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世界遺産になった三女神・お仕事は天孫の奉助

宗像三女神のお仕事は
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天孫を助け奉ること

奥津宮(田心媛たごりひめ)、中津宮(湍津姫たぎつひめ)、辺津宮(市杵島姫いちきしまひめ)の三女神は、天孫を助けるために宗像大社に祀られているのです。大社側のパンフレットにもそう書かれています。
そもそも、宗像は「大社」です。天皇家の安泰を祈るための延喜式内社(名神大社)でもありますから、三女神のお仕事の第一は「天皇家に仕えること」ですよね。

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では、この地域で祭られていた地域の神様ではないのでしょうか。
私は自著「太宰具・宝満・沖ノ島」で、「英彦山の北岳の北山三御前が許斐山(宗像)に降り、その後に宗像大社に祀られた」という伝承を紹介しました。いったいどのような神だろうと、三女神に興味が湧いたのです。
三女神はもともと北部九州の神だったのではないかと思ったのです、それが記紀神話に取り入れられたと。

古事記でも日本書紀でも、三女神は天照大神とスサノウの誓約から生まれたことになっています。
スサノウが姉の天照に別れのあいさつに行ったところ、天照は武装して弟を待ち受けます。高天原を侵略すると思ったからです。スサノウは身の潔白を示すために誓約(うけい)をするのです。悪い心であれば男が生まれ、清き心であれば女が生まれると。スサノウの剣を天照が噛み砕いて吹き付けると、三女神が生まれました。「十握剣はお前の物根であるから、この三女神はことごとくお前の子である」と、天照は言いました。三女神はこうしてスサノウの子になりました。
(スサノウが八坂瓊の五百箇の御統(みすまる)を間で吹き付けると5人の男子が生まれ、天照がことごとく我が子といいました。御統は天照のものだったからです。第1男神は天忍穂耳命、天の忍穂耳命がニニギノ尊の父です。第2男神は天穂日命、この人の子孫が出雲臣につながっていきます。)


高天原での誓約(うけい)で三女神が誕生したのはわかってましたが、記紀の記述には微妙な差があるのですよね。

三女神誕生に使われた物根ものざね(物実ものしろ)は剣(鉄製品)です。
古事記は、須佐之男命の十挙剣(とつかのつるぎ)
日本書紀は、素戔鳴尊の十握剣(とつかのつるぎ)
    第一・第三の一書に、日神の九握剣(ここのつかのつるぎ)
             八握剣(やつかのつるぎ)
    第二の一書に、素戔鳴尊の八坂瓊(やさかに)のまが玉

物根の劔は、十握、九握、八握と長さが違うのは、女神が生まれるたびに剣が短くなっていくらしいのです。でも、まが玉では全く物が違います。


次は、誕生順ですが、古事記は、多紀理毗売命(奥津島比売)→市寸嶋比売命(佐依毗売)→多岐都比売命の順に生まれています。
日本書紀は、(本文)田心姫→湍津姫→市杵嶋姫 *宗像大社は書紀に因る祭神
   (第一の一書)瀛津嶋姫→湍津姫→田心姫
   (第二の一書)市杵嶋姫田心姫→湍津姫
   (第三の一書)瀛津嶋姫(市杵嶋姫)→湍津姫→
田霧姫
さて、長女は誰なのでしょう。(大国主の妃になったのは奥津宮の姫です)
このように微妙な違いがなぜ出るのか、それは伝承する側が多いこと、様々な氏族が伝承を持っている、ということでしょう。

書紀には三女神を九州の氏族が祭っていたと書かれていますから、天照とスサノウの物語も、やはり九州で生まれた物語かも知れませんね。
三女神のひとり多紀理毗売は出雲の大国主の妃になっていましたね。出雲大社の本殿の垣内に筑紫宮があります。出雲と九州の関係も深いのですね。


では、スサノウと天照が対峙した高天原は何処にあったのでしょうね。ニニギの天孫降臨の地は何処でしたっけ? 確か日向の襲(そ)の高千穂の添山(そおりのやま)峯ですが、鹿児島県ですか? 福岡には日向峠も日向川もあるし、脊振(せふり、そふり)山もありますねえ…

海と関係ない北山三御前が三女神となり、なぜ宗像に鎮座されたのか、海北を守る神となったのか知りたいですよね。


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三女神の奉斎氏族ですが、日本書紀では、宗像氏と水沼氏は王権に取り込まれています。王権に入り込もうとした氏族が三女神を祀ったのでしょうか。
古事記は、胸形君
日本書紀本文は、筑紫胸肩君
    第三の一書は、筑紫水沼君


このように全ての奉斎氏族に「」が付けられています。すると、三女神を祀っていたのは
九州の氏族らですね。「胸肩・水沼」の両氏族は確実に祭祀をしていました。以前「安心院(あじむ)の二女神・三女神」の所で紹介したように、水沼君が祭祀をしていた伝承は安心院の三女神社にありました。
天照大神にしても三女神にしても神功皇后にしても女性神ですから、女神発祥の地は九州でしょうかね… 海神の男性三神を祀っていたのは志賀海神社の安曇氏ですね。三神という「三」にこだわる文化もあったようです。
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数年前に、田中正日子先生のセミナーで「みあれ祭」ついて学ぶ機会がありました。そこで、記紀神話の三女神の記述を紐解いていただきました。
その時に「藤原一族が宗像の神を自分の屋敷内に祭り始めるのは、長屋王の怨念が怖かったからではなかったか。」と話が出たと思います。記憶が確かであれば。私には納得の言葉でした。三女神の進出には、藤原氏の働きかけが大きかったと思います。書紀に神話が書かれても、すぐ世間に浸透することはないでしょうから。
長屋王事件(729年)の前に書紀の編纂(720年)は終わっていますから、天照とスサノウの誓約の話は既に出来上がり、藤原氏によって三女神は畿内にも知られていったとおもうのです。
しかし、この頃(八世紀)の沖ノ島の「露天祭祀」の奉献品は、以前に比べられないほど質素になります。とても、王権の祭祀とは思えない庶民の奉献品のようになっています。七世紀の後半から八世紀の始めには、何らかの大きな政治的変化があったのでしょうね。

田中先生は「沖ノ島祭祀は、その始まりから大和王権主導型の祭祀であった」という小田富士夫先生の文を引用されていました。
たしかに4世紀の奉献品は豪華です。大きな権力の祭祀には違いありません。
でも
ホントに4世紀から近畿王権主導の祭祀だったのでしょうか。大化の改新まで中央集権化はできていなかったのに。いつの間に、王権祭祀が入って来ていたのでしょうか。

沖ノ島には、まだまだ分からないことがありますね。

三女神は世界遺産の神としてデビュしました。
三女神のお名前を書き間違えてはいけないと思って、「神宿る島 沖ノ島」のパンフレットを開きました。しかし、何処にも三女神のお名前は有りませんでした。ご祭神はどうでもよかったのでしょうか。ご祭神の名を知りたい人には不思議でしょう。どの神社もご祭神を祀ることで成り立っているのですから。神への奉献品で人目を引いて、「神よりお宝がにすごいから世界遺産にしてほしい。そしてみんなに観光に来てほしい」という意図のもとに登録を願ったと、誤解されてもいけませんね。
沖ノ島は古代の信仰を伝え、海北の海路が困難であったことを伝え、それでも海を渡った先人の勇気と決断を伝えているのです。世界遺産を通して古代の人々を偲ぼうではありませんか。
国宝を知ってもらうのは大切ですけど。
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奉献品は時代と共に変わりました。時代が変われば奉献品が変わるのは当然ですが、突然変わるのには理由がありましょうね。
また、明日。
と書いてから、十日が経ちました。実は大事なことを書いていなかったので「269彷徨える大国主命」を書こうと思います。読んでくださいね。


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by tizudesiru | 2017-07-10 16:15 | 266世界遺産になった三女神 | Trackback | Comments(1)


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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