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今も謎のまま淡路の伊弉諾神宮の祭祀線

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古い伝えの神社に参拝した後に、この神社の創建はいつだろうかと思います。福岡の箱崎八幡宮のように由緒に927年と創建年代が書かれていることもありますが、ほとんど不明とか2000年の歴史があるとか書かれていて戸惑います。古事記や日本書紀を持ち出される神社もありますが、どちらも八世紀の文献で、編纂を命じた為政者の主張に合わせて編集されていますので、公正な歴史と扱うわけにもいきません。それでも、個々の神社の由緒や伝承は大切な過去を教えてくれる資料です。
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そして、およその時期は祭祀線で想像することができます。
祭祀線とは地図上に引く架空の直線です。神社の鳥居や本殿が御神体山の山頂に向かって真っすぐ連なるなどの直線です。
祭祀線という言葉が耳慣れない頃の話ですが、地図を見ていて神社や古墳や山の山頂が一直線に並ぶということに気が付きました。嘘だろうと思って国土地理院の五万分の一の地図を買いに行って張り合わせて確かめましたが、やはり多くの古社や古墳が並ぶのです。地図上の有名どころが並ぶので驚きました。それから、各地の地図を買い調べました。やがて、ネットの国土地理院の地図検索で調べていましたが、国土地理院のサービスが変わって使いにくくなったので、グーグルアースで確かめるようになりした。
知り合いには理解してくれる人がいなかったのですが、ある日、ネットで伊弉諾神宮の祭祀線を見つけたのです。このブログに2012年に「52淡路国伊弉諾神宮の祭祀線」を投稿しています。
今回、懐かしくなって10年ぶりに友人に会うような気分で、淡路島の伊弉諾神宮を尋ねました。


本殿に向かって歩いていくと、左の空き地にそれはありました。
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綺麗に掃除された祭祀線のいしぶみでした。
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以前は、だれに会っても祭祀線の話をしました。
祭祀線の話をすると、「そんな何百キロも離れた点と点を結ぶ技術は古代にもあったのか?」 と質問されました。確かに、私も聞きたいです。私は「山当て」を使えば、「三本の棒と糸で点と点を結び直線を引くことはできる」と、説明はしました。それは見える範囲ですから、何百キロも離れると、次の山に行って山当てをして距離を伸ばしていかなければなりませんが、不可能ではありません。
しかし、伊弉諾神宮のいしぶみは、対馬の海神神社や九州の高千穂神宮など目測では測れない神社ばかり、日の出・日没のライン上に挙げられていました。
これが事実なのか知りたいので、私はグーグルアースで調べました。それはほぼ正確でした。2012年にこのブログ「52伊弉諾神宮の不思議」ですでに紹介しています。
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いしぶみには、次のように書かれています。

伊弉諾神宮の神域は 日本書紀に「伊弉諾尊功既畢霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長陰者」 古事記 伊勢本に「故其伊邪那岐大御神者淡路之多賀也」と記される神跡で伊弉諾大神が御神功を果たされ、淡路の多賀に幽宮を構築して余生を過ごされた故地であり、北緯三十四度二十七分二十三秒の緯度上にある。

 當神宮の創始は神代に遡り、伊弉諾尊の宮居跡に営まれた神陵を期限とする最古の神社である。また日本書紀「仍留宅於日之少宮」の記述があり、伊弉諾尊の太陽神としての神格を稱へ 御子神である天照皇大御神の差昇る朝日の神格と対比する日之少宮として 御父神の入り日(夕日)の神格を表現してゐる。因みに

全国神社の本宗と仰ぐ伊勢の神宮(皇大神宮)は、この神域の同緯度上に鎮座し、更にその両宮を結んだ中間点に最古の都「飛鳥宮藤原京」が営都されてゐるのである。


専門家の協力を得て當地から太陽軌道にあたる極地にあたる方位を計測すると夏至、冬至、春秋仲日の日の出と日歿の地に神縁の深い神々が鎮座してゐることを次の通りに確認することができた。緯度線より北への角地二十九度三十分にあたる夏至の日の出は信州の諏訪湖(諏訪大社) 日歿は出雲大社日御碕神社への線上となる。春分秋分は伊勢の神宮から昇り海神神社(對馬国)に沈む。南への角度二十八度三十分にあたる冬至の日の出は熊野那智大社(那智の大滝)日歿は天孫降臨伝承の高千穂嶺(高千穂神社・天岩戸神社)となるのである。(いしぶみの説明文)

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今、私が思うことは、この祭祀線は延喜式で国が奉幣する式内社が決められた10世紀以降のものだということです。
まず、祭祀線の引き方が新しいのです。
古代に祭祀線を引くとしたら、棒と糸で見える範囲を使ったでしょう。
いしぶみを見ると、藤原宮は引けるでしょうが、伊勢はかなり大変です。冬至の日の出の方向の那智大社は紀伊山地を越えて無理して引けないことはないかもしれません。しかし、九州と對馬はどうでしょう。
太陽と星の高度が図れるようになって、陰陽師が計算するようになって、それを仕事とする集団ができて、初めて実現するでしょう。さらに、高千穂神宮・那智大社・出雲大社・海神神社が国守りの神社として奉幣を受けるようになっていなければなりません。何も関係ない神社は選ばれません。それらが整うのは九世紀、十世紀ではありませんか。
さらに、伊勢神宮以外の諏訪大社・那智大社・出雲大社・伊弉諾神宮など一宮で、延喜式の名神大社です。延喜式で神社の格式や仕組みや神官の地位などが整えられていく中でできてきたとしか思えません。
しかし、祭祀線は10世紀でも、神社はもっと古いのです。
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ご本殿の右奥に楠の樹が見えます。楠が祀られているのです。
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楠が自然にはえる北限は、九州の福岡市です。この神社は楠を祀っていますから、
九州の古神社と同じようにクスが御神体だったかも知れません、神社の始まりのころは。
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夫婦大楠と淡路祖霊社が並んでいます。
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御祭神は、時代が変わり為政者が変わると入れ替えられていくので何とも言えません。が、祭祀が始まったのは古く、九州との関係が臭いますね。
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では、祭祀線を再度確かめてみましょう。伊勢神宮と海神神社からです。
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右下は伊勢神宮、以前引いたラインなので空地にラインが集まっているようですが、遷宮されて社が移動しているのです。もし、このラインが祭祀線として引かれたものであるなら、記紀に表現された神話が一般化し、王家の祖先は高千穂に天下り神武天皇が紀伊国からヤマトに入ったという神話と、更に大国主の国譲り神話が成立していることが前提となります。
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じょうずに記紀神話を具体的に表現したことになるのです。
別の言い方をすれば、記紀神話を浸透させる為にも神社の格付は重要でした。国家の幣を受けるべき神社は何度も確かめられ認定され続けました。平安時代の貴族たちは日本書紀を必死に学んで地方へ国司として配属されて住み着いたり、戦乱の時代に地方に逃れたりして、神話と神道は拡散されたのです。
それまで、蚊帳の外に置かれていた庶民も祖先の神を捨てて伊弉諾や天照大神にすがったので、各地の神社のご祭神が大混乱したのかもしれません。そんな中で、誰にも邪魔されなかった社とご祭神が残されているのです。
そんな神社に参拝すると、なんとなく落ち着きます。

淡路は本当に面白いところです。そして、畿内の為政者によって大いに搾取され利用され翻弄された土地です。その多難の歴史が美しく花開いていると思いました。

出合った人はみんな親切で美しい人ばかりでした。また、お邪魔します。


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by tizudesiru | 2019-11-03 13:25 | 372古代史の謎は祭祀線で解ける | Trackback
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地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
374令和元年こそ万葉集を読み解こう

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