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丹後半島に逃げた二人の天皇

大江山 生野の道の遠ければ まだ文も見ず 天橋立
(大江山 行く野の道の遠ければ まだ踏みもみず 天橋立)
和泉式部の娘・小式部が詠んだ誰もが知っている天橋立の名歌は、「母からの文だなんて、あの大江山へ行く生野の道も遠いのですから
文(便り)も届くはずもなく、天橋立にはまだ足を踏み入れたこともありません。母の力を借りて歌を作ったりいたしませんわ。」
と藤原定頼に応えた 歌でした。

ところで、此の大江山が問題です。
小式部が詠んだ大江山は、果たして都から近い大枝山なのか、遠い丹後半島の付け根の大江山なのか、です。学者の解釈は「都の北西の大枝山」となっていて、わざわざ「鬼退治の大江山ではない」と説明が付きます。
そうでしょうか。
私には大江山は遠かったとしか読めないのです。小式部は大きな大胆な歌を詠んだと思うのです。
「大江山」と読むと「都から遠いあの大江山のある土地へ向かって生野を越えて母が行った」と詠んだことになり平安京の西の「大枝山」として読むと「都の近くの大枝山を越えて生野へ向かった道が遠い」と意味が小さくなるからです。
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(鬼の面が飾られた大江駅)
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鬼で有名な大江山のある大江の駅には「鬼瓦・鬼面」が飾られています。地域をあげて「鬼」を売り出しているのです。古代の「鬼」にどんな意味が託されたかというと、人間を越えた、恐ろしく強い力を持つ者、の意味です。そんな力のある者が大江山辺りには住んでいたということです。

「大江山生野の道の遠ければ」この歌から分かることは、大江山の向こうは異界だった。大江山には伝説上は鬼が住んでいたということですから、昔から丹後半島は別世界、異界だったということです。そこは、別の文化圏に属していたことになりましょう。鬼退治をしなければならないほど「まつろわぬ首長が住んでいた」のです。
それは、当然です。日本海側の首長達は筑紫と交流することで財を成してきたのです。そうでなければ、日本海側の潟湖が港として栄えるわけがありません。港に出入りする船は筑紫船だったのです。
丹波国が瀬戸内の首長と交流するのであれば、中国山地を越える道を整備すればいいのです。しかし、船で筑紫と交流する方が実入りが大きかったのです。

丹波国が異界だったことは、雄略紀でもわかります。
弘計(をけ)天皇=顕宗天皇と、憶計(おけ)天皇=仁賢天皇は、丹波国余社郡(よさのこおり)に逃げました。なぜなら、そこへ逃げれば逃げ切ることができたのです。
まるっきり知らない土地に逃げれば、寝首を欠かれるか、身ぐるみはがれるでしょう。頼りになるのは、逃亡者でも受け入れてくれる知り合いであり、情報力と組織力のある知り合いなのです。与謝郡は、逃げるには好地だったのです。

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余社郡=与謝郡で丹後半島の東側の辺りです。古代は決して小さな郡ではなく、与謝郡は日本海の海運業でにぎわっていたです。豊かな国であり、豪族が居たから高貴な皇女や皇子が逃げたのです。間人皇后も丹後半島の北「間人たいざ」に逃げました。
羽衣伝承の筑紫の姫たちも丹波に逃げました。

古代の丹波国は、そういう独自の文化と自治力を持った地域だったのです。
父の市辺押磐皇子が雄略天皇の策略で殺された後、二人の王子は与謝郡に逃げました。そこなら何とかなると思って、逃げたのでしょう。与謝郡は丹波国です。
丹波の与謝郡から播磨国の赤石郡に移った二王子は、名を「丹波小子(たにはのわらは)と変え、縮見屯倉首に仕えたのでした。
二人は逃げているはずなのに、播磨の赤石郡に移るのは不思議ですね。今の感覚では赤石郡では見つかりそうな感じがしますが。当時は、丹波小子と名乗れば出自は隠せたのです。つまり、播磨と丹波は近くても文化圏が違った遠い土地だったのです。

豊受大神も丹波国の神でしたね。

古代史のなぞを解く鍵は、丹波国が握っているのかもしれません。
では、又、お会いします。


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by tizudesiru | 2019-08-18 00:25 | 370筑紫国造磐井の乱後の筑紫 | Trackback
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地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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