カテゴリ:4筥崎八幡宮( 2 )

筥崎八幡宮の位置

筥崎八幡宮と三郡山 
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 三郡山を通って馬見山へ届きます。
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筥崎八幡宮と宝満山
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宇美役場に重なって宇美八幡宮があります。宝満山を通って大根地山へ届きます。
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by tizudesiru | 2011-10-03 20:16 | 4筥崎八幡宮 | Comments(0)

筥崎八幡宮

4 筥崎八幡宮
 福岡市東区箱崎に官幣大社の筥崎八幡宮がある。参道から社を見ると、鳥居と本殿の間に、三郡山(三郡山地の最高峰936m)の山頂が三角形に見えている。あまりにきちんと頂上が社殿屋根中央に来るので、以前から気になっていた。筥崎宮と三郡山とは、何らかの関係があるのだろうか。

縁起をみると九二三年に大分八幡より遷宮となっている。山とのかかわりは何もない。遷宮が十世紀なら、神社の中では古い方ではないだろう。しかし、筥崎八幡は延喜式に名を連ねる由緒ある神社なのである。

九〇五年に醍醐天皇
の命により延喜式の編纂が始まり、奏上が九二六年で、施行されたのが九六七年。延喜式に名を残す神社を式内社というが、当然ながら近畿の神社が圧倒的に多い。筑前の神社で式内社として名を残しているのは、十三社という。神社としての格式を認められているのは、中央とつながりを認められた何らかの理由があるのだろう。
筑前の国の式内社は次の通り

   宗像神社(宗像市沖ノ島・大島・田島)
   織幡神社(宗像市鐘崎)
   八幡大菩薩筥崎宮神社(福岡市箱崎)
   住吉神社(福岡市住吉)
   住吉神社(福岡市若久)
   志加海神社(福岡市志賀島)*志賀海神社)
   志登神社(糸島市志登)
   筑紫神社(筑紫野市原田)
   竈神社(太宰府市内山)
   麻テ良布(マテラウ)神社(朝倉市杷木)
   三奈宜神社(甘木市林田)
   三奈宜神社(甘木市荷原)
   於保奈牟智(オホナムチ)神社(朝倉市三輪)*大己貴神社


  何を調べても、山とのかかわりを書いたものは出て来ない。なぜ三郡山を社の背後に頂くのか、それを知りたくなった。それで、地図を広げた。
 筥崎宮について『応神天皇の胎衣を箱に収め川に流し、流れ着いたところに埋めた。そこに、松を植えた。だから、靴箱の箱ではなく、玉手筥の筥の字で筥崎宮という』との言い伝えを神社の近隣の人から聞いたことがある。社伝にも「応神天皇の胎衣を箱に入れ収めた地に松を植え、しるしの松とした」と書いてあった。それで、筥松と呼んだとも。筥松は、御神木として本殿右前に今も名残がある。筥松の地名は、「社領」と共に「筥松」として筥崎宮の南の宇美川沿いに今も残る。筥崎宮の裏(南に二、三百歩離れている)を流れるこの宇美川の上流に、神功皇后伝説の「応神天皇出産の地」宇美八幡はある。

試しに、筥崎宮本殿と宇美八幡を直線で結んでみる。直線を伸ばすと三郡山からずれて、同じ山地の宝満山上宮(829m)に届く。更にのばすと、大根地山頂(652m)に届く。三か所の神社がつながれる。

また、拝殿屋根に三角に付き出て見える三郡山と筥崎宮本殿を結ぶと、遠く朝倉の馬見山山頂(978m)まで直線が延びる。こんな偶然もあるのだ。

宝満山と三郡山、これらの山は、お互いに何か関係があるのだろうか。
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筥崎宮のご祭神は、応神天皇・神功皇后・玉依姫となっているので、同じ御祭神を祀る宇美八幡と直線で結ばれるのは納得できる。さらに、筥崎八幡と宇美八幡を結ぶラインは、宝満山頂に伸びている。しかし、筥崎宮が背負う山は、宝満山ではなく三郡山である。どうもしっくり来ない。更に大分八幡との地理的なつながりが見当たらない。ラインはただの偶然かと、再び思う。

  あえて大分八幡と三郡山山頂を直線でつなげば、行先は大きく外れ、大宰府の観世音寺のあたりに届く。何の脈絡もなくその地点で直角に右に折れると、筥崎宮本殿に届く。三郡山と大分宮とつなぎ筥崎宮に届くには直角に曲がる他はない。しかし、直角に曲げる意味も思いつかない。
箱崎宮は元々大分宮の頓宮であった。延喜二十年(921年)、託宣が降り、現在地に新宮を営むことになったという。大分宮では三悪があるという理由だった。
三悪とは、次の三点である。

一に、節会に参来する府官人の行路にある伯母竈宮(宝満の竈神社)に不敬であるため
二に、険阻な山越えのため、饗応の郡司百姓が苦しんでいるため
三に、放生会は海上で行われるべきで、山間部の大分宮では不適当


古代の国司の赴任後の初仕事は、赴任国の全ての神社への参拝であったという。太宰府から大分宮への道は、確かに難儀したであろう。しかし、である。頓宮であった筥崎宮が、何故、式内社となりえたのであろうか。九二一年に醍醐天皇から『敵国降伏』の辰筆が与えられ、遷宮は九二三年である。

この天皇の命により延喜式の編纂が始められ(905年)、奏上が九二七年、施行が九六七年。三代格式の一つという国の組織や法をまとめた延喜式に、筥崎宮の名が出ている。仲哀天皇の崩御の地と伝わる香椎宮も、巨石の横穴式石室を持ち、国宝の太刀が墳丘に埋められていた円墳もあり、由緒もある宮地嶽神社も選ばれてはいない。神名帳に載る二八六一社は、祈年祭奉幣を受けるべき、当時の朝廷から重要視された神社なのである。そうであっても、「敵国降伏」の辰筆を頂いたとはいえ、新参の神社を式内社にするだろうか。出された辰筆が何故「敵国降伏」なのか、政治的状況の反映だったのか、理由はわからないが。何の由緒もない場所だとしたら、新しい社殿を建てるだろうか。

ふらりと筥崎宮に参拝してみると、御神木の筥松が瑞々しい緑を湛えている。本殿の裏地に末社が左右にある。
東末社には、稲荷社、住吉社、乙子殿、武内社、池島殿
西末社には、民潤社、厳島社、仲哀殿、若宮殿、龍王社
バラエティに富む社の数々である。家に帰って、地図を広げると、筥崎宮の真東に穂波町の龍王山(615m)がある。西末社に龍王社が祭られていた。何か関係があるのだろうか。この時点では、龍王山には大きな意味は見出だせない。しかし、地図上では本殿の真東に龍王山の山頂が来るのだ。これは見逃せない。春分秋分に決まって太陽の昇る山を、昔の人は祭らなかったのだろうか。図書館で穂波町について調べてみる事にした。

 龍王山には、伝説が残されていた。穂波の人々は、水を抑えた龍に毎年田植えの水を貰う為、龍を怖れ人身御供も行われたとか、龍王山には鎮西八郎為朝の矢で昇天した龍が住んでいたとか。山頂には「龍王神社があり、昔この一帯で大干ばつがあり、村人が神前で酒を供え、かがり火を焚き太鼓をたたいて一昼夜交代でお籠りを続けたところ俄かに雨が降って村人が助かったとかいう様々な伝承。穂波の人々は、博多へ出る近道だったにも関わらず龍王山の傍を通るのを恐れたそうである

 ここで、私の中に生まれたのは新たな憶測だった。筥崎八幡宮では、九二三年以前は龍王を祀っていたのではないだろうか。社殿も東を向いていたのではないかと、勝手な憶測である。

 そういう由緒ある場所だったからこそ、同じ穂波の大分宮を遷宮し式内社にもなれたのではないか。では、龍王社はどんな霊力を持つ神として祀られたのだろうか。龍王だから農耕の水を守る神、または、海上交通の安全を守る神だったなら、自然と龍王山と結びつく。太陽が真東の龍王山から昇り、真西の能古島の城ノ浦に沈む。太陽信仰の地であり、海上交通の神を祀る地であるとしたらどうだろう。そう仮定すると、漁師町の箱崎に宮が造営されても理解できる。それが、穂波の大分宮遷宮の理由になった……

そう仮定しても、九州に龍王山・竜王山の名を持つ山は少ないのだ。福岡県一ヶ所、大分県二ヶ所、熊本県一ヶ所(竜王山古墳)である。ちなみに岡山県二十二ヶ所、広島県十三ヶ所で、圧倒的に関西・中国・四国が多い。龍王山以前は、別の名だった可能性が強い。太陽信仰の山としても、龍王山という名は他の文化圏のものであろう。政変があった時、入って来たものであろうか。また、古代の豪族が山を御神体として頂くとき、どんな山を対象に選び信仰するのだろう。新たな疑問が浮かんできた。地図を使って、山と神社(信仰)の関係が他にも見つかるだろうか。
筥崎八幡→宇美八幡→宝満山頂神社→大根地山
筥崎八幡→三郡山→馬見山
筥崎八幡→(真東)龍王山

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by tizudesiru | 2011-09-27 00:18 | 4筥崎八幡宮 | Comments(4)


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