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236藤ノ木古墳の築造時期の謎

藤ノ木古墳は本当に6世紀
あ、そうそう一月に藤ノ木古墳に行きました。法隆寺に立ち寄ったついでに行ったのです。そしたら、「沖ノ島と大和朝廷展」に藤ノ木古墳の出土物が展示されていたので、どんな関係かな?と、やや驚きました。
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「沖ノ島と大和朝廷展」に展示されていたのは、どういうわけか金銅製円形金具でした。そこには、6世紀と書かれていました。6世紀、これが定説になったのですね。
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藤ノ木古墳にはたくさんの問題がありました。まず、築造時期とされるのは前方後円墳の時代。が、此処は円墳です冠も大帯も副葬された人物が眠る墳丘なのに。
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そこに副葬されたガラス玉は、オレンジ・黄・グリーンの明るい色が主流。6世紀の日本列島でガラス玉はダークブルーが普通です。しかし、藤ノ木古墳は違います。こんな明るい色の配色は、和歌山県の大谷古墳や韓国の武寧王(ぶねいおう)
など、数例があるのみだそうです。
「玉の世界では、このガラス小玉は古墳時代後半の好みというよりもむしろ正倉院の世界ですね。時代が下がるというのではなく、これは藤ノ木古墳の特異性でしょうね」(森)とい
う意見もあります。聞き過ごすことはできませんね。
6世紀後半の古墳にはありえない状況が揃いすぎているのです。

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(大谷古墳のガラス玉)
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(石棺には朱が塗られていました)
藤ノ木古墳の石棺には二人が埋葬されていたそうです。その二人の身分を証明するような冠と大帯が、二人の足元に折りたたまれて置かれていました。ぞんざいに飾履(しょくり)と棺璧の間に挟みこまれていたとか…
飾履とは、死者が履く金銅製の靴ですが、二足の飾履は片方ずつが壊れていたそうです
冠も大帯も飾履も権威のシンボルですが、それを折りたたみ壊すことは権威の否定という側面があるらしいです。以前読んだ本に、このように書かれていました。

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橿孝研の展示物図録に掲載されている写真をデジカメで撮りました。
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棺内には飾大刀もありました。伊勢神宮の遷宮ごとに作り替えられる玉纏大刀(たままきのたち)によく似ているということです。この大刀の柄の所にサーベルのように三輪玉があります。三輪玉は埴輪にもありますし、岩戸山古墳の石材の大刀にもついていました。
実物が出て世間をおどろかせたのです。この伝統が伊勢神宮に伝わったとは、どういうことでしょうね。

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わたしには冠も大刀も時期は新しいと思えます。

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刳り抜き式の家形石棺です。藤ノ木古墳にはまだまだ多くの謎があります。石棺の中には布も残っていました。その織物の見事さ、スパンコールの新しさは、とても6世紀とは思えないのです。石棺の中の二人の人物は同時に棺内に置かれたらしいです。なぜに、冠を持った人物を同時に? 同じ石棺に埋葬したのでしょうか。
わたしは、これは大きな政変があった証拠ではないかと思うのです。
法隆寺のすぐそばですから、聖徳太子という説もありますが。
それは、どうでしょうね。
また、明日。


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藤ノ木古墳の横にお地蔵さんが祀られていました。ここが昔の村境だったのでしょうか。





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by tizudesiru | 2017-03-07 22:09 | 236藤ノ木古墳は6世紀ですか? | Comments(0)


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