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魏志「倭人伝」の女王国は九州にあったのではないか

魏志倭人伝に記述された女王国はどこでしょう。魏と交流があったのなら、なんらかの痕跡が残っているはずです。
魏の武帝とされる曹操(220年没)の墓に副葬されていたという鉄鏡があります。その鉄の鏡に似ている鉄鏡が日田市のだんわら遺跡で出土したというのです。それが「金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡」で、9月に新聞に報道されて注目を浴びました。三国志展が太宰府で開催される数日前のことです。
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金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡を発見した渡辺音吉さんはすでに亡くなっていますが、彼は自分の家の裏から土取り作業中に鏡を見つけたのでした。それを錆びないように湿気を避けようと石灰をまぶして小学校に寄付したのです。それが小学校から盗まれて行方不明になっていたところを考古学者が骨董品店から買い取ったということでした。
そこで、渡辺さんが「鉄鏡には石灰をまぶしていた」と証言し、鉄鏡を調査したところ石灰が付着していて、小学校から盗まれたものだということが判明したのです。
魏志「倭人伝」の女王国は九州にあったのではないか_a0237545_21021410.png
弥生時代や古墳時代の遺跡から出土した鏡の総数は、現在6000面ほどにもなるそうですが、鉄鏡は10面にも至らないとのことです。日田出土の鉄鏡は相当に意味のある遺物となります。
この鏡は石棺の中から出土したそうで、他にも鉄刀や轡(くつわなどの馬具が副葬されていたそうです。すると、古墳時代のものとなりましょうか。ほかにも、帯金具や金錯鉄帯鉤などもあります。
三国志の時代ではないようです。(このブログ「352 日田を歩いたら見える見歴史の風景」で渡辺さんの家を訪ねたことを取り上げています。)
それにしても、金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡が貴重なものであることに変わりはありません。
日本製か、中国製か、日本製なら象嵌の技術はどこから来たのか、などなど謎が深まることでしょう。そう思ったら…
残念ながら、その出土地がはっきりしないので考古学的な価値が薄いそうです。そんな馬鹿な‥‥この鏡が出土したのは日田に違いありません。考古学に関係ない渡辺さんに嘘をつく意味はありませんから。鏡は貴重だと思ったけれど価値の程度が分からず小学校に寄付したのですから、何の欲もなかったのです
日田の鉄鏡が魏の王侯の鏡と関係があるとしたら、どうなるのでしょうね。

さて、話を弥生時代の後期に戻します。三国志の時代です。
倭人が魏との交流を求めたのであれば、当然、彼らは航海技術にたけていたでしょうし、あこがれの国の文物をまねたでしょう。
倭人の武器も剣から大刀に変わったでしょう、三国志の時代の武器は素環頭太刀でしたから。そして、戟という「ト」の字に似た武器を使ったかもしれません。(戟を捧げ持った騎乗兵の像が三国志展に出品されていました。)よく似た武器が、福岡県の津屋崎古墳群から出土しています。九州の組み合わせ式石棺から素環頭太刀が、一貴山銚子塚古墳からは素環頭太刀や金メッキの後漢鏡が出土しています。
やはり、大陸の武器にあこがれたのでしょうね。
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それから
「三国志の時代展」が九州国博に移動して、秋10月から大宰府で展示が始まりました。(2020年1月の5日まで展示の予定と聞いています。)
展示物にはいろいろな興味を誘うものがあるのですが、中でも女王国とかかわった人物・王頎の名が刻まれた石碑が、気になりました。
魏志「倭人伝」の女王国は九州にあったのではないか_a0237545_14420949.png
毋丘倹紀功碑(ぶきゅうけんきこうひ)という吉林省で発見された石碑の一部です。
一行目に「正始三年(242)に高句麗が背いた」とあります。
正始五年から六年(244~5)にかけて、魏の将軍の毋丘倹が高句麗に侵攻し大勝利をおさめ、征服地の三か所に碑を建てたという、その碑の一つです。王頎はその将軍の一人でした。
六行目は「行碑将軍領玄菟太守王頎(こうひしょうぐんりょうげんとたいしゅおうき)」と推定されています。
王頎はこのあと帯方太守となり、倭女王卑弥呼と魏の外交を仲介しました。
おりしも狗奴国との関係が悪化していたので、卑弥呼はその仲介を帯方太守に頼んだのです。そして、告諭を受け「卑弥呼以て死す」となったのでした。卑弥呼が相談した相手の王頎は軍人です。王頎は、どうすれば相手を攻略できるかを考える立場の人ですから、戦略として卑弥呼の死を判断したのでしょう。告諭によって卑弥呼は死にました。

三国志の時代は、ちょうど、世界的な寒冷期で世界中が飢えていました。中国でも黄巾の乱が起こり、五斗米道や太平道が浸透したのも社会不安からでした。卑弥呼が魏を宗主国として敬ったのは、魏の武王・曹操が大飢饉で飢えていた人々に土地を与え開墾を進めたからではないでしょうか。この屯田兵政策で飢えが改善されたのです。
女王国では寒冷化による飢饉がで繰り返されていたでしょう。新羅本紀には
「193年、倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来」と記録されています。渡海の危険を承知して新羅に渡ったということは、近隣の諸国も飢えていて何処も頼れなかったからでしょう。列島の何処もが飢饉で飢えていた、だから狗奴国と女王国は衝突したのです。
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新羅本紀を見るとなんだか変で、倭人の行動に矛盾が見られます。
208年、飢饉で千人もの人々が頼りにした新羅に、倭人が侵入しているのです。なぜでしょう。
173年には、『倭女王卑彌呼、遣使来聘』と書かれていますから、卑弥呼は友好のために使者を送っていました。その友好国に侵入するとは…
208年に避難民を受け入れた新羅に倭人が侵略した時、まだ、卑弥呼は女王として生きています。
卑弥呼は248年に没していますが、それまでに232年・233年と、倭人と倭兵が新羅を侵略しているのです。この新羅本紀の矛盾は、どう説明すればいいのか。
それは、「倭人・倭(国)・倭兵」は違うということです。国として行動したのか、各地の倭人として行動したのか、国の兵隊として行動したのか、意味が違いましょう。233年・289年・292年・294年は「倭兵」ですから、国の兵隊が侵略したということになります
倭兵と呼ばれる以上「国によって組織された集団」です。
それは、女王国からの派兵でしょうか。そうでないなら、何処から?
候補として狗奴国があります。狗奴国は、女王国と対立する強国でした。もちろん、武器を持たない地域は侵略などできないし、渡海してまで侵略はしませんね。
残念なことに、狗奴国も鉄を持った地域だったことになります。
すると、鉄を持っていた地域が対立したのですね。
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それでも、邪馬台国は近畿だったとなるのでしょうか‥‥



by tizudesiru | 2019-12-14 23:44 | 373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ | Trackback(26)
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地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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192軽太郎女皇女の歌
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202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
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209石舞台・都塚・坂田寺
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212中大兄の遅すぎる即位
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216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 九州の古代山城の不思議
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授柿本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
374令和元年こそ万葉集を読み解こう
375大伴家持、万葉集最終歌への道
376神社一人旅はいかがですか
377花の写真はいかがですか
378杵島曲が切り結ぶ有明海文化圏と関東
379万葉集巻二十は鎮魂と告発の歌巻
380関東の神社は、政変を示しているのか
381九州の古墳の不思議と謎
382松浦佐用姫は何故死んだのか
383令和三年の奇跡を祈りましょう
384歴史は誰のものか・弥生から古墳へ 
法隆寺
大塚初重氏の仕事
385万葉集を片手に旅ゆけば
386今城塚古墳の謎・物語が見えない
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