、今では「三角縁神獣鏡」に考古学者でもふれない人が多いということです。が、今でも三角縁神獣鏡の中でも出来のいいものは「舶載品」出来の悪いものは「国産品」と分けられて論じられてもいるのです。
最近、ちまたでは三角縁神獣鏡の代わりに、「画文帯神獣鏡こそ卑弥呼の鏡だ」と主張されているようです。
黒塚古墳でも画文帯神獣鏡は棺内にありました。
では、昨日の続きで33面の鏡の残りの写真を紹介しましょう。
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こんな33枚の三角縁神獣鏡が棺外に置かれていたのですね。そして、画文帯神獣鏡は,棺内に置かれていました。
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この画文帯神獣鏡は13.5cmと小さいのです。が、棺内に置かれていたと云うことは、大変意味のある鏡なのでしょう。
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三角縁神獣鏡の出土は、奈良も京都もダントツですね。それは、一つの古墳に出土する数が多いからですが、この地域の首長はどうしてたくさん副葬することを願ったのでしょうか。理由があるはずですよね。
①鏡を副葬することは弥生時代から九州の首長のステイタスだった。鏡や武器はステイタスシンボルとして憧れの威信財だった。その思想が畿内に伝播した。
➁鏡製造の技術を持った集団が、何らかの理由で東へ移動した。そこで、生業にしてきた鏡作りをして地域の有力者と取引をした。銅を手に入れる手順を熟知していた。
③鏡や威信財を手に入れた首長達は、近隣の首長より多く手に入れようとした。
④祖先の葬送のしきたりの鏡・刀・剣などの武器や武具を埋葬する習慣を強調するために、大量に副葬品として墓に入れた。
と、なるのでしょうか。

500面近くの鏡の材料(銅)は、どのようにして手に入れたのでしょうね。輸入するにしてもそうそうには大量の銅は手に入らないでしょうし、それは大量の鉄にしても同じでしょう。
古墳時代になって、近畿で鉄製産が爆発するにしても、その技術者が全くいなかった(鉄の出土のない)地域に「鉄生産が急に始まる」には、理由が必要でしょう。ミステリーではありません。歴史的な意味や理由があるはずです。
古墳や石棺に朱を塗る習慣も九州が発祥ではありませんか。
埴輪を赤く塗るのも、九州の弥生の祭祀品の丹塗土器の伝播ではありませんか。九州で朱やベンガラが使われなくなった後に、近畿で朱が使われるようになったと考古学の先生から聞きましたが、そうだろうなと思いました。
その時、近畿の銅鐸は、九州から持ち込んだ鏡を鋳つぶして造ったとも聞きました。

いろいろ聞いて思う事は、三角縁神獣鏡も最初は九州で生産されたのではありませんか、という簡単なことです。



by tizudesiru | 2017-10-19 20:00 | 291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は? | Trackback

黒塚古墳の三角縁神獣鏡


黒塚古墳に行きました
三角縁神獣鏡を見ました

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資料館では黒塚古墳の竪穴式石室を再現していました。正面からも上からものぞくことができます。三角縁神獣鏡が棺外に並べられていたことがわかりますね。
ここは写真撮影はOKでしたよ。
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18号を写していないようです。
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33枚はやや多いので、次にまわします。
また、後で。




by tizudesiru | 2017-10-18 14:46 | 291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は? | Trackback

三角縁神獣鏡を33面も副葬した黒塚古墳

黒塚古墳に行きました

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春に行ったときは資料館が閉館していましたので、再度、夏に行きました。
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後世に城が造られているので、元々どんな古墳だったのか分からないのです。
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後円部の縁を廻って前方部から墳丘の上に登りました。
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墳丘の頂上は平らになっていて、石室のようすが陶板で紹介されていました。
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周囲を全部見渡せる位置に墳丘墓は作られていました。
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木が高くて十分に辺りが見えませんでした。辺りには大型古墳が揃っているのです。
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ここは三角縁神獣鏡が文様もはっきり残っています。資料館内には古墳石室が原寸大に復原されていました。大きな木棺あとでした。
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三角縁神獣鏡は棺外に置かれていたのです。鏡の力で棺を守ったのでしょう。
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黒塚古墳の時代は、まだまだ鏡の力が墓に必要だと考えられていたのですね。
それも一枚じゃ心細かった、できる限り手に入れようとした、のですね。
鏡の紹介は、次にまわします。

では、次回お会いします。



by tizudesiru | 2017-10-17 12:28 | 291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は? | Trackback


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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24唐書から見た倭国と日本国
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28倭国の空白
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106宮地嶽不動古墳
106宮地嶽古墳と石塚山古墳
107寄り道・邪馬台国
108ふたたび香椎宮
109倭国王の侵略
110瀬戸内の神籠石再び
111京都の守り・再び祭祀線
112都を守る天皇陵
113神となった斉明天皇の祭祀線
114天武朝の都の守り
115こんにちは万葉集
116大王は神にしませば
117太宰府・宝満・沖ノ島
118石人山古墳と王塚古墳
119基山とは何か
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123寿命大塚古墳の被葬者
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151有間皇子を偲ぶ歌
152有間皇子の霊魂に別れの儀式
153有間皇子の終焉の地を訪ねた太上天皇
154 有間皇子は無実だった
155持統帝の紀伊国行幸の最終歌
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157持統帝の霊魂に再会した人麻呂
158草壁皇子の形見の地・阿騎野
159草壁皇子の薨去の事情
160大津皇子の流涕して作る御歌
161天武朝の女性たちの悲劇
163持統天皇の最後の願い
164持統天皇との約束・人麻呂ことあげ
144有間皇子事件の目撃者
165天武大地震(筑紫大地震)678年
166高市皇子と高松塚古墳
167持統帝の孫・文武天皇の仕事
168額田王は天智天皇を愛し続けた
169額田王の恋歌と素顔
170額田王が建立した粟原寺
171額田王の歌の紹介
172糸島の神社
173高市皇子の妃・但馬皇女の恋歌
174高市皇子の死の真相
175草壁皇子の挽歌
176大化改新後の年表
177持統帝と天武帝の絆の深さ?
熊本地震・南阿蘇への道
178天武帝の霊魂は伊勢へ
179天武帝と持統帝の溝
180天智天皇と藤原鎌足
181藤原不比等とは何者か(1)
181藤原不比等とは何者か(2)
181藤原不比等とは何者か(3)
182鎮魂の歌集・初期万葉集
183元明天皇の愛と苦悩
184氷高内親王の孤独
185長屋王(高市皇子の長子)の悲劇
186 聖武天皇の不運と不幸
187難波宮を寿ぐ歌
188孝徳帝の難波宮を寿ぐ
189間人皇后の愛と悲劇
190間人皇后の難波宮脱出
191有間皇子と間人皇后の物語
192軽太郎女皇女の歌
193人麻呂編集の万葉集
194万葉集は倭国の歌
195聖武天皇と元正天皇の約束
196玄昉の墓は沈黙する
197光明子の苦悩と懺悔
198光明皇后の不幸と不運
199光明皇后の深い憂鬱
200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独
201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 九州の古代山城の不思議
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ

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