蘇我氏の出自・彼等は何処から来たのか

527〜8年、「筑紫君磐井の乱」と

531年の辛亥の変で、倭王の一族は滅びました。


それは、墓制の変化(石棺が消えていく)ことで紹介してきました。
此処で、「筑紫君一族は何処へ逃げたのか」と書くと、筑紫君磐井の一族がこぞって九州を逃げ出したことになります。しかし、そうではありません。たとえば天智十年(671)、白村江敗戦後に熊津都督府から派遣された郭務宗と共に帰国した「筑紫君薩野馬」がいます。天智十年までは、筑紫君という姓はあったのです。

 すると、筑紫君一族は北部九州の管理者として存続し、百済救援軍として海を渡っていたことになります。(この時、筑紫君薩夜麻を帰国させるために尽力したのは、上陽?(かみつやめ)郡の大伴部博麻(おほともべのはかま)でした。大伴部博麻は倭国の危機的状況「唐が倭国を襲撃する計画」をいち早く知らせるために我が身を売ってその資金で薩夜麻を倭国に返したと書紀に書かれています。筑紫君の本拠地として、福岡県の筑後地方八女辺りが残っていたのです。)
今日は、
九州から石棺が消えたのに、近畿には石棺文化が入っています。そこで、彼らは何処から来たのかを考えたいと思います。

で、今回は蘇我氏の出自、彼らは何処から来たのか、です。
わたしは九州から移動したと思っています。

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蘇我氏と言えば、物部氏と対立し仏教を受け入れたことで有名です。物部氏は九州よりの移動伝説を持った氏族ですが、蘇我氏も九州から移動したという痕跡はあるのでしょうか?
蘇我氏は、武内宿祢の末裔だと「尊卑分脈」に書かれています。

a0237545_13405249.png
蘇我氏の祖が日本書紀に現れるのは、応神紀(15代天皇)の武内宿禰からです。
『尊卑分脈』の出自を見ましょう。
孝元天皇(8代)の皇子・彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)から蘇我氏は始まります。彦太忍信命の母は、伊香色謎命(いかがしこめのみこと)です。孝元天皇のですから皇后に次ぐ身分の女性です。

*伊香色謎(いかがしこめ)命は、崇神天皇(10代)即位前期に『物部氏が遠祖・大綜麻杵(おほへそき)が女(むすめ)」とあり、古事記では『内色許男(うつしこを)の女』ですが、饒速日の五世孫・伊香色雄の後と書かれているのです。物部氏とも関係が深い女性なのです。
*孝元天皇(8代)の妃・伊香色謎命は、開化6年正月に開化天皇(9代)の皇后になりました。開化天皇は父を墓に納めた後に、継母(父の妃)を皇后にしたのです。皇后となった伊香色謎命は、崇神天皇(10代)・御間城入彦五十瓊殖(みまきいりびこいにゑ)天皇を生みました。

 さて、彦太忍信命の母のことは了解ですか? 母は物部系の血統も持った人でしたから、古代には血筋の高貴な女性が次の後継者を生むと云うことになっていたのでしょう。皇子の彦太忍信命は、前天皇の息子であり、次の天皇の義理の息子であり、さらに次の天皇の同母兄となりますね。

彦太忍信命は、これ武内宿禰の祖父なり(孝元天皇紀)

武内宿禰といえば、九州と所縁の深い人ですね。

彦太忍信命から屋主忍男武雄心命(やぬしおしをたけをこころのみこと)、その子武内宿禰、その子の石川宿禰から蘇我満智(そがのまち)宿禰とつながっています。

では、屋主忍男武雄心命を書紀でさがします。
景行天皇(12代)の三年、紀伊国に行幸して占いをしたが吉と出なかったので、
屋主忍男武雄心命が派遣されました。屋主忍男武雄心命は紀伊国で神祭りをして九年留まり、紀直(きのあたひ)の遠祖・菟道彦の娘の影媛を娶り、武内宿禰を生んだと、景行紀にあります。そこは、紀伊国でしょうか?

佐賀県の武雄市には武雄神社があります

武内宿禰を祀る神社は、圧倒的に福岡が多いのです。続いて大分・佐賀・和歌山の順になり、福岡は大分の2倍、佐賀の4倍、和歌山の10倍です。奈良の40倍以上の数になります。
特に、佐賀県武雄市には、武雄神社があり武内宿禰を主祭神とし、神功・応神・仲哀天皇と父の武雄心命を祀っています。
また、武雄市には、武内宿禰の母・山下影媛を祀る神社もあります。やはり、九州と所縁の深い人になります。


武内宿禰の母も、紀伊国(和歌山)の人と言うより基山のある基肄国(佐賀県)の人だったのではないでしょうか。

日本書紀も古事記では「孝元天皇」のところで、多くの氏族の祖が分かれたことになっています。案外、孝元天皇が倭王と重なるのかも知れませんね。ちなみに、皇子達は、大毘古命・少名日子建猪心命。若倭根子日子大毘毘命、彦太忍信命、建波邇夜須毘古命の五人。
孝元天皇の皇子から出た氏族は、書紀では「安倍臣・膳臣・阿閉臣・狭狭城山君・筑紫国造越国造・伊賀臣 など七族の始祖」と書かれています。

武内宿禰の子孫たち(古事記)
羽田矢代宿禰⇒波多臣・淡海臣・林臣・波美臣・星川臣・長谷部臣
許勢小柄宿禰⇒巨勢臣・雀部臣・輕部臣
平群木菟宿禰(平群都久宿禰)⇒平群臣佐和良臣・馬御?連
石川宿禰(蘇賀石川宿禰)⇒蘇我臣・川邉臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣
紀角宿禰(木角宿禰)⇒紀臣(木臣)・都奴臣・坂本臣
城襲津彦城長江曾都毘古)⇒玉手臣・的臣・生江臣・阿藝那臣
若子宿禰⇒江野財臣
女子は、久米能摩伊刀比売、怒能伊呂比売、の二人です。
武内宿禰は、色々な氏族の祖となっています。

と云うことで、蘇我氏に戻りましょう。

履中天皇(17代)紀二年に、蘇我満智宿禰が平群氏・物部氏・円氏と共に国事に携わっています。突然、国政に参画したのでしょうが、何の力もなくてはできません。この頃の蘇我氏にできて、他の氏族にできなかったこと。それは、『古語拾遺』にも書かれているように「三蔵を検校すること」、帳簿をつけること・数字を読み書きすること、計算すること、ですか……財政を握っていたようですね。


ちなみに三蔵とは、斎蔵=祭祀に関わる財源、内蔵=王家の生活に関わる財源大蔵=国政に関する財源、と云うことです。財源がなくては何もやれませんから。

その辺りは、また今度。



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by tizudesiru | 2018-06-22 00:33 | 349筑紫君一族は何処へ逃げたのか | Trackback
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地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
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272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
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291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
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295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
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299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
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