カテゴリ:72紀伊国の式内社( 1 )

祭神交代・紀伊国の式内社

九州とのつながりがちらついている神社が多い!紀伊國の式内社!
祭神交代が意味する事紀伊国の式内社の御祭神はどなた?
 神社の御祭神は、時代により変わっているようです。理由は統治者が変わったり、中央の意向だったり、さまざまですが、祭神に名前が付け加えたり、新しい神を配祀されたり、主祭神が入れ替わったり形態も色々あるようです。紀伊国も例にもれません。神社の場所も移動しているので、過去のありさまを推し量ることも難しいようです。しかし、今の様子から、考えられることもあるかもしれません。画像を見ると、紀伊國の式内社もラインで結べるように見えます。これは、時代の新しいラインなのでしょう。移動しているという記録が、それぞれの神社に残されていますから、この位置をそのまま受け入れるわけにはいきません。また、式内社のほとんどが和歌山市に集中する事も特色です。その意味もあるでしょう。水色の目印は、式内社(明神大)で、ピンクは式内社(小)です。
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中心にある国懸神社・日前(ひのくま)神社ですが、此処には元は別な神社があったそうです。国譲りで国懸・日前神社と入れ替わったそうです。
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昔、此処に祀られていたのは、伊太祁曽神社だったのです。祭神は、五十猛命です。
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この神は、九州から木の種を蒔き、紀伊國まで木を植えたとされる神です。配祀されていた大屋比売と都麻都比売は、五十猛命の妹です。三人の神が、もともとこの地の伊太祁曽神社に祭られていました。また、スサノウの言葉によると、「わが子が治める国に船がないと困る」とあります。スサノウと五十猛は、国を治めていたようです。更に、伊達神社や志摩神社を見ると、付け加える事柄が出てきます。
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『もともと近くにあった神社が分祀されている。元は、三兄妹が一緒に祀られていたらしい。紀氏の斎祀る神は「船玉」であったらしい』船の材料として、杉・樟があげられていますが、樟は九州が北限です。その種を蒔いても、大木になるには数十年かかったことでしょう。 紀氏は船を作る氏族だったのでしょうか。航海技術も持っていたでしょうか。彼らは、九州とどんな関係があるのでしょう。日前国懸神社のある『秋月』は、福岡県の城下町の地名です。明治に『秋月の乱』を起こした藩でもあります。また、丹生都比売神社のある伊都郡は、魏志「倭人伝」に出てくる古代の国『伊都国』と同じ名前です。和名抄にも「伊都」があるので、古い地名です。ますます九州に近付きます。
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丹生都比売神社は、紀伊国の一ノ宮である事を主張しています。伊太祁曽神社も、日前国懸神社も同じく「一の宮}を主張しています。歴史の古さ・中央との結びつきの深さ・地域の支持など、様々な理由がありそうです。
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日前神社から高積神社(山頂の宮)を通り、はるか「丹生都比売神社」までラインが届きます。途中にある高積神社とは、いかなる神社でしょう。『紀伊続風土記』によると、祭神は高積比古命・高積比売命ではなく、五十猛命・大屋都比売・都麻都比売です。此処も、元は五十猛の三兄妹が祭神でした。丹生都比売神社までのラインは、五十猛の信仰ラインだったのではないでしょうか。「丹」とは赤い色、水銀のとれる赤土の事です。水銀は金メッキに使います。名草戸畔を滅ぼした神武東征が、金属生産と関わると考えられるのも分かる気がします。
 ところで、神社の祭神の入れ替えは、式内社が奏上された十世紀でしょうか。だから、鎌倉時代になって、各々の神社が「一ノ宮」を主張し始めたのでしょうか。上記の事実から、紀ノ川流域が、十世紀まで重要な伝承を持っていた事が分かります。それは、神社の祭神を入れ替えなければならない内容だったのです。九州と関わる伝承だったのでしょうか。更に紀ノ川の上流には『隅田八幡』があります。此処も、「九州(筑前国)から武内宿禰に供奉されて、応神天皇が紀伊をへて大和に赴く途中、この地に長く滞留されたことにちなんで、欽明天皇の詔によりその遺跡に八幡宮が勧請されたという。また859年の創建ともいう」と、伝承があります。それよりも、国宝『人物画像鏡』のほうがよく知られているでしょうか。有名な銘文がありますね。明確な解読がなされてないように聞いていますが。
 紀伊國の式内社の祭神の交代には、政治的な意図がありそうです。古代には、紀ノ川の河口が重要な位置にあり、この地の氏族が船や航路と関わっていたのではないかと思います。また、この地の出入りを見守るためにも、式内社は重要だったはずです。紀州徳川家がこの地に城を築いたのは、式内社の関係を断つためだったかもしれません。和歌山城は、日前神社のほぼ西に位置します。



また後で
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by tizudesiru | 2012-06-09 16:23 | 72紀伊国の式内社 | Comments(2)


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