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式内社と但馬国の秘密

式内社と但馬国秘密?!
 式内社が狭い範囲に集中する但馬国は、不思議な国です。但馬一の宮「粟鹿神社」も、不便な山の間にあります。高山の山頂にある神社というのではありません。みんながこぞって参拝に出かけるには、かなり大変な場所だという事です。ともかく但馬国を見てみましょう。但馬国は、豊岡市や養父市や朝来市を含む日本海に面した地域です。河口を良港として、河川交通も発達したのでしょう。川沿いに式内社があります。
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『大江山生野の道の遠ければまだ文も見ず天の橋立』の大江山より遠くにある但馬の国。『大江山の鬼退治』の話でも有名な大江山です。酒天童子は、大江山の何処に住んでいたのでしょう。


また後で
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by tizudesiru | 2012-06-15 14:27 | 74但馬国の式内社の秘密?? | Trackback | Comments(0)

近江国の式内社

琵琶湖の出口を囲んでる? それとも大津市を守っている?
近江国式内社
 近江の大津宮は、天智天皇の都でした。柿本人麻呂の時代ですら荒れ果てていた都です。
 まず琵琶湖の北から見ましょう。
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伊香具神社があります。神社を少し避けて横切る水色ラインは、遠く月山から、納郷白山を通り、平安京の北の貴船神社に届くものです。赤は、西に伸びますが、京都の大虫神社をかすめ、兵庫の山神社をかすめ、鳥取の宇倍神社まで届きます。あんまり遠いので、お知らせのみにします。これらの神社は、すべて式内社(明神大)です。ところで、近江国は不思議なところです。先に書いた天智天皇が都を移した大津京の北方、琵琶湖が大きく膨らんだ当たりの高島市に、「鴨の稲荷山古墳」があります。確か、天智帝は百済を重んじ、外交でも新羅を切り捨てます。そこで、新羅は唐と手を結び、挙句に「白村江戦」に至ります。ここ、高島の鴨稲荷山古墳は、新羅系の副葬品を持ています。欽明天皇時代から「百済」外交を重んじていたはずなのにです。このことを頭に入れて、近江国を見てみましょう。
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 白ラインは、兵主大社を通り、佐久奈渡神社に至ります。式内社(明神大)を三か所貫きます。どんな意味があるのでしょう。
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 東に伸びる水色ラインは、水尾神社(式内社・明神大)から富士山頂を通り、千葉県の玉前神社(式内社・明神大)に至ります。これも、長いラインです。
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琵琶湖が狭くなる「琵琶湖大橋」の辺りを、お互いに見つめ合っている式内社があります。兵主大社と小椋神社です。兵主大社から出る赤ラインは、小椋神社を通り、京都の摩気神社に向かっています。
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地図上で考えると、兵主大社が中心になっていると見ることもできます。北の伊香具神社からのライン(白)は、兵主大社を通り、佐久奈度神社に届きます。兵主・小椋・摩気もそうですが、兵主大社から北西に伸びるライン(白)は、小野神社を通り、大虫神社に行きつきます。では、南西にラインを伸ばすと何処へラインが届くでしょう。それは、三井寺を通り、天王山の酒解神社に届くのです。*取り上げた神社は、全て式内社(明神大)です。
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方位を少し西に方抜けて、白ラインを横に引きました。小野神社(小野篁神社鴨しれませんが)を通り、大虫神社に届きます。こちらも、三か所とも式内社(明神大)です。三か所貫く事に意味があるのでしょうか。
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近江国は、面白い地域です。都から一気に北陸に行けるからでしょうか。方々から文化が流入したと思います。なにせ日本海側が面玄関でしたから。大和王権とは違った道を模索していたとしても、不思議ではありません。
 平安時代、醍醐帝の時代、辛酉の年に合わせて、国守りの改革に取り組んだ朝廷は、近江国に何を望んだのでしょう。都の北・北東の守りに違いありません。琵琶湖側から何者も侵入出来なかったと思います。近江国は、大きな関所だったのでしょう。壬申の乱も、関ヶ原戦もこの関の近くでありました。

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by tizudesiru | 2012-06-13 15:54 | 73近江国の式内社 | Trackback | Comments(0)

祭神交代・紀伊国の式内社

九州とのつながりがちらついている神社が多い!紀伊國の式内社!
祭神交代が意味する事紀伊国の式内社の御祭神はどなた?
 神社の御祭神は、時代により変わっているようです。理由は統治者が変わったり、中央の意向だったり、さまざまですが、祭神に名前が付け加えたり、新しい神を配祀されたり、主祭神が入れ替わったり形態も色々あるようです。紀伊国も例にもれません。神社の場所も移動しているので、過去のありさまを推し量ることも難しいようです。しかし、今の様子から、考えられることもあるかもしれません。画像を見ると、紀伊國の式内社もラインで結べるように見えます。これは、時代の新しいラインなのでしょう。移動しているという記録が、それぞれの神社に残されていますから、この位置をそのまま受け入れるわけにはいきません。また、式内社のほとんどが和歌山市に集中する事も特色です。その意味もあるでしょう。水色の目印は、式内社(明神大)で、ピンクは式内社(小)です。
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中心にある国懸神社・日前(ひのくま)神社ですが、此処には元は別な神社があったそうです。国譲りで国懸・日前神社と入れ替わったそうです。
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昔、此処に祀られていたのは、伊太祁曽神社だったのです。祭神は、五十猛命です。
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この神は、九州から木の種を蒔き、紀伊國まで木を植えたとされる神です。配祀されていた大屋比売と都麻都比売は、五十猛命の妹です。三人の神が、もともとこの地の伊太祁曽神社に祭られていました。また、スサノウの言葉によると、「わが子が治める国に船がないと困る」とあります。スサノウと五十猛は、国を治めていたようです。更に、伊達神社や志摩神社を見ると、付け加える事柄が出てきます。
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『もともと近くにあった神社が分祀されている。元は、三兄妹が一緒に祀られていたらしい。紀氏の斎祀る神は「船玉」であったらしい』船の材料として、杉・樟があげられていますが、樟は九州が北限です。その種を蒔いても、大木になるには数十年かかったことでしょう。 紀氏は船を作る氏族だったのでしょうか。航海技術も持っていたでしょうか。彼らは、九州とどんな関係があるのでしょう。日前国懸神社のある『秋月』は、福岡県の城下町の地名です。明治に『秋月の乱』を起こした藩でもあります。また、丹生都比売神社のある伊都郡は、魏志「倭人伝」に出てくる古代の国『伊都国』と同じ名前です。和名抄にも「伊都」があるので、古い地名です。ますます九州に近付きます。
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丹生都比売神社は、紀伊国の一ノ宮である事を主張しています。伊太祁曽神社も、日前国懸神社も同じく「一の宮}を主張しています。歴史の古さ・中央との結びつきの深さ・地域の支持など、様々な理由がありそうです。
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日前神社から高積神社(山頂の宮)を通り、はるか「丹生都比売神社」までラインが届きます。途中にある高積神社とは、いかなる神社でしょう。『紀伊続風土記』によると、祭神は高積比古命・高積比売命ではなく、五十猛命・大屋都比売・都麻都比売です。此処も、元は五十猛の三兄妹が祭神でした。丹生都比売神社までのラインは、五十猛の信仰ラインだったのではないでしょうか。「丹」とは赤い色、水銀のとれる赤土の事です。水銀は金メッキに使います。名草戸畔を滅ぼした神武東征が、金属生産と関わると考えられるのも分かる気がします。
 ところで、神社の祭神の入れ替えは、式内社が奏上された十世紀でしょうか。だから、鎌倉時代になって、各々の神社が「一ノ宮」を主張し始めたのでしょうか。上記の事実から、紀ノ川流域が、十世紀まで重要な伝承を持っていた事が分かります。それは、神社の祭神を入れ替えなければならない内容だったのです。九州と関わる伝承だったのでしょうか。更に紀ノ川の上流には『隅田八幡』があります。此処も、「九州(筑前国)から武内宿禰に供奉されて、応神天皇が紀伊をへて大和に赴く途中、この地に長く滞留されたことにちなんで、欽明天皇の詔によりその遺跡に八幡宮が勧請されたという。また859年の創建ともいう」と、伝承があります。それよりも、国宝『人物画像鏡』のほうがよく知られているでしょうか。有名な銘文がありますね。明確な解読がなされてないように聞いていますが。
 紀伊國の式内社の祭神の交代には、政治的な意図がありそうです。古代には、紀ノ川の河口が重要な位置にあり、この地の氏族が船や航路と関わっていたのではないかと思います。また、この地の出入りを見守るためにも、式内社は重要だったはずです。紀州徳川家がこの地に城を築いたのは、式内社の関係を断つためだったかもしれません。和歌山城は、日前神社のほぼ西に位置します。



また後で
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by tizudesiru | 2012-06-09 16:23 | 72紀伊国の式内社 | Trackback | Comments(2)

伊勢神宮と大縣神社と孫若御子神社

伊勢神宮
大縣神社と孫若御子神社
尾張の式内社(明神大)が朝廷の守りに重要な位置にあったと紹介しましたが、朝廷の第一の守りの神社は、「斎宮」も皇室から選ばれる伊勢神宮です。大縣神社から赤ラインが南に伸びています。これは、熱田神宮の摂社となっている孫若御子神社を通り、伊勢神宮に届きます。社殿をつなぐので、丁寧に測量され、建て替えもかなり元のところにされたと思われます。有名寺社でも再建の時、元の場所と若干ずれることは、よくあることです。
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上の写真ような結果が出ました。伊勢神宮は様々な寺社や山岳と関わります。伊勢の内宮から北へ上る黄ラインがあります。このラインの先には、気多神宮(式内・明神大)があります。気多神宮とは……しかし、間には寺社などはありません。気多(けた)は、本来「北」、伊勢神宮の北という事でしょうか。
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大神社(太神社)と気多神宮
 大神社は、もとは「太神社」と書きました。式内社(明神大)です。この神社と気多神宮を結ぶと、間に白山が入ります。白山は、やはり信仰の山でしょう。その山を、二箇所の式内社が挟んでいるのです。さて、どんな意味を持つのでしょう。今までの多数の例を見てきましたが、古代の権力者の信仰の山だった場合は、その霊力を封じ込め、朝廷側の氏族の信仰の対象であれば丁重に祀るというやり方でした。
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 尾張国の式内社が、重要な位置にあった事が少しは伝わったでしょうか。では、他の地域の式内社(兵庫や福岡など)は、どうなのでしょう。

また、あとで
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by tizudesiru | 2012-06-03 09:53 | 71尾張国の式内社 | Trackback | Comments(0)

熱田神宮と畿内の結びつき

熱田神宮と畿内の結びつき
結論から言うと『尾張国は畿内を守る位置にある。熱田神宮の辺りに式内社が集まっているのは、地理的に重要な位置であることを示している。富士山を取り込み、都の守りの貴船神社・加茂別雷神社と結びつけている。また、伊勢神宮と気多神社が結びつびついている。これは、朝廷の守りを示しているのだろうか!?』となります。では
熱田神宮は広い境内を持った、超有名な式内社(明神大)です。近くに式内社(明神大)が集まっているのも特色です。熱田神社(熱田神宮)・日割御子神社・孫若御子神社・高座結御子神社の四社が、熱田区に集まっています。熱田神宮より出るラインが4本あります。西にむかう赤ラインは、白鳥陵を通ります。ここは、日本武の墓でしょう。この方の墓はかなり作られていますから、そのまま信頼は出来ないでしょうけれど。尾張は、クサナギ剣を預けたミヤズ媛の故郷ですから、日本武命の墓があっても不思議ではありません。
 赤ラインに戻りますが、白鳥稜を通り抜け、西にまっすぐ進み貴船神社に届きます。都の守りで重要な位置にある貴船神社です。
 北西に進む黄緑ラインは、若狭姫神社の横を通り、隠岐の島の玉若酢神社(式内社・明神大)に行きます。若狭姫神社(式内社・明神大)にきちんと当たらないので、少々自信が持てません。
 南西に進む赤ラインは、三重県の都波祁(つばき)神社を通り、奈良県の吉野水分神社に至ります。都波祁神社も、吉野水別神社も、式内社・明神大です。都波祁神社は、奈加等神社と合祀されています。この神社も少しラインがずれます。通るかもしれないという程度…です。
 また、水色ラインは穂高神社(式内社・明神大)と結ぶと、御嶽山ノ山頂近くを通ります。熱田神宮は、なんだかはっきりしないところもあります
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 尾張国の式内社は、熱田神宮だけではありません。
高座結御子神社と貴船神社と加茂別雷神社
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高座結御子神社を通りぬけるピンクラインがあります。これは、静岡県の三嶋大社からのラインです。高座結御子神社を通り、京都の貴船神社に届きます。高座結御子は、実際に「貴船神社」と「三嶋大社」を結びつけているのです。
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まだラインがあります。黄緑ラインも神社を通過しています。これは、富士山本宮浅間神社と京都の加茂別雷神社を結びます。どちらも式内社(明神大)です。尾張国の神社は、見事に遠江国と都を結びつけました。このラインは、しっかりしています。特に念入りに測量されたのでしょうか。
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既に紹介している加茂別雷神社も、都守りの重要な神社でした。貴船と加茂別雷の両神社と結ぶ事は、高座結御子神社の位置が重要であり、地位も高い事になります。古代には、大きな社が建てられていたのでしょう。今は、熱田神宮の摂社になっていますが…尾張国の式内社は、富士山を押さえておきたかったでしょうし、静岡から足柄山を越えると東国です。防人は、東国からでした。九州に送られた俘囚も、東国からでした。朝廷に支配される前は、力を持った民だったのです。彼らを、富士山の神が守っていたと都の人が考えても不思議ではありません。その富士の神祀りの力を取り込み、都の守りに加担させたのでしょう。
延喜式が奏上された醍醐帝の時代、日本の神祀りの見直しがあったのです。その時、守ろうとした範囲が十世紀の朝廷にとって重要とされた地域です。また、古代より朝廷に協力的だった地域も分かると思います。
 尾張国には、まだまだ重要な神社があるのです。また後で
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by tizudesiru | 2012-06-01 15:57 | 71尾張国の式内社 | Trackback | Comments(0)


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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188孝徳帝の難波宮を寿ぐ
189間人皇后の愛と悲劇
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192軽太郎女皇女の歌
193人麻呂編集の万葉集
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195聖武天皇と元正天皇の約束
196玄昉の墓は沈黙する
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198光明皇后の不幸と不運
199光明皇后の深い憂鬱
200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独
201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 古代山城・鞠智城
226古代山城・基肄城
227 古代山城・大野城
228古代山城に瓦があった
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の資料館
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
261隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵善寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた

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