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三輪山は饒速日の山だった

消された饒速日の王権

三首の神器を持っていた天神の御子・饒速日尊

饒速日尊は三輪山に遷った

先代旧事本記「天神本記(あまつかみのふみ)」には、「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊は、河内国河上の哮峯(いかるがのたけ)に天降られ、更に大倭國(当時は鳥見国・長髄)の鳥見白庭山(桜井市三輪山)に遷られた」と書かれています。

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(桜井市の三輪山は大神神社の御神体です)

饒速日尊が天降られる時、天神の御祖より天璽瑞寶十種(あまつしるしのみづのたからとくさ)を授かっていました。その瑞宝とは、

瀛都鏡一(おきつかがみひとつ)

邊都鏡一(へつかがみひとつ)

八握劔一(やつかのつるぎひとつ)

生玉一(いくたまひとつ)

死反玉一(よみかへしのたまひとつ)

足玉一(たるたまひとつ)

道反玉一(ちかへしのたまひとつ)

蛇比禮一(へみのひれひとつ)

蜂比禮一(はちのひれひとつ)

品物比禮一(くさぐさのひれひとつ)

この宝は、「一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむななやここのたり)」と唱えながら振ることによって死者も蘇るという瑞宝でした。

これらの宝は、饒速日尊の御子・宇摩志麻治命(うましまちのみこと)により神武天皇に奉献され、天皇が橿原で即位するとき宮殿内に祀られました。神武天皇が即位の時に奉斎したのは、饒速日尊の神霊だったと云うことです。宇摩志麻治命は母が長髄彦の妹だったので、「天神の子」という神武天皇に大王の位を譲ったと云うことでしょうか?

先代旧事本記には、こう書かれているのです。饒速日は神武には逢っていませんね、既に死亡していたからです。饒速日は石上神宮に祀られていますね。

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しかし、日本書紀は違っています。
日本書紀を読んだとき神武と長髄彦の箇所は疑問点が沢山あったことを思い出しました。
それは、主語が「天皇」となったり、「皇帥」となったり、「天神の子」と呼ばれたりして代わるのです。
また、なぜか饒速日の子の高倉下(たかくらじ)が饒速日の剣・韴霊(ふつのみたま)を戦いに疲れて朦朧としていた天孫(神武天皇)に献上し、神武の軍は生気を取り戻しています。
それに、長髄彦は饒速日の「天羽矢ひとつと靭」を神武に見せて、饒速日が天神の子であることを示しました。神武も同じく天羽矢一つと靭を見せて、二人は天表(あまつしるし)が間違いないものと確認し、長髄彦は畏敬の念を抱きました。
にもかかわらず長髄彦は饒速日に討たれ、饒速日は天神の御子でありながら神武に帰順するのです。神武は饒速日の功績を誉め寵愛したと云うことですが…どの逸話も納得のいかない展開でした。(先代旧事本記によると、饒速日は既に亡くなっているのですから神武に会うはずはありません


書紀では、神武は事代主と玉櫛媛の娘・媛蹈鞴五十鈴媛を正妃として、橿原宮に即位しました。媛蹈鞴五十鈴媛は神八井命と神渟名川耳命(綏靖天皇)を生みました、また古事記では、大物主神の娘・伊須気余理比売と神武の間に生れた皇子と書かれています。


大物主は桜井市三輪の大神神社の祀られていますね。

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(大神神社のご祭神は、大物主櫛甕玉命おおものぬしくしみかたまのみこと

饒速日命は死後に「櫛玉(神秘的な力を持つ玉)」の尊称をおくられて櫛甕玉饒速日尊といいます。
出雲国造神賀詞に「倭大物主櫛甕玉命とみ名を称えて大御和乃(おおみわの)神奈備に坐ます」とあるそうです。すると、三輪山の神は饒速日と云うことですか。

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饒速日は大王だったことは前回も言いました。
やはり、書紀が饒速日の業績と歴史を隠しているように思えます。また、大神神社、石上神宮、大國魂神社が同じ祭神だと、大野七三氏は書いています。
そうなると、河内から鳥見に入って来た勢力は九州の氏族だったことになりますね。ここに入って来た人々は、鏡と剣と玉をシンボルとする、王位継承の玉璽とする人達だったのですね。
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よく読むと、十種の神宝には、玉璽の鏡・剣・玉という三種の神器が含まれていますね。これは、九州の弥生墓に副葬されたものと共通します。三点が揃って副葬された最初の甕棺墓・木棺墓は、福岡市の吉武高木遺跡にあります。ここが三種の神器の発祥の地だと一時は騒がれましたが、なぜか今では取り上げられません。たぶん、邪馬台国九州説の後押しをいてしまうので遠慮しているのでしょうね。
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それに、まだ気になることがあります。神武天皇の第一子の事です。
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(草部吉見神社は、下り宮として有名です)

熊本県の阿蘇の草部吉見(くさかべよしみ)神社のご祭神は、神武天皇の第一御子である日子八井命(国龍神)です。神武が東遷する前に、日子八井命が五瀬川をさかのぼってこの地に来て、この地を平定したというのです。


ちょっと、長くなりました。
饒速日尊は河内から鳥見の白庭山に遷った、そこが三輪山だった。今回、書きたかったのは、これでした。
では、また。


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by tizudesiru | 2017-07-06 01:45 | 265消された饒速日の王権 | Comments(0)

三輪山の周囲を根拠地とした氏族は?

三輪山の近くに、三世紀?ホケノ山古墳
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あの有名な三輪山の麓には大神神社

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大神神社の近くに箸中山墓古墳があり、何と卑弥呼の墓ではないかと巷では噂されています。では、三世紀に急に巨大古墳が出現したことになり、摩訶不思議な噂です。本気で言われているので驚きです。すると、突然この墓を造る人口増加と食料生産力が上昇したと云うことです。権力も財力も備わっていたということです。吉備系の特殊器台が墳丘墓の上から見つかっているそうですから、吉備との繋がりができていたのですね。特殊器台の型式から時期も特定されるはずですから…ここを三世紀の古墳としてしまうのには、すごい違和感があります。王権が奈良に芽生えた過程を、本当のところを教えてほしいと思います。
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箸墓から三輪山も見えます。
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甘南備のゆったりした三輪山の前にこんもりした森が見えますが、国津神社です。其の左奥に慶雲寺があります。慶雲寺に置かれた石棺は、阿蘇凝結凝灰岩で造られています。遠い九州から離れた土地に阿蘇石の石棺とは恐れ入りますね。誰がなぜわざわざ運んだのでしょうね。九州からの贈答品ですか? 石の材質は宇土石と呼ばれるもので、舟形石棺です。舟形石棺は、熊本の南の地域に多い石棺です。それにしても、自分に関係ない地方の石棺を使うなんて理解しにくいですね。ちなみに、ホケノ山古墳にも家形石棺が出土しています。それは、6世紀末になってホケノ山古墳を再利用した為とされ、本来のホケノ山古墳より後の時代の埋葬施設になるそうです。ホケノ山古墳は国津神社と慶雲寺の間にあります。
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地図で見ると、ホケ山古墳は大事な位置に在りますね。このホケ山古墳は箸墓より古いとされていますが、4世紀のはじめと考えられている土器を伴っていますし、副葬品も新しいようです。
慶雲寺の石棺はもともと何処にあったのか不明です。

(ホケノ山古墳)
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この古墳は帆立式の墳丘墓と呼ばれ、箸墓より古いタイプの古墳の形で築造は三世紀とされています
ここだけには画文帯神獣鏡だけでなく大量の鉄製品が出土しています。三世紀代とされる古墳で、鉄製品が大量に副葬されるのは、ホケ山古墳だけの特色だそうです… 最近は「画文帯神獣鏡」が卑弥呼の貰った鏡ではないかと、はたまた噂されています。発掘が進んだ結果、三角縁神獣鏡が大量に出過ぎたので、卑弥呼の鏡として画文帯神獣鏡説が新たに取りざたされ始めたのです。考えてみると、三角縁神獣鏡が古墳時代のステイタスシンボルであったのは間違いないでしょうね。みんなが欲しがったのですから。九州の弥生王たちが甕棺に副葬した銅鏡は、時を経て憧れのアイテムとなったのでしょうね。鉄の時代になってからの三角縁神獣鏡の流行なのですから。

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北部九州では「帆立式の前方後円墳」は、柄鏡形前方後円墳より新しくなります。副葬品からの判定です。方形周溝墓・円形周溝墓と時期も近く、山の尾根に地山を削り盛り土をして造られた前方後円墳が古いのです。平地に下りた古墳は前方部がバチ型に開きますし、その後「造り出し」部分が備わっていくようです。支配地の地域首長の功績を称える埴輪群や祭祀用具が置かれていきます。平地に下りた古墳の方が新しいのは、全国何処も共通すると思います。
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ホケノ山古墳の墳丘上から箸墓が見えます。中央の小山の森。
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もちろん、三輪山も見えます。
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かすんではいますが、耳成山も見えています。
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国津神社の森もすぐ近くに見えます。
さて、この土地を開き、三輪山の神祭りをし、ホケノ山墓を作り、箸墓を造った氏族は、どんな人たちだったのでしょう。ここには石塚古墳や纏向勝山古墳、纏向矢塚古墳、纏野内石塚古墳・東田大塚古墳・茅原大墓古墳など、そして景行天皇陵や崇神天皇陵と呼ばれる大型古墳も近いのです。大きな古墳を作るには大量の人手が必要ですから、辺りを掌握する権力と財力が必要です。大量の食糧生産と人口増加が必要なのです。それは開拓と人口流入の後でしょう。

奈良県天理市と桜井市には宇土半島の阿蘇溶結凝灰岩で造られた石棺が慶雲寺の他にも4基ほどあります。なぜ遠路はるばる石棺を運んだのでしょう。九州からの人間と文化の移入が在ったのでしょうね。

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by tizudesiru | 2017-06-23 08:55 | 258ホケノ山古墳の周辺 | Comments(0)


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