<   2013年 05月 ( 13 )   > この月の画像一覧

筥崎宮百八回目の神事

筥崎宮百八回目の神事
                  「さつき祭」

a0237545_1034538.png
初夏の筥崎宮です。お社の上に見えるのは、三郡山頂です。筥崎宮・三郡山のラインは、馬見山頂までつながりました。
 毎年五月二七日と二八日には、五月祭と呼ばれるお祭りがあります。日本海海戦の戦没者と海難事故の被災者の慰霊祭です。
a0237545_9355535.jpg
a0237545_9414541.jpg
私が筥崎宮の近くに住むようになって、はやいもので四〇年余が過ぎました。百八回目といっても、五月祭は、まだ新しい祀りなのです。歴史の一コマが生々しく残っていると、あらためて思いました。
a0237545_9572374.jpg
此処は、筥松です。応神天皇の胎盤を筥に入れて納め、そこに松を植えて「しるしの松」としたと伝わります。神功皇后の時代です。西暦に直すことは、いまだにできていません。
a0237545_10154948.jpg
下の写真は、唐船塔です。謡曲「唐船」の物語の舞台は、筥崎です。時代は、中世となります。
a0237545_10114964.jpg
a0237545_10122249.jpg
筥崎宮には、一年中さまざまな神事があります。
a0237545_10223831.jpg
a0237545_10265534.png
末社池島殿は、知っていましたが、こんな神事があっていた事は、知りませんでした。
a0237545_10304115.jpg

 亀山上皇の奉安殿です。東公園にある銅像の原型となる、木彫の亀山上皇像です。昨年から、筥崎宮にお祀りされる事になりました。筥崎宮には元寇関連の遺物もあります。博多湾に押し寄せたフビライの軍船の碇が、長く境内におかれていました。元寇という悲劇が、重ねて刻まれることになりました。悲劇は、二度とご免です。平和を祈るために、奉安殿に祀られたそうです。
 筥崎宮の扁額「敵國降伏」は、以前にも紹介しましたが、あらためて紹介します。これは、「元寇」という国難以前に、醍醐天皇の辰筆「敵國降伏」に由来するものです。



 延喜二三年(921年)神託により、延長元年(923年)に遷宮となっていますが、神功皇后伝承によると応神天皇の胎盤とへその緒を筥に納めて、祀った所に標の松を植えた
とも伝わるので、遷宮以前にも祭祀していた処のではないかと考えられています。敵國降伏という言葉は、第六十代醍醐天皇の辰筆によるものであり、神託の二年前に放生会が始まり、神託の二年後に社殿ができました。社殿の基礎柱が三十四か所あり、ご神座三座を足して、三十七か所になります。そのころ醍醐帝は三十七歳、基礎柱とご神座には、敵國降伏の言葉が納められていると伝わります。「敵國降伏」の国がまえの口の中には、「王「」が三十四枚、基礎柱に。「武」の草書体、「或」、「民」がご神座に収められているそうです。
また、「敵国降伏」は、漢学者からも、「敵国を降伏させる」と読むのではなく、「敵国が降伏する」と読むもので、武力による降伏ではなく、「徳により敵が自ずから降伏する」となるのだそうです。
 文永十一年(1274年)の元寇のとき、筥崎宮も炎上しました。建治元年(1275年)の社殿造営の後、亀山上皇により「敵國降伏」の辰筆の三十七葉が下賜されました。今、楼門に掲げられている勅額は、桃山時代に模写拡大したものです。

[PR]
by tizudesiru | 2013-05-28 10:56 | 90筥崎宮百八回目の神事 | Comments(0)

古墳のライン・焼ノ峠古墳と日拝塚古墳

古墳のライン・焼ノ峠古墳
北部九州では、珍しい前方後方墳である焼ノ峠古墳について考えてみましょう。ここは、何度か取り上げましたが、古墳の形から見ると、ほかの首長墓とのつながりがはっきりしません。しかし、福岡市の愛宕山とつながります。
a0237545_815247.png
a0237545_8165955.png
a0237545_8173917.png
a0237545_8194019.png
上の画像のように、焼ノ峠古墳と愛宕山の神社を結ぶと、そのライン上に天拝山頂と日拝塚古墳が入りました。このラインは冬至の日の出のラインに近いようです。
a0237545_8343127.png
12月22日、天拝山の方向を見ると、冬至の日の出が見られます。黄緑ラインが、愛宕・焼ノ峠ラインです。愛宕山は、博多湾から早良地区への入り口の重要な見晴らし台であり、祭祀の場です。今も神社となっています。主祭神は入れ替わった可能性もありますが。歴史的にも重要な位置となります。
 焼ノ峠古墳の被葬者が、日拝塚の被葬者とつながりがあったことは大事です。また、天拝山が雷山と馬見山の両方を祀っていたらしいことも、既に紹介しました。馬見山は、古代の祭祀の中心にあった山です。筥崎八幡宮(延喜式内社・名神大)ともつながった山でした。天拝山頂は、雷山と馬見山のほぼ中心にあり、双方とほぼ同じ距離・25kmくらいです。ちなみに雷山と馬見山の間は51kmくらいです。天拝山は地図上の中心から、400mから500mのずれしかありません。その天拝山とつながる焼ノ峠古墳の被葬者とは、いかなる存在だったのでしょう。北部九州の首長と深くかかわった人であることは、間違いありませんが、中部九州を見据えていたのかもしれません。
[PR]
by tizudesiru | 2013-05-26 08:05 | 89古墳のライン | Comments(0)

福岡の長谷観音

福岡の長谷観音
a0237545_13213841.png
a0237545_1320672.png

 四月十八日、長谷観音の御開帳に合わせて、初めて参詣しました。
a0237545_13204346.jpg
本堂の裏の観音堂のさらに裏、長谷観音のお堂が建てられていました。
a0237545_13312496.jpg
a0237545_13312884.jpg
a0237545_13333931.png

 奈良の長谷寺の観音像は十メートルあります。鞍手のほうは、僧がここまで担いできたので、この大きさなのでしょう。それにしても、わざわざ九州の山奥に観音像を運ぶわけはなんでしょう。此処は、縁もゆかりもない処ではないはずです。大変な目にあって運び込んだのですから。案内してくださった先生は、「仏像を作らせた人物は、この土地にゆかりのある人で、此処を祖先の地として大切に思っていたのではないか」と、言われました。奈良の長谷寺とは、深い縁のあるお寺なのでしょう。

 地名にも「鞍手町大字長谷」と、長谷が共通しています。近くには、長谷川も流れています。長谷川は、遠賀川の支流です。
 六嶽周辺には、物部氏族の地名が多く残っています。そんなこととも関係があるのでしょうね。
[PR]
by tizudesiru | 2013-05-20 13:21 | 87福岡の長谷観音 | Comments(0)

奈良の長谷観音

奈良の長谷観音 
 5年ほど前に参詣した時は、桜の盛りでしたが、今回はボタンの咲きはじめでした。
a0237545_1136898.jpg
a0237545_11355113.jpg
a0237545_11362728.jpg
若葉もいいものです。舞台からお堂の中の観音像が拝めました。堂内は撮影禁止なので、舞台からカメラを向けました。遠くてピントがずれています。
a0237545_11371011.jpg
長谷観音、そのお姿は大変美しく、感動的です。
a0237545_11504377.jpg
日本に佛教が入ってきたころ、観音信仰が盛んになったようです。仏像の原料木の多くは、楠の木です。日本の有名な仏像は、楠に彫られています。楠は、九州の福岡が北限です。韓国には済州島でも仏像を彫れるような楠は育たないそうです。学者によっては、「楠は交易品として韓国に輸出され、それが仏像となって日本に輸入された」と言われます。古代のことですから、交易品がなんであったかわかりませんが、輸出できたのは、九州となります。数年前、九州の樹齢三百年の楠(矢部川流域)で、仏像が作られたというニュースを聞きました。
a0237545_12141150.jpg
a0237545_12153614.jpg
a0237545_12153542.jpg
a0237545_12172450.jpg
美しいお堂を次に見るときは、桜のときでしょうか。モミジのときでしょうか。楽しみです。
[PR]
by tizudesiru | 2013-05-20 11:45 | 86奈良の長谷観音 | Comments(0)

飯盛山&こうやの宮

飯盛山こうやの宮
福岡平野を東西から見守る飯盛山と宝満山。何度もブログで紹介した山々です。この二山の間に、吉竹高木遺跡があり、巣玖岡本遺跡がありました。飯盛山からみれば夏至の太陽は、鉾立山々頂から登ります。下の画像は、グーグルで見る6月22日の日の出です。同じ画像にラインを入れてみました。黄色のラインを飯盛山から出して、鉾立山に結んだものです。この黄ライン上に、延喜式内社の住吉神社が入ります。
a0237545_2111783.png
a0237545_212206.png

 冬至の太陽は、荒平山々頂から登ります。
 ほかにも、たくさんのラインを紹介しました。飯盛山→愛宕山→宮地嶽古墳・や、 飯盛山→高宮八幡→那珂八幡(古墳)→太祖宮→香春神社(延喜式内社)・などがあります。
a0237545_21163611.png

 グーグルの画像にラインを入れてみると、一目でわかります。ラインのゆがみは、地面の高低によるものらしいです。さて、今回は、吉野ケ里とこうやの宮を紹介します。黄緑色のラインを見てください。
a0237545_21215328.png
有名な吉野ケ里遺跡の公園です。赤ラインは、普賢岳と結んだものです。これは、信仰のラインだとして発掘された方々から紹介されています。私の紹介しているラインは、黄緑です。拡大します。
a0237545_2125328.png
 遺跡のすぐ近くの神社に目印を入れています。そこを通り、祭祀を行ったと思われる建物を通過しています。そして、こうやの宮に届くのです。此処は、テレビでも紹介された小さなお堂です。地域の方々が協力してお堂を建て替えられています。その堂内には……
a0237545_21293314.png
a0237545_21341415.png
a0237545_21341377.png
a0237545_2135222.png
 あの七支刀(七枝刀)を胸の前に捧げているのでしょうか。外国人らしい人物像が安置されていました。
 飯盛山・吉野ケ里・こうやの宮と、ラインでつながってしまったので、これを紹介したがいいのか、それとも単なる偶然としたがいいのか、少し考えました。この辺りには、大きなお寺があったようで、このお堂とどんなつながりがあるのか説明のしようがありません。
 飯盛山は佐賀県とは、天山→飯盛山→愛宕山→宮地嶽古墳とつながっています。ピンポイントでこうやの宮も飯盛山とつながるとしたら、宮地嶽古墳の時代くらい時間が下るのでしょうか。ちょっと、面白いではありませんか。
 
 
[PR]
by tizudesiru | 2013-05-18 21:54 | 85飯盛山&こうやの宮 | Comments(0)

船原3号墳の馬具

船原3号墳の現地説明会に行きました
a0237545_85994.jpg
説明会会場への入り口
a0237545_87044.jpg
背後の青い山は、立花山(二神山)。かっては、香椎宮のご神体の山だったようです。公開されていたのは、下の埋納穴です。ここから馬具が出たのです。
a0237545_8104023.jpg
a0237545_8121456.jpg
a0237545_8132548.jpg
a0237545_814486.jpg
まだ全体を見ることはできないし、質的にも量的にもよくわかりません。
a0237545_8301610.png
a0237545_8304542.png
これらの馬具が出土したのは、古墳の石室ではありません。なんと田んぼの下にあった埋納穴です。
a0237545_8321077.png

 船原3号墳は、中央の円墳です。現在、入り口は土嚢で封じられています。決して大きな古墳ではありません。人だかりの足場の下に埋納穴があります。下に、古賀市が紹介している「船原3号墳」の1ページをのせました。
a0237545_8541251.png

 現地にも同じ遺物の紹介写真がありました。
a0237545_8315880.png

 古墳から出土したのは、なんでしょう。盗掘されていたので、残り物で想像するしかありません。上の遺物は何に使ったものかわからないそうです。それにしても、船原3号墳の葬送で馬具が石室外に埋納されたのは、いかなる理由によるのでしょうか。ほかに同じような例があるかといえば、……宮地嶽古墳なんかも副葬品が石室の外で見つかっています。それは、のちの世に埋納したからだと聞きました。同じとは言い難いです。
a0237545_1201413.jpg

 漆を塗った矢の束が、馬具埋納土坑の隣の土坑から出ています。しかし、説明会の日は土嚢でふさいでありました。木製品であれば、放射性炭素の測定で年代がわかるでしょうと現地の人に聞きました。そしたら、発見して空気に触れて時間がたっているので、測定はできないといわれました。そんなものですか? 素人は、いつも引き下がります。古墳は7世紀だと言われましたが、一緒に出てきた須恵器の口周りの文様から、6世紀という可能性もあるそうです。
a0237545_1158354.jpg
a0237545_11592033.jpg
須恵器と土師器の組み合わせからも、何世紀かの判断はできると思います。よく見て、情報を発信してほしいものです。
[PR]
by tizudesiru | 2013-05-17 12:06 | 84船原3号墳の馬具 | Comments(1)

杷木神籠石と鹿毛馬神籠石

杷木神籠石と鹿毛馬神籠石
 なくした資料のことを話したら、知人が神籠石に出かけて写真を撮って送ってくれました。それを紹介しています。
a0237545_20344511.jpg
川岸の美しい桜の丘。この丘のふちに、若干の列石が残っています。神籠石の範囲は、背後の山の斜面です。国道が、神籠石を分断しています。
a0237545_20352599.png
水門は、みごとに古の名残をとどめてはいません。残念なことです。
a0237545_20354634.png
此処の神籠石の切石は、筑後川の大石堰の大工事のとき使われたようです。 

 次の鹿毛馬神籠石ですが、此処は、列石を見学しながら歩いても40分くらいという、比較的歩きやすい遺構であり、行程も登りが少なく楽なほうです。
a0237545_20422528.png
a0237545_2043381.png
a0237545_20433847.png
 切石の列石もかなり残っています。水門は暗渠ということで見学はできません。

[PR]
by tizudesiru | 2013-05-14 20:53 | 82再度神籠石へ | Comments(0)

帯隈山神籠石と杷木神籠石

御所ヶ谷神門石とおつぼ山神籠石
a0237545_839327.png
a0237545_841383.png

 神籠石といえば、「御所ヶ谷神籠石」の中門の大きな石積みが、すぐに頭に浮かびます。雑誌などにも、よく写真が紹介されています。有名な神籠石ですが、ここは、後世に手を入れられたと聞きました。列石が露出した箇所と、版築土塁の中に列石が埋め込まれた個所とあるそうです。埋め込まれたほうが、後世の変更箇所です。逆は、構造上ありえません。ともかく、築造当時の箇所もあるわけですから、見学しやすいコースとしておすすめです。
a0237545_850699.png
a0237545_851589.png
a0237545_8513936.png
おつぼ山神籠石も説明版と写真を紹介します。
a0237545_8553360.png

 「おつぼ山神籠石」と「御所ヶ谷神籠石」、この二か所の神籠石にはつながりがあるのです。少しの方々には既に紹介していますが、御所ヶ谷→砥上山頂→帯隈山頂(帯隈山神籠石)→おつぼ山神籠石と、直線が引けます。つまり、この神籠石は、連動して作られたのです。それぞれが勝手に築造すればこうはいかないでしょう。三か所の神籠石が直線でつながるなんて、本当に面白いですね。

[PR]
by tizudesiru | 2013-05-14 09:20 | 82再度神籠石へ | Comments(0)

83 悲劇の好字

本の紹介
悲劇の好字
a0237545_925481.jpg
a0237545_9265674.jpg

佛教大学教授で中国語学がご専門の黄當時教授の新刊です。2013年6月20日発売予定ですが。印刷が終わったので、即購入しました。金印の謎が解けますね。
 発行所は、不知火書房です。 FAX 092ー791ー7161
 「奴」の読みは「ぬ」である。金印の「漢の倭の奴の国王」は、「漢の倭奴国王」と読むしかないということです。金印の研究が進んだら、日本の古代がさらにはっきりすることでしょう。

[PR]
by tizudesiru | 2013-05-12 09:46 | 83悲劇の好字 | Comments(0)

再度神籠石へ (女山神籠石)

再度神籠石へ (女山神籠石)
a0237545_21555068.jpg
a0237545_2156328.jpg
a0237545_21571071.jpg
女山神籠石という石碑から車道を上り、展望台のある公園まで行き、そこから列石の見学ができます。
a0237545_8134767.jpg
a0237545_8143737.jpg
a0237545_816321.jpg
a0237545_8164773.jpg
 神籠石は、何処もよく似ていることがわかります。切石の列石、列石の上に版築土塁、石組みの水門などです。
a0237545_8171361.jpg

女山神籠石は、360度のロケーション。
[PR]
by tizudesiru | 2013-05-08 22:19 | 82再度神籠石へ | Comments(0)


地図で分かる生活と歴史


by tizudesiru

プロフィールを見る
画像一覧

最新の記事

柿本朝臣人麻呂と玉津島
at 2017-04-22 21:21
玉津島神社の春・衣通姫の歌
at 2017-04-17 13:56
紀伊国・玉津島神社の春
at 2017-04-16 00:42
241神籠石と古墳の石組みの技術
at 2017-04-09 23:59
240神籠石の水門の技術は共..
at 2017-04-08 10:42
239神籠石は消されるのか
at 2017-04-08 00:23
240藤原鎌足の墓は何処か
at 2017-04-07 20:54
238米原長者伝説の鞠智城
at 2017-03-12 22:12
237パルメット文様は何処から?
at 2017-03-08 17:32
236藤ノ木古墳の築造時期の謎
at 2017-03-07 22:09
235 基肄城の水門石組
at 2017-03-06 11:27
234 小郡官衙の見学会
at 2017-03-05 21:53
233 耳飾のルーツは何処?
at 2017-03-04 21:55
232岩戸山歴史資料館の新館..
at 2017-03-03 12:05
231雷山神籠石は国家的事業..
at 2017-03-01 11:17
229 残された上岩田遺跡
at 2017-03-01 00:55
228 古代山城の瓦
at 2017-02-26 23:05
227 大野城から神山を遥..
at 2017-02-24 22:22
226 基肄城の不思議
at 2017-02-23 21:57
225 鞠智城の八角形鼓楼
at 2017-02-23 01:04

記事ランキング

カテゴリ

全体
初めての地図旅
地図のたのしみ
1大宰府の位置
2竹原古墳
3間夫という山
4筥崎八幡宮
5弥生王墓・吉武高木・須玖岡本
6平原王墓ラインから分かること
7八女丘陵の古墳のライン
8高良玉垂命の目的
9渡神山から英彦山へ
10雷山
11羽白熊鷲と脊振山
12羽白熊鷲と古処山
13九千部山と香椎宮
14国守りの山は何処に?
15神籠石が教えてくれる古代
16六世紀の都
17神功皇后伝説の空白地
18太宰府と大保と大分
19畿内に近い豪族たち
20大倭とは何か
21七世紀の政変と天智天皇
22天智天皇の十年間
23日本書紀の中の日本
24唐書から見た倭国と日本国
25/26文林朗裴清が見た倭王
27倭の五王の行方
28倭国の空白
29筑紫城の最後
30山岳の名と歴史や文化
31国内最古の暦が刻まれた太刀
32阿蘇山と高良・高千穂
33筑紫舞(宮地嶽神社)
34志賀海神社の山ほめ祭
35栂尾神楽(宮崎県椎葉)
36神籠石から分かること(1)
37神籠石から分かること(2)
38神籠石からわかること(3)
39神籠石から分かること(4)
40神籠石から分かること(5)
41神籠石から分かること(6)
42愛宕山が見た早良国の光芒
43古代の宮殿は何処に?(1)
44江田船山と筑紫君磐井
45筥崎宮から見た太宰府天満宮
46高千穂の峰から阿蘇へ
47雲仙が守った首長は、何処
48神籠石の謎解き
49宮地岳(阿志岐)古代山城
50醍醐天皇の都の守り
51十世紀の国守り
52淡路国伊弉諾神社
53空海の霊力
54出雲大社と熊野本宮大社
55大山古墳の謎
56天智天皇陵墓と天武天皇陵墓
57宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ
58石上神宮の視線
59続石上神宮の視線
60藤原京の守り
61高松塚古墳の被葬者
62石舞台古墳と藤原宮
63あおによし奈良の都は
64続・あおによし奈良の都は
65継体天皇陵墓のラインを読む
66崇俊天皇の真実とは
67石城山神籠石ライン
68式内社の偏りの意味
69最北の式内社・大物忌神社
70陸奥国の式内社
71尾張国の式内社
72紀伊国の式内社
73近江国の式内社
74但馬国の式内社の秘密??
75筥崎宮の「敵国降伏」その1
76筥崎宮の「敵国降伏」その2
77筥崎宮の「敵国降伏」その3
78筥崎宮の「敵国降伏」その4
79孝徳天皇の難波宮
80倭女王墓を教える香椎宮
81ブログのスタートに還る
82再度神籠石へ
83悲劇の好字
84船原3号墳の馬具
85飯盛山&こうやの宮
86奈良の長谷観音
87福岡の長谷観音
89古墳のライン
90筥崎宮百八回目の神事
91 薦神社の不思議
92薦神社の不思議2
93金富神社と鉾立山
94 金富神社と鉾立山 2
95 金富神社と鉾立山3
96宇佐神宮と北部九州
97宇佐神宮と北部九州・2
未分類
98北部九州のミステリー
99北部九州のミステリー2
101宇佐神宮と九州の神々
100日知王の山々
219法起寺式伽藍
207中大兄とは何者か
149有間皇子を愛した間人皇后
102安心院の二女神社
103安心院の妻垣神社
104安心院の佐田神社
105大富神社と和気清磨と
106宮地嶽不動古墳
106宮地嶽古墳と石塚山古墳
107寄り道・邪馬台国
108ふたたび香椎宮
109倭国王の侵略
110瀬戸内の神籠石再び
111京都の守り・再び
112都を守る天皇陵
113神となった斉明天皇
114天武朝の都の守り
115こんにちは万葉集
116大王は神にしませば
117太宰府・宝満・沖ノ島
118石人山古墳と王塚古墳
119基山とは何か
120九州国博「美の国・日本」
121博物館の『金印祭り』
122宮地嶽神社の筑紫舞
123寿命大塚古墳の被葬者
124宇佐神宮の呉橋を渡る
125「新・奴国展」博物館の諦め
126邪馬台国から倭国へ
127倭国を滅ぼした?国
128倭国の墓制
129?国の墓制・巨石横穴墓
130素材が語る古代Ⅰ
131素材が語る古代Ⅱ
132箸墓は卑弥呼の墓ではない
133ホケノ山古墳
134邪馬台国シンポ・久留米
135阿蘇ピンク石の井寺古墳
136古代の土器焼成
137方保田東原遺跡の庄内式土器
138武士の祭祀線・徳川と足利
139大祖神社と志登神社に初詣
140猫大明神のネコとは
141熊本大震災
142光の道は祭祀線
143大汝小彦名の神こそは
144紀伊國に有間皇子の跡を訪ねて
145和歌山と九州の古墳
146有間皇子の墓は岩内1号墳か
147糸島高校博物館
148光の道は弥生時代から
150草壁皇子を偲ぶ阿閇皇女
151有間皇子を偲ぶ歌
152有間皇子の霊魂に別れの儀式
153有間皇子の終焉の地を訪ねた太上天皇
154 有間皇子は無実だった
155持統帝の紀伊国行幸の最終歌
156人麻呂は女帝のために生きた
157持統帝の霊魂に再会した人麻呂
158草壁皇子の形見の地・阿騎野
159草壁皇子の薨去の事情
160大津皇子の流涕して作る御歌
161天武朝の女性たちの悲劇
163持統天皇の最後の願い
164持統天皇との約束・人麻呂ことあげ
144有間皇子事件の目撃者
165天武大地震(筑紫大地震)678年
166高市皇子と高松塚古墳
167持統帝の孫・文武天皇の仕事
168額田王は天智天皇を愛し続けた
169額田王の恋歌と素顔
170額田王が建立した粟原寺
171額田王の歌の紹介
172糸島の神社
173但馬皇女の恋歌
174高市皇子の死の真相
175草壁皇子の挽歌
176大化改新後の年表
177持統帝と天武帝の絆の深さ?
熊本地震・南阿蘇への道
178天武帝の霊魂は伊勢へ
179天武帝と持統帝の溝
180天智天皇と藤原鎌足
181藤原不比等とは何者か(1)
181藤原不比等とは何者か(2)
181藤原不比等とは何者か(3)
182鎮魂の歌集・初期万葉集
183元明天皇の愛と苦悩
184氷高内親王の孤独
185長屋王(高市皇子の長子)の悲劇
186 聖武天皇の不運と不幸
187難波宮を寿ぐ歌
188孝徳帝の難波宮を寿ぐ
189間人皇后の愛と悲劇
191間人皇后の難波宮脱出
192有間皇子と間人皇后の物語
192軽太郎女皇女の歌
193人麻呂編集の万葉集
194万葉集は倭国の歌
195聖武天皇と元正天皇の約束
196玄昉の墓は沈黙する
197光明子の苦悩と懺悔
198光明皇后の不幸と不運
199光明皇后の深い憂鬱
200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独
201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 古代山城・鞠智城
226古代山城・基肄城
227 古代山城・大野城
228古代山城の瓦
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の資料館
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
239藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島

画像一覧

以前の記事

2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2014年 07月
2013年 10月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 05月
2013年 02月
2012年 11月
2012年 09月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月

タグ

フォロー中のブログ

絵本ぶろぐ

検索

メモ帳

その他のジャンル

外部リンク

ファン

ブログジャンル

歴史