カテゴリ:94 金富神社と鉾立山 2( 1 )

金富神社から見えること

金富神社から見えること
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前回、鉾立山と立岩遺跡の弥生のラインを紹介したいために、国分寺・金富神社・八幡古表神社のラインを簡単に扱ってしまいました。しかし、このラインには、大きな歴史の事実が伝えられていると思います。
 まず、八幡古表(はちまんこひょう)神社について、
 福岡県築上郡吉富頂小犬丸にある神社で、すぐそばに山国川が流れ、川を渡れば大分県中津市です。縁起は欽明天皇6年(545年)に遡り、神功皇后の神託により息長大神宮と称し、まず初めに八幡宮が鎮座し、脇殿には住吉宮が祀られました。
 細男舞・神相撲の神々を祭る古表社の起源は、少し時代が下がってからで、天平16年(744年)です。細男舞・神相撲とは、木彫りの御神像が舞い、相撲をとる行事で、馬にまたがった神功皇后の御神像、細男・神相撲四十七体の御神像とともに、国指定重要文化財になっています。
 また、中津藩主からの尊崇も篤く、御神衣や刀剣類など宝物も多数保有しています。
 という紹介文がありました。欽明天皇6年(545年)とは、いかなる年でしょう。そして、天平16年(744年)、神社の名が変わった年ですが、どんなことがあったのでしょう。
744年新京(恭仁京)に遷ることを告げる勅使あり。 (香椎宮編年記)
   難波京に遷都を告げる勅使あり。香椎廟を鎮護する城司を置く。 (香椎宮編年記)

 744年は、聖武天皇にとって、大変な年だったのです。神祀りは、神頼みなのでしょう。香椎宮は神功皇后・中哀天皇の所縁の地ですから。香椎の地に大廟が建ったのは、723年の事です。720年に「日本書紀」が出来上がりましたから、日本書紀上の出来事に合わせての事でしょうか。

545年  545年は欽明天皇6年に当たりますが、これと言って気になる記事はありません。欽明天皇は、昭和天皇・明治天皇に次いで在位の長い帝です。しかし、日本書紀を見ると、百済の任那日本府の関する事と、聖明王の事に記述が集中し、欽明天皇が何をしたか、ほとんど書かれていません。聖明王の活躍と、聖明王の死と、その王子に王位を継がせる話まで登場するのですが。
 明日香で最後で最大の見勢丸山古墳が真の欽明陵と最近定説になりましたが、最大の古墳の被葬者なのに、その活躍が書紀に乏しいのは気になりますね。欽明天皇と蘇我氏の女(妃)の間に生まれた皇子・皇女のうち三人が天皇位についています。直系の敏達天皇の孫・舒明天皇が皇位継承するまで、蘇我氏の妃の皇子達が皇位をつなぐので、いろいろありそうですが。
 ほかの資料に、面白いものがありました。
 540年(庚申 僧聴五年) (欽明元年) 宗像大菩薩、人王卅代欽明天皇御宇僧聴五年、新羅国より釈迦金銅像を献ず。 (宗像大菩薩縁起)
 541年 (辛酉 明要元年 *辛酉による改元) (欽明2年) 明要元年辛酉三月三日丹生山明要寺創建される。 (明要寺勧進文書)
   辛酉明要 百済国より佛像経巻わたると云々。其の時尾輿大連と云える人佛法崇敬すと云々。 (寶光寺古年大記)
 542年(壬戊明要二年) (欽明3年) 壬戊名要二年、始建立宇。本朝佛法流傳之初也。(日本帝皇年代記) 
 544年 (甲子明要四年) (欽明5年) 甲子明要四年、或云、八幡大菩薩此天皇之御宇顕神筑紫肥後国菱形池。現神紀云、我是人皇十六代誉田八幡丸云々。  (日本帝皇年代記)
 545年 (乙丑明要五年) (欽明六年) 明要五年、此代より佛法名を知け (寶光寺古年代記)

 やはり、佛教伝来は、552年より早いようですね。
 僧聴・明要は、認められていない年号だそうです。年号が続くようになるのは、大宝元年(701年)からです。
 長々と書きましたが、つまり、545年の八幡古表神社に関するそれらしい記事は見つけられませんでした。寺院なら別ですが。
 では、もう一度、744年を取り上げたいと思います。
 

また後で
 
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by tizudesiru | 2013-07-18 12:09 | 94 金富神社と鉾立山 2 | Trackback | Comments(0)


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