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大伴卿、基山にて悲しみの霍公鳥を読む・家持十一歳

神亀五年(728)年、大伴旅人は正妻の大伴女郎を亡くしました。
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旅人は三位以上の卿でありましたから、妻の死去に対して朝廷から勅使がたてられました。
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勅使が喪を弔った後、大宰府の官人や諸卿もろもろが基山に勅使を案内して饗応したようです。儀式が終った後に、勅使を基肄城(基山)に案内し眺望をたのしんだのです。そこには大宰府を守る古代山城(朝鮮式山城)がありました。
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基肄城・基山には土塁が築かれ、瓦ふきの城門もありました。
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・確かに、筑後も筑前も肥前も眺めることができます。
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勅使が歌を詠んでいます。旅人も答えました。
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旅人は基山で何を思ったでしょう。
写真は2016年ごろのものですから、少し古いです。ご容赦。

基肄城

タグ:基肄城 ( 3 ) で、次のような内容でアップしています。




by tizudesiru | 2020-04-20 09:10 | 375大伴家持、万葉集最終歌への道 | Trackback


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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274 古代の測量の可能性・飛鳥
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276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
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292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
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296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
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308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
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311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
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317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
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和歌山に旅しよう
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329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
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332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
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346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
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348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
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359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
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362武内宿禰とは何者か
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367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
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369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
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