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狗奴国から糸島、そして津屋崎に進出したのは、倭王だった

平原王墓の巫女王が、卑弥呼宗女壱与(臺与)なら、その霊力は封じられた
福岡県糸島市の平原王墓の主は、霊力を象徴する鏡を全て割られていた

壱与の次の時代、
 
王位を奪った一族(一貴山銚子塚古墳を築造)の霊力
狗奴国から糸島、そして津屋崎に進出したのは、倭王だった_a0237545_20363082.png

次の王は、平原王墓の巫女の霊力を象徴する鏡を全て割り、霊力を封じた
東西祭祀線上に築造された一貴山銚子塚古墳は、糸島では最大の古墳

一貴山銚子塚の主は成功しましたが、一族は支配を確立できたのでしょうか。
彼らの狙いは、伊都国の統括だけではなかったようです。もっと広く世界を見ていたと思います、大陸や半島を、倭王として。

(倭女王から倭王の地位を奪った一族は、伊都国から監視役のような「一大率」や「大倭」という役職を奪ったかも知れません。
*一大率とは魏志倭人伝に書かれた検察権力を持った役職で、伊都国に置かれていました。大倭も魏志倭人伝に出てくる役職で、交易や税を監視していました。

では、一貴山銚子塚古墳の次の世代の端山古墳を祭祀線でみます

端山古墳は柄鏡形の前方後円墳で、一貴山銚子塚と同じ南北の主軸線ですから、同じ一族の墳墓でしょうね。端山の後の世代、帆立貝型の築山古墳が近くに造られましたが、築山古墳は墳丘が小さくなりますから、首長との関わりが薄くなったのでしょう。一族の間で優劣はあったでしょう。

大型古墳が太陽祭祀線上から外れていくのは、太陽祭祀から祖先霊の祭祀へ変わったからではないでしょうか。
古墳の並びや形態を見ると、一貴山銚子塚の一族の中で様々な権力争いもあったと思われるし、権力者が糸島から離れたかも知れません。

狗奴国から糸島、そして津屋崎に進出したのは、倭王だった_a0237545_14262277.png
端山古墳からの直線がつながるのは、福岡県福津市の勝浦高原古墳でした。何で、そんなところに?

それは、倭王が海北を目指したからでしょう。
伊都国からではなく、倭王として半島に進出するには、広い船泊と船出の浜が必要でした。最適な場所、そこは、福津市の勝浦海岸でした。勝浦は、津屋崎湾が深く入り込み、天然の良港です。更に船団を組んだ船が一斉に出航するのに最適の勝浦海岸が外海に開いていました。
 端山古墳の一族が津屋崎の広い内海に目を付けたのは、新羅への出兵の為でした。
狗奴国から糸島、そして津屋崎に進出したのは、倭王だった_a0237545_14550211.jpg

(右から勝浦港・草崎(岬)・奥に勝島・更に奥に大島)
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(ひろい田園が広がります。奈良時代には津屋崎湾の一部、ここは海でした。)
狗奴国から糸島、そして津屋崎に進出したのは、倭王だった_a0237545_20295489.png

祭祀線は勝浦高原古墳に結び付きます。
三雲南小路王墓~端山古墳~今宿大塚古墳~勝浦高原古墳が直線でつながりました。(今宿大塚は6世紀で、後に造られた)
勝浦古墳群は、北部九州ではこの時期に最も勢いがあったようです。

沖ノ島祭祀をしたのは、勝浦峯ノ畑古墳の被葬者

糸島の大型古墳が衰退した後の世代では、勝浦峯ノ畑古墳が最大規模であり、勝浦地域では勝浦高原古墳が最も古い時期となります。
わたしは、沖の島の岩上祭祀をしたのは、この津屋崎古墳群の人達だったと思います。勝浦峯ノ畑古墳に副葬されていた三角縁神獣鏡は、沖ノ島のものと同范鏡でした。同范鏡とは、同じ鋳型で造られた鏡と云うことです。
岩の上に置かれた奉献品は、同時代の古墳の副葬品と同じだというので「王権祭祀」とされ、その王権がヤマト(近畿)にあったというのが定説です。
近畿の王権祭祀? ホントでしょうか。
確かに、武器や武具を奉献した理由は、単なる航海の安全祈願だけではないでしょう。半島に出兵する際の戦勝祈願も大きかったと思います。だからこそ、船出の地も「勝浦」と呼んだのです。背後の山は「勝浦岳=桂岳」です。


倭五王の時代、草崎(いくさざき=戦﨑)を見て、勝島に見送られながら、若い兵士が半島に渡ったと思います。万感の思いを込めて「名兒山」を見つめたことでしょう。愛しい子(娘)の名を胸に刻みながら。沖ノ島を過ぎると、もう引き返すことはできません。

沖ノ島の岩上祭祀は4世紀半
ちょうど、倭五王の半島出兵とリンクしています。ですが、倭五王は近畿の人ではありません。
兵を集めるには、権力者が集団を支配し、税や戸籍を掌握しておかなければなりません。そして、半島に渡るための舟や港を持たねばなりません。
北部九州や海北の航路を熟知した者にしか、半島進出はできないと思います。

半島進出に倭王がこだわり続けた理由
それは、半島侵攻が目的で北部九州に進出した人々だからです。
そうとしか、考えられません。弥生時代、女王国と戦った狗奴国の人たち。飢饉のために困窮する女王国を見ながら支援せずに、半島への進出を押し通した氏族だと思います。

再度、確認してみましょう

北部九州が早くから大陸や半島と交流があったことは、狗奴国の人も早くから知っていました。狗奴国は有明海から引き潮に乗って五島列島まで渡り、半島を目指したと思います。古くから鉄を求めて、半島へ渡っていたはずです。
倭女王卑弥呼は新羅と友好国となりましたが、狗奴国はどうでしょう。
有明海ルートの他に、更に、海北の航路が欲しかったのです。そこで新羅との軋轢が生じ、それを解消するために半島に出兵することになったので、どうしても北部九州を支配したかったと思います。
そして、新羅を討つつもりだったと。

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193年の大飢饉で、邪馬台国と友好国だったから新羅は難民を引き受けたのです。交流も深かったはずです。だから、突然の侵攻(208)は有りえません。
わたしは、新羅本紀には狗奴国と倭国のことがかき分けられていると思うのです。
大きな権力がなくては出兵はできませんから、侵攻したのは倭人の国に違いありません。
新羅本紀では「倭人」「倭国」「倭女王」と使い分けています。倭国と倭人は別の集団なのでしょうか。新羅本紀の編纂者は意図的にかきわけているのでしょう。
年表を見る限り、「倭国」は663年に百済救援をした国です。「倭人」はずっと新羅に侵攻し続ける国なのです。

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倭王は「倭人」と書かれた国の王だった

北部九州に進出した狗奴国出身の支配者は、半島進出に心を奪われていました。そのために、狗奴国の進出を嫌って東へ逃げた人々が経済を握り、徐々に力をつけて行くことなど考えもしなかったでしょう。

(以上何度も何度も書いて来たことです)
今回付け加えたのは、半島進出を願ったのは倭五王達であり、かれらの出自は狗奴国である。半島進出の目的を達するために勝浦海岸に進出し、沖ノ島祭祀を始めたと云うことでした。
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(ためしに、平原王墓と勝浦峯ノ畑古墳を結んでみましょう。すると、糸島地域の兜塚古墳をラインが通りました。このラインが有効なら、兜塚古墳の被葬者は弥生女王と勝浦峯 ノ畑古墳の霊力にあやかりたいと思ったのでしょうね。)

ではまた、明日。
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by tizudesiru | 2018-03-15 01:02 | 329祭祀線で読む倭王の交替 | Trackback(12)
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地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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193人麻呂編集の万葉集
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202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
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209石舞台・都塚・坂田寺
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211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
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216小郡市埋蔵文化財センター
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240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
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大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
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263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授柿本人麻呂と持統天皇の秘密
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273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
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291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
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310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
374令和元年こそ万葉集を読み解こう
375大伴家持、万葉集最終歌への道
376神社一人旅はいかがですか
377花の写真はいかがですか
378杵島曲が切り結ぶ有明海文化圏と関東
379万葉集巻二十は鎮魂と告発の歌巻
380関東の神社は、政変を示しているのか
381九州の古墳の不思議と謎
382松浦佐用姫は何故死んだのか
383令和三年の奇跡を祈りましょう
384歴史は誰のものか・弥生から古墳へ 
法隆寺
大塚初重氏の仕事
385万葉集を片手に旅ゆけば
386今城塚古墳の謎・物語が見えない
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