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続々・筥崎宮の「敵国降伏」

地図で楽しむ古代史

(4)古墳時代の祭祀ライン
八女丘陵の岩戸山古墳を地図で見てみましょう。岩戸山古墳からはたくさんのラインが出ています。
 まず、岩戸山古墳を横切る黄色のライン。ほぼ真東に来る山は、県境の熊渡山です。
 鈴ノ耳納山から出る赤ラインは、西の石人山古墳に届きます。
八女丘陵の岩戸山・石人山古墳の東には、鈴ノ耳納と熊渡の山頂があります。東に両古墳を遮るような墳墓はありません。つまり石人山古墳・岩戸山古墳の被葬者は、地域の東の高峰とほぼ同じ緯度に眠っているのです。4世紀の一貴山銚子塚古墳も東に飯盛山を頂き、同じく古い形の三角縁神獣鏡を持つ筑紫野の原口古墳のほぼ東に来るのは、少し南にずれるけど古処山です。同じくらい北にずれると、馬見山になります。東の高峰に見守られるのは、地域の有力者の墓です。それは、弥生から受け継がれたものでしょう。しかし、時代が下ると、東の山より神上がりした過去の権力者と結びつく事が大事になっていきます。弥生の東西ラインが、古墳時代になって変化していったという事です。
 他の山とのつながりも見ましょう。脊振山は脊振山地の最高峰、シンボル的な山です。様々な地域や墓からラインが集まりました。その山頂と黄緑のラインで結んでみました。黄緑ラインが岩戸山古墳の後円部から北西に伸びています。このラインは、脊振山頂を通り、糸島市の高祖山に届きます。地域の山と結びつくのは当然かも知れません。が、伊都国の高祖山とは。高祖山山麓には墓群が広がっています。赤ライン(北東へ)麻氐良布山→釈迦ヶ岳となっています。
では、古墳との結び付きです。
赤ライン・岩戸山→(北東東へ)鷹取山→楠名古墳
この他にも、岩戸山→(北東東へ)屋形古墳→日ノ岡古墳もあります。
 岩戸山古墳から出るピンクのラインを天山につなぐと、船山古墳の縁を通過します。青ラインを北に伸ばし筑紫神社の近くの五郎山古墳につないでみると、真北ではなく少し傾きます。いずれも意図的なラインとは言い難いのですが、水色ラインは熊本の江田船山古墳の墳丘部を通り、熊ノ岳に届きます。これは、5世紀の江田船山の被葬者を磐井が崇敬していた事になるでしょう。このように、古墳時代に入ると、過去の有力者とつなぐために山頂を使った事になります。
他にも、気になる事が出てきました。岩戸山古墳から出る二本の紫ラインがあります。北東の紫ラインは、林田・三奈木神社→荷原(いないばる)・三奈木神社→水の文化村(羽白熊鷲墓)→馬見山とつながります。熊鷲の墓は移動を繰り返しているので、場所を決めるのが難しいのですが、磐井が熊鷲の墓を知っていたとしたら、伝承に信ぴょう性が加わります。更に、当たる範囲が広いので表現は難しいですが、そのまま馬見山から更に伸ばすと、御所ガ谷神籠石に届くようです。南西に伸びる紫ラインは、女山神籠石を通り、雲仙普賢岳に届きます。紫ラインが多数集まっているので、岩戸山からのラインには白をかぶせています。6世紀の古墳が、5世紀の古墳や神籠石につながる事。それは、同時代か時代的に近い築造物だと言えるでしょう。神籠石は、7世紀後半ではなく6世紀の可能性が強いという事です。神籠石の下から6世紀の土器片が出てきた例がある事も、無視できないと思います。新たに、6世紀の古墳と神籠石の関係が浮かび上がって来ました。
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(5)神籠石の東西ライン
紫ライン(北東へ)式内社・三奈木神社→馬見山→御所ガ谷神籠石
紫ライン(南西へ)女山神籠石→雲仙普賢岳
前項で女山と御所ヶ谷の神籠石が出てきましたが、他の神籠石は何処にあって、何世紀の築造で、どんな役目をしていたか、ラインで読めるでしょうか。神籠石にも弥生の東西ラインがあるのかという問題も出てきました。結論から言うと、神籠石は東西に向き合っている事が多いようです。相対する神籠石が見つかっていない神籠石もありますが、これから発見される可能性もあります。
(ア)女山神籠石とおつぼ山神籠石
二か所の神籠石は、有明海を挟んで東西に向き合っています。女山から西に出る紫ラインが、それです。
北に伸びる紫ラインは、石人山古墳の墳丘部を通り、筑紫野の原口古墳を通り、大城山山頂横を通過し、更に北上して、式内社(明神大)宗像大社の本殿に届きます。宗像大社が現在地に建てられた時、石人山古墳や女山神籠石を意識していたと思ってしまいます。赤をかぶせた紫ラインは、杷木神籠石を通り、唐原神籠石に届きます。緑をかぶせた紫ラインは、熊本の八方ヶ岳山頂を通り、阿蘇の国造神社に届きます。黄色のかかった紫ライン(北東)は、高良山神籠石を通り、寿命王塚古墳(6世紀)に届きます。北西の紫ラインは、雷山山頂を通り一貴山銚子塚古墳に届きます。ピンクラインは江田船山古墳(5世紀)が起点です。女山を通過し、福岡市の愛宕山を通り、志賀島の北・志賀海神社の沖津宮(元宮)に届きます。女山神籠石は、有明海と筑紫の国を守っているのでしょう。この時代、志賀海神社は現在地にはなかった事になります。
(イ)杷木神籠石と帯隈山神籠石
 この二か所の神籠石も、東西に相対しています。
 帯隈山山頂・神籠石から北上すると、福岡市の愛宕神社を通り、西戸崎の大嶽神社に届きます。帯隈山神籠石を南西から北東に横切るラインは、おつぼ山神籠石を起点とし、帯隈山神籠石を通り、筑紫野の五郎山古墳に届きます。この装飾古墳には、騎馬人物や船や馬の絵があります。日本書紀に出てくる「筑紫の馬」の生産者なのでしょう。五郎山の被葬者は、神籠石の時代には有力者として知られていたのです。
(ウ)宮地岳神籠石と雷山神籠石
 この二か所も東西の位置にあります。宮地岳神籠石は、すでに紹介している阿志岐山城の事です。江戸時代に宮地嶽神社を山頂に勧請したので、宮地岳と呼ばれるようになったようですが、もともと天山(あまやま)と呼ばれていたようです。ラインは山城の上を通っています。北からの赤ラインは、始めに紹介した筥崎宮からのライン。
宮地岳から伸びる紫ラインの西端に、雷山神籠石があります。神籠石はダム(ため池)を挟んで南北に広がっていますが、西は地震の為に破壊されて列石はないそうです。
印ピンの辺りに神社と水門があります。雷山山頂から出る赤ラインは真北に上り、志登支石墓を通り志登神社に至ります。隣の赤ラインは、式内社(明神大)志賀海神社を通り、宗像大社の大島の中津宮に届きます。そのまた隣の赤ラインは、高祖山→鋤崎古墳へラインが通ります。鋤崎古墳は、位至三公鏡を出土した古墳です。糸島市井原や、浜玉町の谷口古墳からも位至三公鏡を出土しています。弥生後期・古墳前期の頃、中国と交流を持った人々が北部九州に居たのです。
(エ)鹿毛馬神籠石と御所ガ谷神籠石
 この二か所の神籠石も、東西に相対しています。間に香春岳が入ります。現在、セメント会社により、山頂のみならず山全体が激しく削られています。画像の山頂のポイントは、過去の地図と、山の模型と古写真を元に入れました。御所ヶ谷・鹿毛馬とつながるラインは、そのまま西に伸ばすと、志賀島の志賀海神社の元宮(沖津宮)に行きつきます。両方の神籠石の時代、志賀海神社の祭祀は、沖津宮で行われていたのでしょう。
・女山神籠石とおつぼ山神籠石 ・杷木神籠石と帯隈山神籠石 ・宮地岳神籠石(阿志岐山城)と雷山神籠石 ・鹿毛馬神籠石と御所ガ谷神籠石」は東西に相対し、交通の要衝に築造されています。守りと信仰を両立させているようです。
では、高良山神籠石はどうなるのでしょう。もし、東西に相対する神籠石があるとしたら、小城か多久の辺りでしょうか。しかし、今のところ発見されていません。相対する神籠石がないとして、高良山神籠石を見てみましょう。
(オ)高良山神籠石と高良大社
 不思議な事に、式内社としての高良大社と神籠石が同居しているのです。同時代の建造物ではありません。それぞれが別の時代を象徴する建造物です。延喜式神名帳には「高良玉垂命神社」と記載され、名神大社に列しています。高良玉垂宮とも呼ばれ、ご祭神は武内宿禰や、藤大臣、月神など様々に説があるそうですが、正殿には高良玉垂命・左殿には八幡大神・右殿には住吉大神となっています。筑後一宮であり朝廷から正一位を授けられたとされます。仁徳天皇55年(367年)または78年(390年)鎮座、創建は履中天皇元年(400年)と伝わります。高良山にはもともと高木神(高牟礼神・高御産巣日神)が鎮座し、高牟礼山と呼ばれていました。伝承によると、高木神と高良玉垂命との交代は、日数をかけずに行われたようです。権力の支持無くしては出来ない事だと思います。高良大社の麓に神籠石の印を入れていますが、神籠石は広い境内に広がり、本殿も取り込まれています。
大社より様々な色のラインが出ています。本殿から出るラインと、裏の神籠石の領域高所から出るラインを分けてみました。まず本殿から出るラインです。山は、いずれも山頂です。
黄緑・本殿→高樹神社→伊勢天照御祖神社
赤・本殿→九千部山→吉武高木
紺・本殿→釈迦ヶ岳→英彦山北岳
紫・本殿→東へ耳納山地の鷹取山
水色・本殿→御前岳→釈迦岳→渡神山
黄色・本殿→阿蘇の火口→高千穂神宮(宮崎県)
高良大社からのラインは、新しい権力者の好みのようで、海抜の高い山や、火山との結びつきを求めているようです。
 次は本殿裏の高所からのラインです。神籠石の列石があります。
白・神籠石→筑紫野・宮地岳山城→宝満山頂の横→砥石山→鉾立山
ピンク(ラインが切れているが、南につながっている)・大根地山→高良山神籠石→岩戸山古墳
青紫・神籠石→平塚川添遺跡(北寄り)→古処山
 このように、高良山神籠石は、信仰の山とつながっているようです。鉾立山・古処山・九千部山・宝満山・大根地山など幾度も出てくる山の名があります。
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神籠石の時代、高良山は此処から何処を見据えていたのでしょう。佐賀の小城辺りに、高良山神籠石と相対する山城がある可能性を既述していますが、あるいは、宮地岳神籠石と南北に相対しているのかも知れません。そうすると、守るべきものは、宮地岳の緯度より南にあった事になります。そうでなければ、宮地岳山城と相対する神籠石が、更に北に見つかる事でしょう。
そして、高良山神籠石山城と同じ場所が、式内社(明神大)なっている理由はなんでしょう。玉垂宮は鎮座以来、遷宮したりして場所を変えることもしていません。筥崎宮と同じように、過去の国の象徴の山や、祈りの場を抑えるためには、現在地でなければならなかったのでしょう。過去を抑え込む事が、他の場所では出来なかったとしたら……高良山は、古代からずっと重要な位置にあったのです。相対する神籠石がないなら、此処が神籠石の中心であった可能性も出てきます。高良山神籠石→祇園山(高良大社の麓)→帯隈山神籠石、女山神籠石→高良山神籠石→王塚古墳、高良山神籠石→宮地岳山城→宝満山、のように、高良山・帯隈山・宮地岳・女山の四か所の神籠石が結びつきました。すごい事です。他に、女山も、高良山・杷木・唐原・おつぼ山とつながる事は既述しています。神籠石山城の結びつきを見ると、筑後辺りが重要な地域に近いようです。
更に、誰が、またはどのあたりの人物が、神籠石山城を造らせたのかという問題も浮上します。それを、高良山神籠石で探ってみましょう。高良山と結びつく古墳は、祇園山古墳、高良山→寺徳古墳→日ノ岡古墳、岩戸山古墳、王塚古墳などで有名古墳は既述しています。これらの被葬者のつながりは想像できます。もちろん、これだけで探るのは危険ですが、ヒントにはなるでしょう。

では、既述の「古墳時代の祭祀ライン」であつかった岩戸山古墳を見直してみましょう。結びつく神籠石系山城は、雷山・高良山・宮地岳・女山です。
結びつく古墳は、楠名・日ノ岡・江田船山・羽白熊鷲(伝承地)・一貴山銚子塚・五郎山(北に位置する)です。
更に、面白い事に、岩戸山を抑える式内社は、
岩戸山→見勢大霊石神社→宮地岳・宝満山…、
岩戸山→三奈宜神社→熊鷲墓→馬見山、
岩戸山→高良大社→大根地山など、
見勢大霊石神社・三奈宜神社・高良大社の三社です。式内社が、間に入って霊力を断っているのでしょうか。宝満・馬見・大根地の山々も、重要な位置にあった事が分かります。
ちなみに、式内社に囲まれた他の古墳は、見勢大霊石神社→五郎山古墳→筑紫神社、筑紫神社→大巳貴神社→羽白熊鷲墓、なかなか少ないようです。一貴山銚子塚→志登神社→大嶽は、大嶽との結びつきを断とうとしているのでしょうか。日ノ岡古墳→大巳貴神社→竈神社は、ラインが若干ずれますので無理でしょうか。ですが、岩戸山古墳が式内社によって信仰の山との間を断たれている事は、明らかだと思います。
では、神籠石は岩戸山古墳の辺りを守っているのかと言うと、そうではないようです。筑後は6世紀前半あたりには中心部だったようですが、神籠石系山城の配置を見ると守るべき場所は移動しています。それは、もっとも丁寧に築造された阿志岐山城の辺りに中心地が移動したものと思われます。式内社の筑前への偏りからも、それが分かります。この移動は、磐井の乱が引き金となったのでしょう。磐井の乱後に置かれたと言われる「国造」や「屯倉」の広がりから見ても、大きな政変があった事は明白です。

(オ)石城山と永納山
 その他の神籠石の位置はどうなっているのでしょう。たとえば、石城山と永納山の神籠石は、東西に相対しています。石城山(山口)からラインを引きそのまま伸ばすと、大廻小廻山城(岡山)に届き、更に播磨城山城(たつの市)まで行き着きます。三か所の古代山城が一列に連なります。では、永納山から讃岐城山城に伸ばすとどうなるかと言えば、神籠石の発見がないので、ラインは滋賀県大津市の中央一丁目と、京町一丁目の辺りにまで伸ばせます。天智天皇の都にたどりつくのでしょうか。二か所しか神籠石をつなげないので、よくわかりません。が、気になる結果です。神籠石は近畿王権とかかわりがあるのでしょうか。

神籠石とされている築造物そのものが、時代的な考証や築造技術について調査が不十分だと思います。特に九州を出ると、技術的な共通点がはっきりしません。しかし、神籠石と朝鮮式山城は区別されているようです。大野城も朝鮮式山城と呼ばれています。それでも、高安城のように日本書紀にたびたび出てくる山城でも、その位置が特定されていません。近畿の古代史に興味を持つ人達が、探査を繰り返してようやく礎石らしいものを見つけたとか。ですから、地図上になかなかポイントを打てないのです。
 見つかっている神籠石系山城
・佐賀県
        おつぼ山神籠石
      帯隈山神籠石
福岡県
・        女山神籠石
・高良山神籠石
・雷山神籠石
・鹿毛馬神籠石
・御所ヶ谷神籠石
・杷木神籠石
・塔原神籠石
・宮地岳古代山城
山口県      石城山
岡山県      鬼ノ城山城
・        大廻り小廻り山城
愛媛県      永納山
香川県      讃岐城
兵庫県      播磨城山城 

朝鮮式山城
高安城・屋島城・長門城・大野城・基肄城・金田城・茨城・常城・鞠智城
(神籠石シンポジウムで、上記のように分けられていました)

まだ次があります「続々の続・筥崎宮の『敵国降伏』」へ進んでください。
画像は後でアップします。

by tizudesiru | 2012-07-23 15:10 | 77筥崎宮の「敵国降伏」その3 | Trackback(17)
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地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


by tizudesiru

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128倭国の墓制
129?国の墓制・巨石横穴墓
130素材が語る古代Ⅰ・樟
131素材が語る古代Ⅱ・石加工技術
132箸墓は卑弥呼の墓ではない
133ホケノ山古墳
134邪馬台国シンポ・久留米
135阿蘇ピンク石の井寺古墳
136古代の土器焼成
137方保田東原遺跡の庄内式土器
138武士の祭祀線・徳川と足利
139大祖神社と志登神社に初詣
140猫大明神のネコとは
141熊本大震災
142光の道は祭祀線
143大汝小彦名の神こそは
144紀伊國に有間皇子の跡を訪ねて
145和歌山と九州の古墳
146有間皇子の墓は岩内1号墳か
147糸島高校博物館
148光の道は弥生時代から
150草壁皇子を偲ぶ阿閇皇女
151有間皇子を偲ぶ歌
152有間皇子の霊魂に別れの儀式
153有間皇子の終焉の地を訪ねた太上天皇
154 有間皇子は無実だった
155持統帝の紀伊国行幸の最終歌
156人麻呂は女帝のために生きた
157持統帝の霊魂に再会した人麻呂
158草壁皇子の形見の地・阿騎野
159草壁皇子の薨去の事情
160大津皇子の流涕して作る御歌
161天武朝の女性たちの悲劇
163持統天皇の最後の願い
164持統天皇との約束・人麻呂ことあげ
144有間皇子事件の目撃者
165天武大地震(筑紫大地震)678年
166高市皇子と高松塚古墳
167持統帝の孫・文武天皇の仕事
168額田王は天智天皇を愛し続けた
169額田王の恋歌と素顔
170額田王が建立した粟原寺
171額田王の歌の紹介
172糸島の神社
173高市皇子の妃・但馬皇女の恋歌
174高市皇子の死の真相
175草壁皇子の挽歌
176大化改新後の年表
177持統帝と天武帝の絆の深さ?
熊本地震・南阿蘇への道
178天武帝の霊魂は伊勢へ
179天武帝と持統帝の溝
180天智天皇と藤原鎌足
181藤原不比等とは何者か(1)
181藤原不比等とは何者か(2)
181藤原不比等とは何者か(3)
182鎮魂の歌集・初期万葉集
183元明天皇の愛と苦悩
184氷高内親王の孤独
185長屋王(高市皇子の長子)の悲劇
186 聖武天皇の不運と不幸
187難波宮を寿ぐ歌
188孝徳帝の難波宮を寿ぐ
189間人皇后の愛と悲劇
190間人皇后の難波宮脱出
191有間皇子と間人皇后の物語
192軽太郎女皇女の歌
193人麻呂編集の万葉集
194万葉集は倭国の歌
195聖武天皇と元正天皇の約束
196玄昉の墓は沈黙する
197光明子の苦悩と懺悔
198光明皇后の不幸と不運
199光明皇后の深い憂鬱
200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独
201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 九州の古代山城の不思議
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授柿本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
374令和元年こそ万葉集を読み解こう
375大伴家持、万葉集最終歌への道
376神社一人旅はいかがですか
377花の写真はいかがですか
378杵島曲が切り結ぶ有明海文化圏と関東
379万葉集巻二十は鎮魂と告発の歌巻
380関東の神社は、政変を示しているのか
381九州の古墳の不思議と謎
382松浦佐用姫は何故死んだのか
383令和三年の奇跡を祈りましょう
384歴史は誰のものか・弥生から古墳へ 
法隆寺
大塚初重氏の仕事
385万葉集を片手に旅ゆけば
386今城塚古墳の謎・物語が見えない
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