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熊本県立博物館には鍍金された神獣鏡がある

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熊本県立博物館は、熊本城内にあります。熊本地震で被害を受けた熊本城は修復の真っただ中です。
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今日は、熊本市博物館の金メッキの銅鏡を紹介します。日本には金メッキされた銅鏡が三面あります。一つは福岡県の一貴山銚子塚古墳出土の鏡、二つ目は熊本県のあさぎり町の才園(さいぞん)古墳出土の銅鏡、三つ目は出土地の分からない銅鏡で大阪にあったと思います。そのなかで、八面の鏡を出土した一貴山銚子塚古墳は未盗掘でしたが、被葬者の頭の近くに置かれていたのが鍍金の銅鏡でした。足元に置かれていたのが三角縁神獣鏡でした。
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才園古墳の鏡は、見ての通り画文帯神獣鏡ですか。小さいです。初期の古い鏡はみんな小さいですね。是もそうでしょうか。三角縁神獣鏡のように大きな鏡は、後の時代の鏡なのでしょうね、と、素人は思います。そこで、説明版を読んでみました。
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才園古墳出土鏡は直径11・7cmの「鍍金求心式神獣鏡」です。昭和33年(1958)に国重要文化財に指定された時に「鎏金獣帯鏡」の名称がつけられましたが、現在の鏡式名としては求心式神獣鏡に該当します。
特徴として、乳を伴わない神獣像配置、画文帯の中に存在する銘帯、鍍金などが挙げられます。神獣像配置は全体として「伯牙弾琴」の故事を描いた構図とみなされます。銘文は時計回りに半円方形帯の方形銘に「吾作明竟 幽涷三商 彫刻無師」の文字があり、外区の銘文帯には「吾作:明竟 幽涷三商 彫刻無・ 大吉羊 宜候王 ・富昌 師 百牙楽衆神見容 命長」と刻まれています。
鍍金は鏡面側を除く鈕上面から縁の側面まで鏡背全体にあります。
この鏡は中国鏡で、三世紀ごろの鏡を元に五世紀代に鋳型をつくって新たに製作されたものでしょう。小型鏡ですが、鍍金鏡という点で小型鏡全般より上位に格付けされていたとみられます。豪華な金銅製馬具類にも遜色のない、貴重な鏡として九州南部の内陸交通の要衝である人吉盆地の有力者に、近畿中央政権から贈与されたと考えられます。

そ、そ、そうですか。どんなにお金持ちの政権だったのでしょうね。こんなものを簡単に贈れるなんて。
求心式とは、神と神獣の像が放射状に配置されているということです。三角縁神獣鏡などは一方向に向けて像が配置された上下が判る鏡があります。求心式はどのような方向にも向けてもいいということですかね。
画文帯とは、漢字が模様のように並んで鈕の周りに配置された帯状の区域です。漢字は、この鏡を持つ王には幸せが訪れ長生きするという内容です。鍍金は鏡面にはないそうです。鏡面まで鍍金してしまったら、鏡の用はなくなりますからね。
そういえば、一貴山銚子塚古墳の鍍金鏡が、京都大学から福岡県に里帰りしていました。小林行雄さんが発掘に関わったので、福岡のお宝を京都大学が持って行ったのですね。地元に返すべきだとは思いますが、ひとまず、里帰りしていました。写真はダメでしたが、しっかり見せていただきました。
昔の発掘では、他者の土地を発掘しても所有権は発掘した側にあったのでしょうか。土地の所有者にも自治体にも何の権利もないのでしょうか…それなら、発掘した側の姿勢によっては、地域の宝は流出してしまうということですかね。
糸島市の平原王墓は、原田大六氏が掘ったので、遺物は糸島市に残って国宝になりましたね。
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才園古墳は小円墳で、内部の横穴式石室からは金色に耀く鍍金鏡や多数の馬具、玉類などの装身具、直刀、刀子、土器など全体で130点以上の遺物が出土しました。それらは昭和33年(1958)に、国指定重要文化財になりました。
熊本県内では黄金製品の出土例として、国宝の銀象嵌銘大刀や金製垂飾付耳飾、金銅製の冠帽や飾履、銅鏡、甲冑類、馬具等が出土した和水町の江田船山古墳があります。時代が進むにしたがって、金銅製品が出土する古墳は多くなります。
上記のように、パネルに説明されていました。
才園古墳は、小円墳なのですね。鍍金鏡が小さな古墳にあったことに驚きますが、その意味を考えると、王権からの下賜品ですか……。
大きな水害をもたらした球磨川の上流の盆地に、弥生時代の遺跡から見事な免田式土器が出土しています。此処には、縄文・弥生からの文化と経済基盤があったのですね。それは、食料を中心とした経済ではないでしょう。宮崎と鹿児島と熊本をつなぐ流通の基点というのは確かでしょうね。
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ではこの辺りで、失礼します。

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by tizudesiru | 2020-12-02 10:12 | 381九州の古墳の不思議と謎 | Trackback(1)
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288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
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293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
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303額田王は大海人皇子をたしなめた
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309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
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311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
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324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
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331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
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356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
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