カテゴリ:3間夫という山( 1 )

間夫という山

3 間夫という不思議な山 
 間夫は、すでに登場した山の名であるが、最初は読めなかった。
 福岡県宮若市の地図を開いた時、初めて間夫にぶつかった。山の名であるが、読みが分からなかった。カンブ、マブ、いずれにしても名づけの由来が想像できない。遊女の情夫をマブというようだが、そんなキワドイ名前をつけるには、面白い伝承などあるかも知れない。間夫の麓に湧く脇田温泉を楽しみながら、調査を開始した。

然し、私が尋ねた脇田の人は、誰一人「間夫」を知らなかった。名前も位置も。犬鳴峠を超えて福岡方面から宮若市に入るとき、カーナビにも間夫の名が出る。確かに、脇田温泉の背後の山である。国土地理院の地図には、麓に「裏の山」や「大道」などの集落名もみえる。大道とは、昔の官道の事ではないか。この山の中を官道が通っていたのだろうか。車で犬鳴トンネルを出ると、右手に三角形をした大きな山が見えるのだが、それが間夫である。宮若市に入ると山の形は、方向が変わるために台形に変化する。

  脇田を過ぎると、やがて田んぼの中に小高い社の森が見える。由緒ありげなので立ち寄った。散歩中の老婦人に尋ねると
「これは、古墳じゃありません。黒水(高水)神社です。山の上にあった様々な社も降ろしてきて一緒に祀っています。若い人は忙しくて手が届きませんから。」
と、答えられた。山中の社を合祀しているそうだ。ついでに間夫のことも聞いた。
「山の名は、まぶです。昔から間夫の右に雲がかかれば昼から雨になるし、左に雲がかかれば晴れてくると知っていたので、一日の仕事の計画をしたものです。」

間違いなく間夫は、まぶだった。そして、人の暮らしと結びついた山だった。山の名の由来については聞けなかった。若宮地区の西側に台形に座っている大きな山の存在が、地域の人々に忘れられかけているのが残念だった。それにしても古代の測量に使われていたらしい間夫は、どういう意味を持っているのだろう。古代にそういうスキャンダルがあったのだろうか。それらしき人物の伝説は残っているのだろうか。私が思いついたのは、武内宿禰である。巷には様々な事が言われているようだ。でも、まさか。間夫は言葉として新しいではないか。古代に間夫とは言わなかっただろう。  

  次に、『夫』を『分』に勝手ながら入れ替えてみた。間分だったのではなかろうか。これなら、測量用語のような気もする。ほかの山地のように、固有名詞の下に山や岳が付かないのは、山以外の役目があったからではないか。間夫は鉱夫か、鉱山の坑道の入口の意味もあるそうである。鉱山があった山なのだろうか。ともかく間夫なのである。
  間夫は、山の他にも何かの役目を果たしていたと、この時点で私は思った。

  間夫が、天の坊やなびき山や竹原古墳、西山や剣塚古墳などの位置と深いつながりがあるらしいと思ったが、龍王山との関係が新たな疑問となった。また、剣塚古墳から間夫山頂を通り更にラインを進めると、宇美八幡(神功皇后が応神天皇を生んだ伝承あり)の上宮(奥宮)神領古墳に届く。宇美八幡本宮や大きなクスの神木とはややずれるのである。

剣塚古墳築造の頃は、宇美八幡宮は存在していなかったのかも知れない。この神領古墳は、五世紀初めの円墳らしい。古墳が宇美公園内に四基ほどある。円筒埴輪や勾玉などを出土している。更に宇美には、光正寺古墳がある。三世紀の前方後円墳であるが、間夫と竜王山ラインからは、かなりずれている。そうならば、このラインはただの妄想だろうか。
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宇美八幡宮
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 改めて地図を広げてみると、穂波町に大分(だいぶ)という地名がある。町名は、神功皇后が、豊かに実った稲穂が揺れるのを見て、『穂波かな』と言った伝説に由来する。

大分とは、三韓征伐から帰還した皇后が、兵士達と別れた処であるという。それで、その地を「大分」と呼んだという地名譚も残っている。間夫が測量用語と仮定すると、この大分という地名も測量用語ということだろうか。然し、大分には別な解釈もあるらしい。大分宮を訊ねてみると、以前は相当賑わいを見せたらしい事が、案内板に書かれている。宮の裏は宮内庁の管轄の陵墓指定を受けていた。
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(大分八幡宮と門前の杯状穴・なぜかしめ縄が張られている)
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近くには、大分廃寺という新羅系の寺院跡もある。大分八幡宮とは、ほぼ緯度は同じである。
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  穂波町の大分(だいぶ)八幡神社は、三大八幡宮の筥崎八幡宮の元宮であり、同じく大分県の宇佐神宮の本宮である

『八幡宇佐宮御託宣集』によれば、築上郡椎田町の矢幡八幡宮(金富神社)が八幡神顕現の霊地であり、穂波町の大分宮が本宮
であると書かれているそうである。三大八幡宮の元宮、本宮となると、これは、由々しきことではないか。この時点では、このまま先には進めなかった。
竹原古墳→天の坊→なびき山(三角形)
竹原古墳→天の坊→間夫(三角形)
 竹原古墳→春山(雁城)→天降神社 *東西の直線で結ばれる
 竹原古墳→間夫→鉾立山→大城山(太宰府)→九千部(脊振山地)*直線で結ばれる
天降神社→なびき山→間夫(三角形)
間夫→剣塚古墳→西山(三角形)
剣塚古墳→間夫→宇美八幡 *直線で結ばれる
桜京古墳?→西山→間夫→龍王山 *直線で結ばれる
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by tizudesiru | 2011-09-28 23:30 | 3間夫という山 | Comments(0)


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