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陸奥国の式内社

陸奥国の式内社
零羊崎神社>68「式内社の偏りの意味」で紹介しましたが、陸奥国には式内社の数が多いのです。それらは、式内社として当然国土を守っているのでしょう。不思議な事に、零羊崎神社(式内社・明神大)から出るラインは、鼻節神社(式内社・明神大)を通り、苅田嶺神社(式内社・明神大)を通ります。式内社が三か所も連なるのが、やはり不思議です。
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このラインは何処へ行くのでしょう。ただひたすら南西に向かっています。途中に越後駒ケ岳を通り、飛騨高山の焼岳を通り、滋賀県の小野神社(式内社・明神大)の近くを通り、京都の松尾大社に届きます。松尾大社は、都守りの重要な式内社(明神大)でしたね。既に紹介しています。
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陸奥の式内社三社と松尾大社が、中部地方の山々の威力を取り込もうとしているのでしょうか。それとも抑えようとしているのでしょうか。こうなると、日本一の山・富士山はどう扱われているか、気になるところですね。
 陸奥の式内社の役割は、やはり国守りでしょう。陸奥の地は、守りの届かない地域だったのでしょう。「みちのく」道の奥で、古代道は常陸までだったでしょうし、マツロワヌ民を守る必要がなかったのでしょうか。坂上田村麻呂とアテルイの話は、今聞いても深く心ゆすぶられます。二人はお互いを信じていたのに、都の人はアテルイを殺してしまいました。そんな事を思いながら……零羊崎神社ラインは、ひとまずここまで。

 陸奥の国々に幸が降り注ぎますように!
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by tizudesiru | 2012-05-30 14:26 | 70陸奥国の式内社 | Comments(0)

大物忌神社・最北の式内社

最北の式内社の役割
大物忌神社の位置
大物忌神社の比定地は二か所あります。が、地図上では(画像では北方の神社)ラインが引ける位置を選びました。「鳥海山大物忌神社」というようです。鳥海山は古代より噴火を繰り返し、奉祭を怠れば戦乱が起こると信じられ、朝廷より事あるごとに神階の授位がなされています。鳥海山にはもともと名前がなく、災いをさける神として「大物忌神」の山とよばれていました。
 939年4月17日に秋田夷乱(天慶の乱)の発生の報を受けて、朝廷では物忌が行われました。同じ939年4月19日には、大物忌明神の山が墳火したと『本朝世紀』に書かれているそうです。大物忌神社と鳥海山は、同じ御神体なのです。それも、かなり大きな力を持つと、信じられていました。その大物忌神社は何をしていたのでしょう。守っていたのは、何処でしょう。大物忌神社から隠岐島の水若酢神社(式内社・明神大)のそばを通り、対馬の和多都美神社(式内社・明神大)へラインが引けました。これが意味のあるラインなら、大和の勢力圏の北側を守っている事になります。鳥海山からも赤ラインを引きました。これも、水若酢神社を外しました。そして、対馬の太祝詞神社に届きます。式内社であり、社格は明神大です。
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 大物忌神社から水色ライン・鳥海山から赤ラインが、対馬まで届いているのが分かります。大物忌神社からでた水色ラインが、月山を横切っています。月山も山頂の月山神社が式内社であり、社格は明神大です。鳥海山と同じく山が御神体です。大物忌神社(式内社・明神大)→月山(式内社・明神大)→吾妻小富士(磐梯吾妻)→安達太良山→酒烈磯前神社(式内社・明神大)とつながります。強烈な信仰の山々の連なりです。
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赤ラインが鳥海山から出ていますが、安達太良山で交差し、吉田神社(式内明神大)に届いています。このラインも強烈な信仰の山々が連なります。大物忌神社は大和の最北の守りとして、奉祭されたのです。式内社としても重要な位置にあったようです。

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by tizudesiru | 2012-05-29 13:59 | 68式内社の偏りの意味 | Comments(0)

式内社の地域的偏りの意味

式内社(明神大)偏り醍醐帝の時代に奏上された「延喜式」に名のある神社を式内社と言いますが、それも格式が明神大として扱われた神社の数に、地域的な偏りが見られます。式内社(明神大)が全くない地域もあるのです。たとえば、神武天皇の出身地である宮崎県には、式内社(明神大)はありません。有名な高千穂神宮は、式内社ではありません。不思議です。式内社の位置は、これまでに繰り返し紹介してきましたが、それぞれが意味のある場所でした。では、その意味とは、何でしょう。古代には日本海側が表玄関であり、重要な位置を占めていましたが、式内社(明神大)が少ないのです。そこに、歴史が潜んでいるのではないでしょうか。
A欄は県名、B欄は全体数です。 D欄から後は中世の地域ごとの式内社(明神大)数としました。岐阜県に[1]を入れてください。美濃が1ですから。
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兵庫を見ると全体数も多く、特に但馬は10です。
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 奈良・京都以外では、兵庫が多いようです。その中でも、但馬に10箇所あります。他に、紀伊・陸奥・近江・尾張・伊予・筑前…が多いようです。これらの地域は、中世以前にはどんな歴史を持った国だったのでしょう。これらの国が、古代に力を持っていたとするなら、中央からすれば、はなはだ迷惑な存在だったことでしょう。何とか抑えるか、取り込むか、まったく別の権力とすり替えるか、色々あったことでしょう。地図でどのくらい読めるでしょう。陸奥から初めて、但馬まで行きたいと思っています。
 





では、また後で
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by tizudesiru | 2012-05-26 15:43 | 68式内社の偏りの意味 | Comments(0)

石城山神籠石からのライン

石城山神籠石ラインの起点と終点石城山神籠石は、愛媛の永納山神籠石と東西に向かい合っていると、すでに紹介しています。石城山(山口県光市)から大廻小廻神籠石(岡山県岡山市)にラインを引くと、そのまま播磨城神籠石(兵庫県たつの市)につながります。三か所の神籠石系山城がつながるのも不思議です。
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石城山と向かい合っている永納山神籠石の方も、同じようにつながるのでしょうか。残念ながら、讃岐城山城神籠石(坂出市)と結んでみましたが、永納山と二か所なので結論は出せません。ただ、石城山ラインと永納山ラインは並行して伸びているように見えます。ただし、このライン(ピンク)を何処までも伸ばしていくと、滋賀県大津市にとどきます。大津には、天智天皇の都がありましたね。ここまでライン(ピンク)が伸びるものかどうか、気になるところですね。
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桃太郎伝説と古代山城
ところで、岡山には桃太郎伝説があり、吉備津彦が桃太郎のモデルと聞きます。吉備津彦が退治した鬼が、宇羅だそうです。宇羅が住んでいた鬼ノ城が、古代山城(神籠石系)として知られています。同じ岡山県にある神籠石系山城の大廻小廻城とは、つながりはないのでしょうか。
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岡山県鬼ノ城から香川県坂出市の讃岐城山城にラインを引くと、間に備中国分寺が入ります。
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神籠石系山城が築造された場所として、国府や国分寺の近くが多いと指摘されています。まさにここもそうです。
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瀬戸内海をわたると、赤ラインは讃岐城に届きます。吉備津彦・宇羅伝説は、古代山城が築かれた時期と重なるのでしょう。
 鬼ノ城も讃岐城も 決して山奥にあるのではなく、むしろ国府の近くです。それに、鬼ノ城の作りは無視できないほど壮大です。時の人は、相当の財力と技術をそそぎこんだ事でしょう。その痕跡が史書に残っていないのは、不思議すぎます。残らなかった理由があるはずです。
 このことは、7月14日をすぎてからブログで紹介するつもりです。






4月は旅行で家を空けていたし、五月は原稿書きで時間がなかったので、ブログを更新できませんでした。少し暇を見つけようと思っています。
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by tizudesiru | 2012-05-26 00:38 | 67石城山神籠石ライン | Comments(0)


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221斑鳩寺は若草伽藍
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232岩戸山古墳の資料館
232岩戸山古墳の歴史資料館
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239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
239藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
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250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
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264柿本人麻呂と持統天皇
265消された饒速日の王権
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267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
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276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
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279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラ
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
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by tizudesiru at 10:08
いつもお世話になります ..
by 尊敬します at 23:32

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