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高良山神籠石から謎が解ける

高良山神籠石から謎を解く
そうなんです。神籠石と式内社の謎が解けると思います。
 高良山神籠石と、延喜式神名帳に「高良玉垂命神社」と記載されている高良大社は、別の時代の建造物なのに、同じ敷地内に同居しているのです。それはなぜなのでしょう。高良大社の敷地を取り囲むように、神籠石の列石が存在するなんて不思議です。また、北側の列石が突然消失しているのは、天武地震(678年)によるものと言われます。そうすると、678年前に神籠石は作られた事になります。高良山のみならず、同じような列石を持った神籠石が、歴史に登場しないのはなぜか。重要な地点に建設され、多くの労働をかりだしたであろうに。高良山の西側の御井には国の役所も作られています。人の行き来のない山奥とは違います。生産力のある平地の近くに造られたのに、まったく忘れられている。それはなぜか。
 忘れられた理由があるはずです。
 
今まで紹介してきたことを重ねて考えていただくと、結論は自ずから現れてきます。
 6世紀前の北部九州には、国々が大きな連合関係にあった事。それが、磐井の乱後に崩れていったらしいこと。近畿の勢力が九州に入ってきたのは、磐井の乱後。
 7世紀半ばになって、太宰府に大宰府が作られたらしいこと。白村江敗戦後、再び九州の統制が重要になったのが、大宰府設置の本音です。
 10世紀醍醐帝の時代・辛酉の年になって、再、再度九州の神を封じなければならない状況が生まれました。天神として、畿内に災いを起こしたからです。筥崎八幡宮(式内社)の「敵国降伏」の辰筆は、まさに「九州の古代国家を真に降伏させたい」という願いの下に書かれたものでしょう。だから、10世紀になって、北部九州の神を封じるために式内社が設定されたのではないかということ……等々です。
 6世紀から10世紀にかけての政変が、繰り返し過去を消しました。それでも、残ったのが、首長墓・山岳・神籠石・いくらかの神社だったのです。つまり、6世紀の九州の地域連合は、神籠石からのラインや、有力首長の墳墓からのラインが地域の山岳と結びつくということで証明・象徴されるのです。そのことが、高良山神籠石・高良玉垂命神社(式内社)に集約されています。

高良山神籠石から謎が解ける_a0237545_23142555.jpg
写真の神社マークが高良大社です。高良大社から、たくさんのラインを伸ばしています。本殿の裏には神籠石の列石が続いていますが、北側で突然失われています。敷地内には、式内社の伊勢天照御祖神社があります。「高良玉垂の神が、高木の神に一夜の宿を願ったので、高木の神が譲ったところ、玉垂の神が結界を張り居座ってしまった」という伝承もあり、高木の神は、麓に鎮座されています。では、ラインを見てみましょう。
 赤紫ライン(高良大社・筑紫野の宮地岳・宝満山・鉾立山)北へ上るラインです。宮地岳には古代山城址がありますが、誰が何のために作ったのか不明です。宝満山から西へ伸びるラインは、須玖岡本・吉武高木・飯盛山山頂・三雲南王墓・一貴山銚子塚と弥生の中期・後期の遺跡の上を通ります。福岡平野の中心の東西ラインです。その宝満山を通り鉾立山に届きます。鉾立山からも西へラインを延ばすと、香椎宮を通り、海の中道の大嶽神社に届きます。つまり、高良大社から北上するラインは、福岡平野の守りの主軸線とつながっています
 紫ライン(女山神籠石・高良山神籠石・寿命の王塚古墳
これは、寿命の王塚古墳からのラインです。女山と高良山の神籠石を結びつけています。寿命王塚は見事な装飾古墳です。国内最多の5色の顔料が使われ、玄室の手前に羨道・前室があります。奥壁に石棚、下部には石棺、前面に灯明台が置かれ、玄室入口の上部に子窓が開けてあり、石棺を覆う石屋形を持ち、棺床は二人を収納する場所が設置され、石屋形の外にも二個の石枕が置かれていました。文様は、騎馬像・同心円・三角文・わらび手文・双脚輪状文・靫・大刀・盾です。双脚輪状文を持つ古墳は希少。
 未盗掘の古墳だったため、馬具(鐙・轡など)鏡(変形神獣鏡)管玉・なつめ玉・切子玉・耳輪・銀鈴・大刀・鉾・刀子・鉄鏃など・高坏(たかつき)・提瓶(さげべ)等々
 6世紀半ばという古墳ですが、すごい出土品です。磐井の乱後、この古墳の主は二つの神籠石を守ったのでしょうか。 
 
 薄紫ライン(高良大社・平塚川添遺跡・古処山
 古処山は、羽白熊鷲の伝承の山です。神功皇后に敗れましたが、その墓なるものが甘木水の文化村に残されています。日本書紀に書かれている数少ない個人名です。古処山山頂からのラインが、平塚川添遺跡の端を通ります。平塚川添は、六重の環濠を持つ、弥生時代後期から古墳時代にかけての環濠集落です。もし、このラインが有効なら弥生の信仰の場(平塚川添遺跡)を意識して神籠石(高良山)を造った事になります。
赤ライン(高良大社・天神社・屏山)上記の薄紫ラインの古処山からのラインが有効だとしたら、古処山の隣の屏山からのラインも生きてきます。神籠石を造った人々は、古処山・屏山・馬見山と連なる三つの峰を信仰の対象にしていたことになります。馬見山は、幾度となく出てきた信仰の山です。
 青ライン(高良大社と英彦山をつないでみたら、釈迦ヶ岳が間に入りそうです)これは、なぜだか分りません。あえて、言うなら、英彦山が日子山であった時代、神籠石を支える山だったかもしれません。または、式内社としての高良大社を助ける山だったかも。そうなると、まったく逆の働きをしていたことになります。どうも、朝廷側に取り込まれたようにも感じます。
 薄桃ライン(高良大社・下馬場古墳・寺徳古墳・日ノ岡古墳)日ノ岡・地徳・(下馬場)の首長の墓は、神籠石を守るように並んでいると思います。しかし、式内社の高良大社が、その霊力を断ち切ろうとしている。古代の首長連合を阻止しているようです。
 ピンクライン(高良大社の真東の鷹取山)真東の山は、鷹取山。当然、高良山神籠石から朝夕祈りをささげた山でしょう。それは、弥生の福岡平野に見られたような信仰の山、春分秋分の日に太陽の昇る山です。鷹取山は、古処山とともに南と北で筑紫平野を挟んで相対してもいるのです。西を向いている高良大社は、鷹取山に背を向けています。式内社の時代に、鷹取信仰が消されたのでしょう。
 水色ライン(高良大社・矢部の釈迦岳・渡神山)釈迦岳は、福岡県でも英彦山と並んで高い山です。そして、渡神山・釈迦岳・御前岳の山頂は並んでいます。そのラインが高良大社に届きます。三連山のラインを断ち切るように、式内社としての高良大社は造られたと思うのです。神籠石につながる三連山は、6世紀の国守りの山だったはずです。
 黄色ライン(高良大社・阿蘇の中岳・高千穂神宮)
 これも、出来過ぎのラインです。式内社としての高良大社が、高千穂神宮と阿蘇山の力を封じたのかもしれないと思うのです。それは、古代の人が、煙を吐く火山を恐れていたと仮定してのことです。又は、熊襲の信仰の山として封じたのかもしれません。


 かって、高良山は久留米市街から常に見えました。メイン道路が高良山を向いているからです。そこに、筑後一ノ宮としての高良玉垂宮があるからです。そこは、長い間、人々にとって大切な場所だったのです。筑後の一ノ宮の玉垂宮は、人々の尊崇を集めました。中世には、大伴・島津・菊池など九州の武家も高良大社を支えました。西征大将軍懐良親王の陣も、高良山にありました。
 それは、10世紀も同じでした。高良玉垂宮は式内社となりました。筑前筑後の式内社は、古代の権力の否定を目的にしていました。 
 宝満山のイザナギ命を下ろし、玉依姫としたのは、7世紀の天智天皇でしょう。高良玉垂宮は、さらに宮地岳神籠石の霊力を奪い、宝満山を見据えます。そして、古代の耳納山地の信仰の山である東の鷹取山を封じ、西をにらみます。西にあるのは、小城です。そこに、高良大社が直視する城(神籠石)があるはずです。風土記には、「小城には土蜘蛛がいて、堡(おき)=城塞に隠れて抵抗したため、日本武尊により征伐された」と書かれています。この堡から小城という地名が生まれたとの事です。おき(城塞の意味)があったのは確かでしょう。
 渡神山・釈迦岳・御前岳のラインは、霊力を切る為か、逆に霊力を得るためか分かりません。このラインは、英彦山・釈迦ヶ岳と同じように、高良玉垂宮が自社の霊力を高めるために結んだラインかもしれませんが。 
 そして、日ノ岡古墳・王塚古墳・寺徳古墳など装飾古墳の首長たちの連合を断ち切っているようです。首長連合の仲立ちをしていた高良山神籠石の上に式内社が来て、本来の目的を覆しているのです。他の式内社も、同じでしょう。




by tizudesiru | 2012-03-08 00:10 | 48祭祀線で神籠石の謎解き | Trackback(12)
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地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


by tizudesiru

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202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
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209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
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212中大兄の遅すぎる即位
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248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
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252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授柿本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
374令和元年こそ万葉集を読み解こう
375大伴家持、万葉集最終歌への道
376神社一人旅はいかがですか
377花の写真はいかがですか
378杵島曲が切り結ぶ有明海文化圏と関東
379万葉集巻二十は鎮魂と告発の歌巻
380関東の神社は、政変を示しているのか
381九州の古墳の不思議と謎
382松浦佐用姫は何故死んだのか
383令和三年の奇跡を祈りましょう
384歴史は誰のものか・弥生から古墳へ 
法隆寺
大塚初重氏の仕事
385万葉集を片手に旅ゆけば
386今城塚古墳の謎・物語が見えない
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