カテゴリ:63あおによし奈良の都は( 1 )

63 あおによし奈良の都は…

さまよえる平城京新益京から遷都した平城京ですが、奈良の都は遷都を繰り返しました。
 いま造る久邇の都は山川のさやけき見ればうべしらすらし (大友宿禰家持が久邇の都を讃めて作る歌一首)久邇京だけではありません。紫香楽・難波にも、遷都が繰り返されます。天平文化が花開いたとされる奈良時代。政情不安に飢饉、天変地異に人々は苦しんでいたのです。そのためでしょうか。聖武天皇は、遷都を繰り返されました。
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遷都後の大極殿はこの位置でした。復元された建物は、第一次平城宮の位置に建てられた事になります。
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平城宮の西側。西大寺があります。
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平城宮の東側。東大寺はありません。更に東奥にあるのです。北南に通る紫ラインは、京都の天智天皇稜と明日香の天武天皇稜を結ぶものです。このラインがあったから、東大寺はずっと東に造られたのでしょうか。西大寺の東辺から大極殿までと、大極殿から紫ラインまでの距離はほぼ同じです。
 平城宮に三本の黄ラインがあります。中央の黄ラインは、橿原の神武天皇稜に届きます。大極殿の真南に偉大なる霊廟を配置する事は、ここでも行われました。高松塚古墳が草壁皇子である事が、さらに裏付けられたと思います。同時に、神武陵は平城京遷都の時代も、同位置であった事が分かります。霊廟をみだりに移動したり、都合に合わせて変えたりするのはためらわれた時代だったのでしょう。
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では、第二次平城宮の祭祀線は、どうなっているでしょう。「続・あおによし奈良の都は」を見てください。

また後で
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by tizudesiru | 2012-04-08 01:23 | 63あおによし奈良の都は | Comments(0)


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