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倭国の墓制・家形石棺は熊本で発祥

倭国の墓制家形石棺
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(遠景に阿蘇の噴煙が見える。中景は阿蘇火砕流台地の花房台地。菊池川岸に立ち南東を見る)
墓制を見れば、倭国は俀国に滅ぼされたことになる、と前回のブログに書きました。倭国とは熊本の勢力で、邪馬台国を滅ぼした狗奴国であること、狗奴国が鉄をつかって生産力をあげ北部九州を豊かにし、鉄の道具で石の加工をしたことなど、少しふれました。筑紫君の墓制は家形石棺だったことにも触れましたが、それが狗奴国とつながることの説明は足りなかったと思います。
ここでは、そのことを考えてみましょう。では、熊本に集中する装飾古墳の復習から始めましょう。壁画装飾を持つ古墳を装飾古墳とよびますが、その共通性を見つけてください。
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と、公開されている装飾古墳(パンフレットの写真を拡大)を紹介しました。横山古墳は山鹿市古墳博物館に移築されていますから見学できると思いますが、あとは公開の時期でないと見ることはできないと思います。これらの古墳の所在地は、地図で示されています。⑩や⑪は横穴墓と呼ばれる凝灰岩の崖の穴墓で、線彫の装飾が見られます。
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 熊本の古墳はこのような装飾古墳ばかりではありません。何度も紹介したように、狗奴国人は鉄の道具を持った集団ですから、刳り貫き型の石棺を多く造ることができたのです。
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びっくりしますね。宇土市の向野田古墳の女性の骨格です。30歳~40歳で出産経験もある156cmほどの背の高い女性だそうです。骨にハリスの線が見られるので、生前に重金属の中毒などで体がダメージを受けていたようです。石棺に残る水銀朱のような朱丹を人々を惑わす目的で顔や体に日常的に塗っていたことが考えられると、「新宇土市史」の中に書かれています。この本の第一巻のみを宇土市に注文して少し高かったけど買いました。写真はそこから貰いました。
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倭国の墓制・家形石棺は熊本で発祥_a0237545_19131288.png向野田古墳は4世紀後半の前方後円墳(89m)であり、竪穴式石槨に舟形石棺が置かれ、鏡3面・腕輪形石製品・玉類・棺外に鉄刀・鉄剣・などが副葬されていました。鏡は方格規矩鏡・内向花文鏡・鳥獣鏡で、弥生の後期に多く副葬されたのは方格規矩鏡(糸島の平原王墓の8割は方格規矩鏡)ですから、向野田古墳はその伝統を色濃く伝えているのです。前方古円墳に女性と確認された人の埋葬は珍しいそうです。それにしても、舶載三角縁神獣鏡を1面副葬された城ノ越古墳より、向野田古墳の築造が遅いとは、どういうことでしょうね。舶載(?)という眉唾な三角縁神獣鏡は4世紀の古墳から出ると聞きますよね。副葬品は古いタイプのセットだが舟形石棺を使用している点から、築造は古墳時代前期の半ばとされているそうです。
 宇土半島基部は熊本県内では最も早く前方後円墳が築かれた地域であり、4群(轟、緑川群・花園群・不知火東、松山群・不知火西部)に分けられていると、市史にあります。宇土市の市史編纂のスタンスは「古墳時代は箸中山古墳(箸墓)から始まる」ですから、最も早い築造とはいえ、畿内より早い設定はありません。それでも、轟、緑川郡の城ノ越古墳(前方後円・三角縁神獣鏡副葬)は3世紀末に属すると書いています。このあとの迫之上古墳(竪穴式石槨・鉄刀、鉄槍副葬)は4世紀中ごろ。不知火西部群の弁天山古墳が4世紀前半とされる他、他の地域はほとんど4世紀後半からの築造とされています。畿内の古墳の暦年代が次々に引き上げられる(その理由も驚きですが)中、九州は一向にその気配はありません。
 ちなみに熊本県の前方後円墳・大型円墳を持つ地域は限られており、9か所が挙げられています(他に小型の古墳群が数多くある)が、次の、①関川(諏訪川)流域 ②菊池川下流域 ③菊池川中流域 ④白川上流域 ⑤緑川中流域 ⑥宇土半島基部 ⑦氷川下流域 ⑧球磨川下流域 ⑨球磨川中流域 以上の地域と紹介されています。
 下写真は、花園町楢崎古墳です。石材は灰色のの阿蘇石です。この古墳には5基の埋葬施設があり、4基が後円部にあります。家形石棺2基・舟形石棺1基です。ここには刳抜式の技術も、組合せ式の技術も使われています。が、石材は馬門石ではありません。
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さて、家形石棺ですが、『新宇土市史』は、「家形石棺という埋葬施設の発案は九州でなされたことは間違いない」といいます。が、宇土市の前期の古墳はほとんどが舟形石棺です。
 そもそも石棺文化はいつ始まったものでしょう。弥生時代の木棺には地域の首長が埋葬されたそうです。古墳時代になると、木棺に粘土郭、木棺に竪穴式石槨、組み合せ式石棺・割竹型雛形石棺(刳抜式)に始まり、中期には横穴式石室に舟形石棺が継続し、組合せ式長持ち型・箱型・家形石棺が加わってくるそうです。後期には、横穴式石室が普及し舟形石棺から刳貫式の家形石棺が出現するというのです。要するに、弥生の組合せ式箱式石棺(一部には縄文時代のものある)は舟形石棺へ引き継がれていて、刳貫式割竹形石棺(?)→舟形石棺→家形石棺、組合わせ式も箱形石棺→長持型石棺→家形石棺 と変化したと言えるそうです。一般に、香川県の「割竹型石棺」が石棺の始まり(白石太一郎・他1985)と言われますが、それが熊本に入ったというのでしょうか。熊本の石棺の変遷を見ると……
 下図は新宇土市史「九州における舟形石棺の分布」です。◆肥前Ⅰ型・◇肥前Ⅱ型・■北肥後Ⅰ型・□北肥後Ⅱ型・●中肥後型・▲南肥後型・◉豊後Ⅰ型◎豊後Ⅱ型・△日向型・〇その他不明 ★石棺製作地。 製作地★は、菊池川下流域・宇土半島馬門・氷川流域になっているようです。
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上図を見ると、菊池川流域の舟形石棺が、矢部川流域の八女地方に入っていることがよくわかります。筑紫君磐井と火の中君は姻戚関係にあったと書かれている通りの分布図です。
では、家形石棺の分布図も見てみましょう。私が筑紫君の墓制だと思っている妻入横口式家形石棺の出自がわかります。
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  同じく新宇土市史「九州における家形石棺の分布」を見ます。〇妻入横口式家形石棺・■平入横口式家形石棺・●その他組み合わせ式家形石棺・◆刳抜式家形石棺 
 上図を見ると、家形石棺は宇土半島基部・菊池川流域に集中し、「妻入横口式石棺」は久留米地方・菊池川下流域・宇土半島基部あり、他には広がっていません。この三地方の強烈なつながりを示すのでしょう。 此処での結論は、「邪馬台国を滅ぼしたのは倭国である。倭国とは熊本の勢力で狗奴国と呼ばれた国である。狗奴国は南筑後から侵入して筑紫を豊かにし倭国と名乗り、首長は筑紫君と呼ばれたが、豊前と協力した肥後の一族内から謀反があり(いわゆる「磐井の乱」)、1年近く戦った筑紫君磐井は豊前に逃れて行方不明になり(風土記)、一族は衰退していった。」ということですが、この筑紫君の首長の墓制が妻入横口式石棺であれば、磐井の乱後には作られなくなる理由はここにあります。また、その家形石棺が、瀬戸内・吉備・畿内に伝播しているのです。それも、阿蘇石が石棺として運ばれているという事実があります。これは、どういうことでしょう。他地域の首長が、遠い九州の石棺を運ばせているのです。九州からの献上品となっていますが……首長が臣下の墓制を取り入れたとは思えません。
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 上の写真は、馬門石(阿蘇溶結凝灰岩)で作られた植山古墳の家形石棺で、ここは推古天皇と竹田皇子の改葬前の墓と言われています。きれいに掃除されていて、副葬品はなかったと思います。
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by tizudesiru | 2015-10-31 16:13 | 128倭国の墓制 | Trackback(9)
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地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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192軽太郎女皇女の歌
193人麻呂編集の万葉集
194万葉集は倭国の歌
195聖武天皇と元正天皇の約束
196玄昉の墓は沈黙する
197光明子の苦悩と懺悔
198光明皇后の不幸と不運
199光明皇后の深い憂鬱
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201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 九州の古代山城の不思議
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授柿本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
374令和元年こそ万葉集を読み解こう
375大伴家持、万葉集最終歌への道
376神社一人旅はいかがですか
377花の写真はいかがですか
378杵島曲が切り結ぶ有明海文化圏と関東
379万葉集巻二十は鎮魂と告発の歌巻
380関東の神社は、政変を示しているのか
381九州の古墳の不思議と謎
382松浦佐用姫は何故死んだのか
383令和三年の奇跡を祈りましょう
384歴史は誰のものか・弥生から古墳へ 
法隆寺
大塚初重氏の仕事
385万葉集を片手に旅ゆけば
386今城塚古墳の謎・物語が見えない
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