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13 九千部山と香椎宮の長方形

13 九千部山と香椎宮の長方形さて、先に高良大社を取り上げたが、この御宮に参拝した時である。本殿前階段下の茶店の御主人に、北西に連なる山地について尋ねた。
「あの山の連なりは、脊振ですか?」
「いえ、九千部です。脊振はここから見えません」
 まさかと思った。うねうねと続く山地は脊振山地でなくて何であろう。大きなレーダーもあるではないか。毎度、地図を広げていたが、耳納山地西端の高良大社からは脊振山は見えるつもりになっていた。大きな山の連なりが九千部と聞いて驚いたのである。戻って改めて地図を広げた。なるほど、脊振山の前にたちはだかる山塊は、九千部山(847m)である。脊振は山頂近くがわずかに見える程度。
 九五一年、脊振三千坊の隆信斜門が、民の苦しみを救い、風水害から守るために、法華経一万部の大願を起こし九千部山に入山した。しかし、九千部を読破した夜、白蛇の化身である美女が現れ、隆信は一万部の大願を果たす事が出来なかった。痩せ細った屍で見つかった隆信を、村人が祀ったという伝説のある九千部山。ここも後の世の信仰により山名が変わっている。
 背振山を隠すほど大きな山は、どんな働きをしているのだろう。
(ア) 九千部山と香椎宮
 定規を当てて、一瞬固まった。九千部ラインは北上し、須玖岡本遺跡を通り、まっすぐ香椎宮に達する。九千部と香椎宮は距離的にかなり離れている。定規で測ると五十三センチくらいある。直線で、二十六,七キロだろうか。香椎宮は、まさに神功皇后伝説の地であり、万葉集にも大友家持や山ノ上憶良が参拝したという香椎廟の地である。何で? ともかく経度を出してみよう。
 九千部山頂 (東経130度26分46秒)
 須玖岡本遺跡(東経130度27分2秒)
 香椎宮本殿 (東経130度27分8秒)
 
 若干、直線は傾いているようであるが、見た目には分からない。また、九千部山頂から須玖岡本遺跡までの距離と、須玖岡本遺跡から香椎宮までの距離はほぼ等しいようである。また、須玖岡本遺跡と飯盛山までの距離ともかなり近い。つまり、須玖岡本遺跡は、福岡平野の中央部にあることになる。弥生時代の地形が、どうなのかは分からないが、中心点として造営された遺跡や墓だろうか。
 もし、宝満までの距離もほぼ等しくなれば、そこには何らかの意図が働いた事にならないか。定規を当ててみたが、少し短いのである。等距離なら、宝満を越えて裏の斜面に直線が届く。この事を差し引いて考えても、須玖岡本は、大事な地点になる。東に宝満山、西に飯盛山。北に香椎宮、南に九千部山。長い南北ラインと東西ラインの交点が見つかってしまったが、それが何のためのラインか、考えなくてはならない。九千部の東にあるのは、何? 定規に当たったのは、宝満川である。二百メートルほどずれるが、御勢大霊石(みせのおおみたまいし)神社がある。また、みせたいれいせき神社とも言う。式内社である。御祭神は足仲彦天皇(仲哀天皇)。昔から此処に鎮座されていたのだろうか。
 社殿によれば、「大保の里が白洲で清浄であったので、神功皇后が天神地祇を祀り仮陣地とした」とある。白洲であれば、元社は、河原にあったのではないだろうか。皇后が天神地祇を斎祀った場所は、河原が多い。寺内の三奈木神社にも川原で祀ったとの言い伝えがあるし、猪野の皇大神宮も神功皇后が河原で斎祀ったと聞いた。すると、元々は河原にあった神社かも知れない。洪水で移動した猪野の皇大神宮のように、此処も出水対策に移動したものだろうか。
「仲哀天皇が熊襲征伐の折、この地で毒矢に当たり崩御された。激戦中であったので崩御を深く秘し、仮に御殯葬された。熊襲征伐後、崩御を布告し霊柩を香椎に移した後、皇后は天皇の御魂代として霊石を船に積み、三韓征伐を行った。戦勝凱旋して、その御魂代である霊石を、殯葬の地に宮柱を立て斎祭り、御勢大霊石宮と崇めた」という。
 延喜式には、名がみられるが、正史に出て来ない神社である。神功皇后二年の創建とされる。
緯度を出しておこう。東西に並んでいるようだ。
九千部山  (北緯33度25分10秒)
御勢大霊神社(北緯33度24分44秒)*現在地
宝満川河原 (北緯33度24分44秒)公園

 偶然だろうか。北にラインを伸ばすと、大宰府の南の山・宮地岳に当たる。この神社の元社は、地図の上では筑紫野の宮地岳の真南に位置するようだ。経度を出してみよう。
筑紫野の宮地岳山頂(東経130度34分7秒)
御勢大霊石神社本殿(東経130度33分50秒)*現在地
宝満川河原   (東経130度34分8秒)公園

 数字の上ではややずれているが、地図上の河川公園よりに元宮があれば、本殿と山頂は同じラインに並ぶことになる。考えてみると、御勢大霊石神社は、香椎宮の対角線の頂点に来るという事だ。じゃあ、九千部山の対角線に来る山は、あるのだろうか。香椎宮の東で、御勢大霊石神社の北に、山は果たしてあるのか。
(イ) 鉾立山
 そこに、鉾立山が見つかった。気になる山名ではあったし、伝説も面白かったので、印象に残っていた山である。
玉依姫は、神武天皇の父に嫁し、鎮座する山を求めて筑紫の山野を歩いていた。一行は、鞍手と糟屋両郡にそびえる一峰に辿り着いた。周囲よりぬきん出て高く眺望は絶景である。豊の国、筑紫の国を見渡し、北に大海原が開け韓さえ望まれる。『あな清が清がし』と仰せになり、そこを菅岳と呼ぶようになった。しかし、この山に決まると思えたのに、遠く坤(ひつじさる)・南西に山容の美しい山が見えた。そこで、神集いしていた神達に『いずれがよき? いずれか高きを選ばん』といわれた。それで、菅岳の前の山に鉾を立て、どちらが高いか測ることになった。すると、菅岳は砂で出来ていたため裾から減って、かの山より低くなってしまった。それで、へり山(縁山)と言い、鉾を立てた山を『鋒立山』という
 なかなか面白い。山の高さを測り比べるのに鉾を用いたという。棒のようなものを立てて、工夫して測量したものかと思われる。鉾立山の山頂は、東経130度34分7秒で、筑紫野の宮地岳とぴったり一致した。しかし、地図上では、山頂と香椎宮本殿がややずれるのである。緯度をパソコンで出してみよう。
鉾立山  (北緯33度39分3秒)
香椎宮本殿(北緯33度39分13秒)

 数字を出してみると、地図で見る時ほどずれない。距離的に近いのでずれを大きく感じるのだろう。
南の九千部に対し北の香椎宮、南の御勢大霊石神社に対し北の鉾立山の四点を頂点とする、長方形に近い細長い四角形が出来た。地図の上では、少しもゆがみは感じられない。
偶然にしても出来過ぎで面白い。その上、対角線で結ばれる二つの神社は、神功皇后でも結び付く。おまけに、長方形をほぼ等しく二分するのが、須玖岡本遺跡・宝満山神社・大城山・飯盛山の東西ラインである。
 この長方形の中にある土地には、どんな意味があるのだろう。どう説明できるだろう。これは、古代の国の姿や歴史を教えてくれるヒントになるのだろうか。古代の国が、長方形とは考えにくい。しかし、その中に大事なものがあったのだろう。では、国守りの結界のようなものだろうか。もし、そうであれば、気になる神社がある。飯盛神社と王城神社である。
by tizudesiru | 2011-09-18 17:06 | 13九千部山と香椎宮 | Trackback(15)
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地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
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255 東大寺は興福寺と並ぶ
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258ホケノ山古墳の周辺
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大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授柿本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
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269彷徨える大国主命
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273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
374令和元年こそ万葉集を読み解こう
375大伴家持、万葉集最終歌への道
376神社一人旅はいかがですか
377花の写真はいかがですか
378杵島曲が切り結ぶ有明海文化圏と関東
379万葉集巻二十は鎮魂と告発の歌巻
380関東の神社は、政変を示しているのか
381九州の古墳の不思議と謎
382松浦佐用姫は何故死んだのか
383令和三年の奇跡を祈りましょう
384歴史は誰のものか・弥生から古墳へ 
法隆寺
大塚初重氏の仕事
385万葉集を片手に旅ゆけば
386今城塚古墳の謎・物語が見えない
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