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世界遺産になった三女神・お仕事は天孫の奉助

宗像三女神のお仕事は
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天孫を助け奉ること

奥津宮(田心媛たごりひめ)、中津宮(湍津姫たぎつひめ)、辺津宮(市杵島姫いちきしまひめ)の三女神は、天孫を助けるために宗像大社に祀られているのです。大社側のパンフレットにもそう書かれています。
そもそも、宗像は「大社」です。天皇家の安泰を祈るための延喜式内社(名神大社)でもありますから、三女神のお仕事の第一は「天皇家に仕えること」ですよね。

世界遺産になった三女神・お仕事は天孫の奉助_a0237545_11350983.jpg

では、この地域で祭られていた地域の神様ではないのでしょうか。
私は自著「太宰具・宝満・沖ノ島」で、「英彦山の北岳の北山三御前が許斐山(宗像)に降り、その後に宗像大社に祀られた」という伝承を紹介しました。いったいどのような神だろうと、三女神に興味が湧いたのです。
三女神はもともと北部九州の神だったのではないかと思ったのです、それが記紀神話に取り入れられたと。

古事記でも日本書紀でも、三女神は天照大神とスサノウの誓約から生まれたことになっています。
スサノウが姉の天照に別れのあいさつに行ったところ、天照は武装して弟を待ち受けます。高天原を侵略すると思ったからです。スサノウは身の潔白を示すために誓約(うけい)をするのです。悪い心であれば男が生まれ、清き心であれば女が生まれると。スサノウの剣を天照が噛み砕いて吹き付けると、三女神が生まれました。「十握剣はお前の物根であるから、この三女神はことごとくお前の子である」と、天照は言いました。三女神はこうしてスサノウの子になりました。
(スサノウが八坂瓊の五百箇の御統(みすまる)を間で吹き付けると5人の男子が生まれ、天照がことごとく我が子といいました。御統は天照のものだったからです。第1男神は天忍穂耳命、天の忍穂耳命がニニギノ尊の父です。第2男神は天穂日命、この人の子孫が出雲臣につながっていきます。)


高天原での誓約(うけい)で三女神が誕生したのはわかってましたが、記紀の記述には微妙な差があるのですよね。

三女神誕生に使われた物根ものざね(物実ものしろ)は剣(鉄製品)です。
古事記は、須佐之男命の十挙剣(とつかのつるぎ)
日本書紀は、素戔鳴尊の十握剣(とつかのつるぎ)
    第一・第三の一書に、日神の九握剣(ここのつかのつるぎ)
             八握剣(やつかのつるぎ)
    第二の一書に、素戔鳴尊の八坂瓊(やさかに)のまが玉

物根の劔は、十握、九握、八握と長さが違うのは、女神が生まれるたびに剣が短くなっていくらしいのです。でも、まが玉では全く物が違います。


次は、誕生順ですが、古事記は、多紀理毗売命(奥津島比売)→市寸嶋比売命(佐依毗売)→多岐都比売命の順に生まれています。
日本書紀は、(本文)田心姫→湍津姫→市杵嶋姫 *宗像大社は書紀に因る祭神
   (第一の一書)瀛津嶋姫→湍津姫→田心姫
   (第二の一書)市杵嶋姫田心姫→湍津姫
   (第三の一書)瀛津嶋姫(市杵嶋姫)→湍津姫→
田霧姫
さて、長女は誰なのでしょう。(大国主の妃になったのは奥津宮の姫です)
このように微妙な違いがなぜ出るのか、それは伝承する側が多いこと、様々な氏族が伝承を持っている、ということでしょう。

書紀には三女神を九州の氏族が祭っていたと書かれていますから、天照とスサノウの物語も、やはり九州で生まれた物語かも知れませんね。
三女神のひとり多紀理毗売は出雲の大国主の妃になっていましたね。出雲大社の本殿の垣内に筑紫宮があります。出雲と九州の関係も深いのですね。


では、スサノウと天照が対峙した高天原は何処にあったのでしょうね。ニニギの天孫降臨の地は何処でしたっけ? 確か日向の襲(そ)の高千穂の添山(そおりのやま)峯ですが、鹿児島県ですか? 福岡には日向峠も日向川もあるし、脊振(せふり、そふり)山もありますねえ…

海と関係ない北山三御前が三女神となり、なぜ宗像に鎮座されたのか、海北を守る神となったのか知りたいですよね。


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三女神の奉斎氏族ですが、日本書紀では、宗像氏と水沼氏は王権に取り込まれています。王権に入り込もうとした氏族が三女神を祀ったのでしょうか。
古事記は、胸形君
日本書紀本文は、筑紫胸肩君
    第三の一書は、筑紫水沼君


このように全ての奉斎氏族に「」が付けられています。すると、三女神を祀っていたのは
九州の氏族らですね。「胸肩・水沼」の両氏族は確実に祭祀をしていました。以前「安心院(あじむ)の二女神・三女神」の所で紹介したように、水沼君が祭祀をしていた伝承は安心院の三女神社にありました。
天照大神にしても三女神にしても神功皇后にしても女性神ですから、女神発祥の地は九州でしょうかね… 海神の男性三神を祀っていたのは志賀海神社の安曇氏ですね。三神という「三」にこだわる文化もあったようです。
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数年前に、田中正日子先生のセミナーで「みあれ祭」ついて学ぶ機会がありました。そこで、記紀神話の三女神の記述を紐解いていただきました。
その時に「藤原一族が宗像の神を自分の屋敷内に祭り始めるのは、長屋王の怨念が怖かったからではなかったか。」と話が出たと思います。記憶が確かであれば。私には納得の言葉でした。三女神の進出には、藤原氏の働きかけが大きかったと思います。書紀に神話が書かれても、すぐ世間に浸透することはないでしょうから。
長屋王事件(729年)の前に書紀の編纂(720年)は終わっていますから、天照とスサノウの誓約の話は既に出来上がり、藤原氏によって三女神は畿内にも知られていったとおもうのです。
しかし、この頃(八世紀)の沖ノ島の「露天祭祀」の奉献品は、以前に比べられないほど質素になります。とても、王権の祭祀とは思えない庶民の奉献品のようになっています。七世紀の後半から八世紀の始めには、何らかの大きな政治的変化があったのでしょうね。

田中先生は「沖ノ島祭祀は、その始まりから大和王権主導型の祭祀であった」という小田富士夫先生の文を引用されていました。
たしかに4世紀の奉献品は豪華です。大きな権力の祭祀には違いありません。
でも
ホントに4世紀から近畿王権主導の祭祀だったのでしょうか。大化の改新まで中央集権化はできていなかったのに。いつの間に、王権祭祀が入って来ていたのでしょうか。

沖ノ島には、まだまだ分からないことがありますね。

三女神は世界遺産の神としてデビュしました。
三女神のお名前を書き間違えてはいけないと思って、「神宿る島 沖ノ島」のパンフレットを開きました。しかし、何処にも三女神のお名前は有りませんでした。ご祭神はどうでもよかったのでしょうか。ご祭神の名を知りたい人には不思議でしょう。どの神社もご祭神を祀ることで成り立っているのですから。神への奉献品で人目を引いて、「神よりお宝がにすごいから世界遺産にしてほしい。そしてみんなに観光に来てほしい」という意図のもとに登録を願ったと、誤解されてもいけませんね。
沖ノ島は古代の信仰を伝え、海北の海路が困難であったことを伝え、それでも海を渡った先人の勇気と決断を伝えているのです。世界遺産を通して古代の人々を偲ぼうではありませんか。
国宝を知ってもらうのは大切ですけど。
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奉献品は時代と共に変わりました。時代が変われば奉献品が変わるのは当然ですが、突然変わるのには理由がありましょうね。
また、明日。
と書いてから、十日が経ちました。実は大事なことを書いていなかったので「269彷徨える大国主命」を書こうと思います。読んでくださいね。


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by tizudesiru | 2017-07-10 16:15 | 266大宰府・宝満・沖ノ島 | Trackback(16)
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地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
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211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
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221斑鳩寺は若草伽藍
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262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授柿本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
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287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
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289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
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294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
374令和元年こそ万葉集を読み解こう
375大伴家持、万葉集最終歌への道
376神社一人旅はいかがですか
377花の写真はいかがですか
378杵島曲が切り結ぶ有明海文化圏と関東
379万葉集巻二十は鎮魂と告発の歌巻
380関東の神社は、政変を示しているのか
381九州の古墳の不思議と謎
382松浦佐用姫は何故死んだのか
383令和三年の奇跡を祈りましょう
384歴史は誰のものか・弥生から古墳へ 
法隆寺
大塚初重氏の仕事
385万葉集を片手に旅ゆけば
386今城塚古墳の謎・物語が見えない
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