神籠石から古代山城へ、名前を変える必要はあるのか
2018年3月18日の麹智城跡「特別研究の報告会」の紹介をしています。
山田隆文「古代山城の立地環境ー百済・新羅との比較を通して」
山田さん(橿原考古学研究所研究員)は、「初めに」で次のように述べています。
⓵「日本における古代山城の築造は、『日本書紀』の記述によって、百済の滅亡とその後の復興軍の敗戦に起因する」
➁「その際に我が国に渡来した百済の亡命官人達が古代山城の築造に深く関わっていたことが知られる。」
③「しかし、日本の古代山城の全てが百済の様式で築造されたのかというと、必ずしもそうではなく、例えば大野城の門跡で出土した門扉軸摺金具(もんぴじくすりかなぐ)や、屋島城の懸門構造(けんもんこうぞう)など明らかに新羅山城で特徴的な要素も見られることは、周知のとおりである。」
④「そのため、日本の古代山城を研究する場合、その比較検討対象は、百済地域だけではなく、新羅、高句麗、伽耶を含めた韓半島全体としなければならない。」
という理由で、韓国に研究旅行となったのだそうです。
簡単に研究の立ち位置が書かれています。
⓵これは、大野城・基肄城などの朝鮮式山城のことですね。白村江敗戦後に造られたという。倭国へ亡命百済人が来ていますからね。
➁大野城を造ったという百済の憶礼福留・四比福夫。あまりに石積が雑だったので、新羅軍の攻撃を畏れて慌てて造ったからだと、社会科でも教えられたのですが。雑な石積技術だったのですね。
③確かに、白村江戦後に統一新羅ができますが、統一新羅の技術が入るのは掘立柱の一期ではありません。敗戦後に造られた大野城は百済系の朝鮮式の山城でした。この時は、まだ新羅の技術は入っていないのではありませんか。
軸摺金具とは扉を開閉する時に回りやすくするために使われた金具です。懸門とは入り口が高い所に在る門で、梯子で出入りしますが、非常時には梯子を外せます。
大野城は三期の建て替えがあっていて、軸摺金具が使われるのは、後の時代になります。一緒に扱ってはいけないと思います。
④統一新羅の技術なら、完全に白村江敗戦後になります。古代山城は、天智天皇が築造した山城と決めて調査しているのですね。
山田さんが調査している時期は、古代山城が造られた時期より、新しいと思います。修理や建て替えの時期に新羅の技術が入ったのではないでしょうか。
統一新羅の地方都市、九つの州と五カ所の小京を「九州五小京」といいます。上の地図でも分かるように、黄色の九州、青色の五小京が、半島全体にあります。紫は新羅の都です。
要するに、日本の山城は統一新羅の影響を受けたから上記の山城と共通する、と、主張されているのです。
「古代山城の立地環境について国内の事例と比較研究は進んでいる」そうです。
⓵古代山城の導入期の戦略上の重要拠点に山城が単独で立地する段階
➁駅路や官衙に接近した場所に築造される段階
と、①から➁に変化しているというのです。
えっ、ちょっと待ってください。②はなんですか?
①の金田城(対馬)大野城(福岡)・基肄城(佐賀)などが造られた後には、駅路や官衙の近くに山城が造られたという正史の記述も文献もありません。
もしかして、神籠石系山城のことを云ってるのですか?
それなら、あまりに唐突かつ横暴です。
神籠石系山城について、切り石の状況や版築や構造を取り上げないまま、調べないまま「古代山城の第二段階」という論説は、唐突で異常です。
古代の政治史の上でも科学的にも神籠石が公共の施設だと論証したうえで、説を展開しなければなりませんね。突然、奈良県の都合により福岡県や瀬戸内の神籠石を
「ヤマト政権側の古代山城」にすり替えてしまうのは、おかしくないですか。
奈良県立橿原考古学研究所は、それでいいのですか。長い間、神籠石について研究してきたのは在野の研究家でした。それをいきなり「古代朝鮮式山城の次の段階」と、奈良県の人が決めてしまうなんて、それでいいのですか。
講演の中でも、山田さんは高良山神籠石のことを「高良山城」と呼んでいました。高良山城と呼びたかったでしょうが、「高良山神籠石」という明治以来の名称はどうなりますか。九州の人や瀬戸内の神籠石系山城のある地域の人は、ほとんど百年以上も「神籠石」と呼んできたのです。
然し、「神籠石」と呼ぶのは時代遅れというのでしょうね。
橿原考古学研究所は、奈良県の研究所の一つです。全国の名所や土地の呼び名を勝手に変える権利はありません。それとも、国の指示があったのでしょうか。
そう云えば…
こういうことが始まったのは、「阿志岐古代山城」という名称が使われた時からです。宮地岳神籠石と呼ばれていたのに、史跡の名称に「神籠石」ではダメだったそうで、「阿志岐古代山城」とされたのです。
古代山城となって、地元としては、中央に近づいた感じがしたのですかね?
然し、九州の地元の声や研究が、ここで切れた感じになりました。「神籠石」はお上に召し上げられたと云うことですね。
わたしも、このブログで、宮地岳神籠石(阿志岐山城)のことは数回取り上げています。朝鮮式山城とは違う目的の異なる工法の山城でした。
それも、同じ工法・同じような技術で作られていると思われる共通点の多い遺構です。それは、大きな権力によって指示され築造されたと考えるのが妥当でしょう。
すると、福岡を中心にした神籠石を作らせたのは、どこの誰? ですか。
旧唐書には、倭国の存在があります。白村江までは倭国が存在したのです。神籠石を造らせたのは、倭国であると考えるのは、ごく自然なことでしょう。
神籠石の集中しているところは福岡県ですから、そこに倭国の中心があったと考えるのも自然です。
倭国の中心が福岡にあったらいけない? それはなぜですか?
(宮地岳神籠石の水門と列石)
(高良山神籠石の列石と版築土塁)
(女山神籠石の水門と列石*ぞやまこうごいし)
これらの神籠石をすっかり「新羅の影響で作られた」とするには、道理にかないません。
神籠石で使われた技法「持ち送り」や「切り欠き加工」は、明らかに古墳の築造時術に使われているからです。それも、5・6世紀とされる古墳です。特に、熊本の大野窟古墳や井寺古墳に顕著です。7世紀後半にその技術が使われた? いえいえ、
わたしは、6世紀後半から7世紀初頭に神籠石は造られたと思います。
九歴の小澤さんも「古墳の技術者が神籠石築造に関与した」と言われたと思います。九州の人で考古学をしている人は、古墳の技術はご存知です。
どうぞ地元の人の研究に学び、市民の声を聞き、科学的な調査をやり、地元に広報し、歴史の真実を市民のものにする方向で研究してください。若い才能は、真実を求めることに使ってほしいです。
大和に卑弥呼がいて、倭五王もいたのが事実なら、それでもかまいません。
ですが、素人も文献を見ることができるし、考古学報告書も読むことができます。そこで、さまざまに考えるのは、当然です。事実、様々な説が入り乱れています。
ですが、本当のことを知りたい、それが市民としての本音でしょうね。
熊本城も覆い屋がかけられ、修理に入っています。このお城が親しまれるのは、加藤清正の築城だからです。市民の心の中に彼は生きていますから。歴史はその地域の人の心を癒し育むものですね。
神籠石も勝手に名称変更などせずに、それが存在する地域に長く残してほしいと思います。
では、また。
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山田隆文「古代山城の立地環境ー百済・新羅との比較を通して」
山田さん(橿原考古学研究所研究員)は、「初めに」で次のように述べています。
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➁「その際に我が国に渡来した百済の亡命官人達が古代山城の築造に深く関わっていたことが知られる。」
③「しかし、日本の古代山城の全てが百済の様式で築造されたのかというと、必ずしもそうではなく、例えば大野城の門跡で出土した門扉軸摺金具(もんぴじくすりかなぐ)や、屋島城の懸門構造(けんもんこうぞう)など明らかに新羅山城で特徴的な要素も見られることは、周知のとおりである。」
④「そのため、日本の古代山城を研究する場合、その比較検討対象は、百済地域だけではなく、新羅、高句麗、伽耶を含めた韓半島全体としなければならない。」
という理由で、韓国に研究旅行となったのだそうです。
簡単に研究の立ち位置が書かれています。
⓵これは、大野城・基肄城などの朝鮮式山城のことですね。白村江敗戦後に造られたという。倭国へ亡命百済人が来ていますからね。
➁大野城を造ったという百済の憶礼福留・四比福夫。あまりに石積が雑だったので、新羅軍の攻撃を畏れて慌てて造ったからだと、社会科でも教えられたのですが。雑な石積技術だったのですね。
③確かに、白村江戦後に統一新羅ができますが、統一新羅の技術が入るのは掘立柱の一期ではありません。敗戦後に造られた大野城は百済系の朝鮮式の山城でした。この時は、まだ新羅の技術は入っていないのではありませんか。
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大野城は三期の建て替えがあっていて、軸摺金具が使われるのは、後の時代になります。一緒に扱ってはいけないと思います。
④統一新羅の技術なら、完全に白村江敗戦後になります。古代山城は、天智天皇が築造した山城と決めて調査しているのですね。
統一新羅の地方都市、九つの州と五カ所の小京を「九州五小京」といいます。上の地図でも分かるように、黄色の九州、青色の五小京が、半島全体にあります。紫は新羅の都です。
要するに、日本の山城は統一新羅の影響を受けたから上記の山城と共通する、と、主張されているのです。
「古代山城の立地環境について国内の事例と比較研究は進んでいる」そうです。
⓵古代山城の導入期の戦略上の重要拠点に山城が単独で立地する段階
➁駅路や官衙に接近した場所に築造される段階
と、①から➁に変化しているというのです。
えっ、ちょっと待ってください。②はなんですか?
①の金田城(対馬)大野城(福岡)・基肄城(佐賀)などが造られた後には、駅路や官衙の近くに山城が造られたという正史の記述も文献もありません。
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| 327古代史の危機!?
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6祭祀線と平原王墓ラインから分かること
7祭祀線で読める八女丘陵の古墳のライン
8祭祀線で分かる高良玉垂命の目的
9渡神山から英彦山へ
10雷山の祭祀線
11羽白熊鷲と脊振山を結ぶ祭祀線
12祭祀線が明かす羽白熊鷲と古処山
13祭祀線が秘密を示す・九千部山と香椎宮
14国守りの山を祭祀線で考える
15神籠石が教えてくれる古代
16祭祀線で探る六世紀の都
17なぜか神功皇后伝説の空白地
18太宰府と大保と大分
19畿内に近い豪族たち
20魏志倭人伝に出てくる「大倭」とは何か
21七世紀の政変と天智天皇
22天智天皇の十年間
23日本書紀の中の日本
24唐書から見た倭国と日本国
25/26文林朗裴清が見た倭王
27倭の五王の行方
28倭国の空白
29筑紫城の最後
30山岳の名と歴史や文化
31国内最古の暦が刻まれた太刀
32祭祀線と阿蘇山と高良・高千穂
33筑紫舞(宮地嶽神社)
34志賀海神社の山ほめ祭
35栂尾神楽(宮崎県椎葉)
36祭祀線と神籠石から分かること(1)
37祭祀線と神籠石から分かること(2)
38祭祀線と神籠石からわかること(3)
39祭祀線と神籠石から分かること(4)
40祭祀線と神籠石から分かること(5)
41祭祀線と神籠石から分かること(6)
42愛宕山が見た早良国の光芒
43祭祀線が解く仲哀天皇の宮殿
44祭祀線がつなぐ江田船山と筑紫君磐井
45不思議な祭祀線・筥崎宮と太宰府天満宮
46祭祀線で結ぶ高千穂の峰から阿蘇へ
47祭祀線で分かる雲仙が守った首長
48祭祀線で神籠石の謎解き
49宮地岳(阿志岐)古代山城
50祭祀線を使った醍醐天皇の都の守り
51祭祀線で十世紀の国守り
52淡路国伊弉諾神社の祭祀線
53祭祀線で空海の霊力を知る
54出雲大社と熊野本宮大社の祭祀線
55祭祀線と大山古墳の謎
56天智天皇陵と天武天皇陵の祭祀線
57宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ
58石上神宮の視線(祭祀線)
59続石上神宮の視線(祭祀線)
60祭祀線で守る藤原京
61高松塚古墳の被葬者
62石舞台古墳と藤原宮の祭祀線
63あおによし奈良の都の祭祀線
64続・あおによし奈良の都の祭祀線
65継体天皇陵墓のラインを読む
66崇俊天皇の真実を教える祭祀線
67石城山神籠石の祭祀ライン
68式内社の偏りの意味
69最北の式内社・大物忌神社
70陸奥国の式内社の祭祀線
71尾張国の式内社の祭祀線
72紀伊国の式内社の祭祀線
73近江国の式内社の祭祀線
74但馬国の式内社の秘密??
75筥崎宮の「敵国降伏」その1
76筥崎宮の「敵国降伏」その2
77筥崎宮の「敵国降伏」その3
78筥崎宮の「敵国降伏」その4
79孝徳天皇の難波宮
80倭女王墓を教える香椎宮の祭祀線
81ブログのスタートに還る
82再度神籠石へ
83悲劇の好字
84船原3号墳の馬具
85飯盛山&こうやの宮
86奈良の長谷観音
87福岡の長谷観音
89古墳の祭祀ライン
90筥崎宮百八回目の神事
91 薦神社と宇佐神宮の祭祀線
92薦神社の不思議な祭祀線
93金富神社と鉾立山の祭祀線
94 金富神社と鉾立山の祭祀線 2
95 金富神社と鉾立山の祭祀線3
96宇佐神宮と北部九州
97宇佐神宮と北部九州・2
98北部九州のミステリー
102安心院の二女神社
101宇佐神宮と九州の神々
104安心院の佐田神社
386今城塚古墳の謎・物語が見えない
105大富神社と和気清磨と
106宮地嶽不動古墳
106宮地嶽古墳と石塚山古墳
107寄り道・邪馬台国
108ふたたび香椎宮
109倭国王の侵略
110瀬戸内の神籠石再び
111京都の守り・再び祭祀線
112都を守る天皇陵
113神となった斉明天皇の祭祀線
114天武朝の都の守り
115こんにちは万葉集
116大王は神にしませば
117太宰府・宝満・沖ノ島
118石人山古墳と王塚古墳
119基山とは何か
120九州国博「美の国・日本」
121博物館の『金印祭り』
122宮地嶽神社の筑紫舞
123寿命大塚古墳の被葬者
124宇佐神宮の呉橋を渡る
125「新・奴国展」博物館の諦め
126邪馬台国から倭国へ
127倭国を滅ぼした?国
128倭国の墓制
129?国の墓制・巨石横穴墓
130素材が語る古代Ⅰ・樟
131素材が語る古代Ⅱ・石加工技術
132箸墓は卑弥呼の墓ではない
133ホケノ山古墳
134邪馬台国シンポ・久留米
135阿蘇ピンク石の井寺古墳
136古代の土器焼成
137方保田東原遺跡の庄内式土器
138武士の祭祀線・徳川と足利
139大祖神社と志登神社に初詣
140猫大明神のネコとは
141熊本大震災
142光の道は祭祀線
143大汝小彦名の神こそは
144紀伊國に有間皇子の跡を訪ねて
145和歌山と九州の古墳
146有間皇子の墓は岩内1号墳か
147糸島高校博物館
148光の道は弥生時代から
150草壁皇子を偲ぶ阿閇皇女
151有間皇子を偲ぶ歌
152有間皇子の霊魂に別れの儀式
153有間皇子の終焉の地を訪ねた太上天皇
154 有間皇子は無実だった
155持統帝の紀伊国行幸の最終歌
156人麻呂は女帝のために生きた
157持統帝の霊魂に再会した人麻呂
158草壁皇子の形見の地・阿騎野
159草壁皇子の薨去の事情
160大津皇子の流涕して作る御歌
161天武朝の女性たちの悲劇
163持統天皇の最後の願い
164持統天皇との約束・人麻呂ことあげ
144有間皇子事件の目撃者
165天武大地震(筑紫大地震)678年
166高市皇子と高松塚古墳
167持統帝の孫・文武天皇の仕事
168額田王は天智天皇を愛し続けた
169額田王の恋歌と素顔
170額田王が建立した粟原寺
171額田王の歌の紹介
172糸島の神社
173高市皇子の妃・但馬皇女の恋歌
174高市皇子の死の真相
175草壁皇子の挽歌
176大化改新後の年表
177持統帝と天武帝の絆の深さ?
熊本地震・南阿蘇への道
178天武帝の霊魂は伊勢へ
179天武帝と持統帝の溝
180天智天皇と藤原鎌足
181藤原不比等とは何者か(1)
181藤原不比等とは何者か(2)
181藤原不比等とは何者か(3)
182鎮魂の歌集・初期万葉集
183元明天皇の愛と苦悩
184氷高内親王の孤独
185長屋王(高市皇子の長子)の悲劇
186 聖武天皇の不運と不幸
187難波宮を寿ぐ歌
188孝徳帝の難波宮を寿ぐ
189間人皇后の愛と悲劇
190間人皇后の難波宮脱出
191有間皇子と間人皇后の物語
192軽太郎女皇女の歌
193人麻呂編集の万葉集
194万葉集は倭国の歌
195聖武天皇と元正天皇の約束
196玄昉の墓は沈黙する
197光明子の苦悩と懺悔
198光明皇后の不幸と不運
199光明皇后の深い憂鬱
200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独
201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 九州の古代山城の不思議
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授柿本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
374令和元年こそ万葉集を読み解こう
375大伴家持、万葉集最終歌への道
376神社一人旅はいかがですか
377花の写真はいかがですか
378杵島曲が切り結ぶ有明海文化圏と関東
379万葉集巻二十は鎮魂と告発の歌巻
380関東の神社は、政変を示しているのか
381九州の古墳の不思議と謎
382松浦佐用姫は何故死んだのか
383令和三年の奇跡を祈りましょう
384歴史は誰のものか・弥生から古墳へ
法隆寺
大塚初重氏の仕事
385万葉集を片手に旅ゆけば
386今城塚古墳の謎・物語が見えない
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