カテゴリ:45筥崎宮から見た太宰府天満宮( 1 )

筥崎八幡宮の謎と意味

筥崎八幡宮に謎がある
 921年、醍醐天皇の御辰筆をいただき、923年穂波の大分八幡宮より筥崎に遷宮されたと、縁起にあります。遷宮の年も923年と決まっていて、その理由も分かっている筥崎宮。式内社の中でも創建年代がはっきりしている神社は珍しいでしょう。その神社に謎?しかし、謎があるのです。
(1) 筥崎宮の長い参道から見える社の背後の三郡山山頂。なぜ筑紫の霊峰宝満山ではなく三郡山なのか。長い間の疑問でした。平安時代の国司が穂波の大分宮に奉幣するのが難儀である事と、大宰府から越えていく宝満山に不敬である事が、大分宮からの遷宮の理由だったからです。社の背後に、三郡山と並んでいる宝満山を背後にいただく事は容易だったはずです。宝満山を避けているのでしょうか。
(2) 923年は、大宰府に流された菅原道真が許され官位を戻された年です。道真は左遷後一年ほどで亡くなっています。以後二十年間も道真の祟りに苦しんだ都の人々。923年はその祟りを断ち切る年だったのです。同じ年に遷宮とは、道真の祟りと関係しているのでしょうか。
(3) 遷宮地に筥崎がえらばれたのは、放生会は山より海が望ましいという理由です。本殿のある位置でなけばならない理由があるのでしょうか。
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 本殿から出る水色ラインと黄色ラインと赤ラインがあります。この3本から調べてみましょう。
水色ラインこのラインは、筥崎宮から若杉山の太祖宮を通り、穂波町の大分八幡につながります。本殿から本殿へとつながります。つまり、ここ数百年間、本殿の位置が動いていないのです。
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神功皇后が若杉にイザナギを祀ったという伝承があります。
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水色ラインは、大分八幡宮の本殿にかかっている事がよくわかります。この時代は、正確に測量できたのですね。
陵墓にかかる紺ラインは、愛宕山(福岡市)からのラインです。こうして見ると、大分宮からの遷宮には、太祖宮も絡んでいますね。神功皇后の伝承を承知した上で、神功皇后ゆかりの大分宮から遷宮するとしたら、水色ライン上のどこかになるのでしょう
 黄色ライン
 このラインは、筥崎宮本殿から三郡山を経て、馬見山に届きます。
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三郡山は単なる通過点でしょうか。それとも、別の役目があるのでしょうか。
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馬見山が古代の信仰の山であったらしいと、すでにカテゴリ「神籠石から分かること(5)」で紹介しています。
赤ライン赤ラインは、何処につながるのでしょう。それは、太宰府天満宮の本殿です。
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道真の復権(?)の年、祟り封じの神社として、筥崎宮は創建されたのでしょうか。あまりにも出来過ぎではありませんか。
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赤ラインは、筥崎宮から大城山(都府楼跡の裏山)を通過し、太宰府天満宮を通り、宝満山の南の宮地岳に届きます。この山は、古代山城(神籠石)のある山として幾度も出てきました。
筥崎宮は、きちんと測量され選ばれた位置に造営されたのです。他の何処でもなく、三本のラインの始点(終点)以外に創建の地はないのです。選らばれた神社としても、それは、なんの為に?
 道真の祟りを封じ込めるためにでしょうか?
では、「敵国降伏」の真意は何でしょう?菅原道真という個人を指しているとは思えません。敵国というのは、どの辺りを指しているのでしょう。3本のラインから読めるでしょうか。
 ラインの終点にあたる大分宮は筥崎宮の元宮ですが、弥生時代の早良国を守った愛宕山と東西に相対しています。馬見山は古代からの信仰の山と思われ、磐井ノ墓の岩戸山古墳や、神籠石とも結びついています。宮地岳は、古代山城の地。この三か所に共通点はあるでしょうか。醍醐帝が「敵国」と呼ぶに相当しい国なのでしょうか。三か所がかかわった国は、何処にあったのでしょうか。それが、古代の国の姿を教えてくれるのでしょうか。福岡県全体にも及ぶかと思われる「国」が、9世紀から10世紀の初めころには認識されていたのでしょうか。それは、実際に存在したのではなく、伝承の「国」でしょうか。神籠石に守られた処は何処でしょう。それが、醍醐帝が「敵国」と呼んだ場所でしょう。その中心地の宮城は何処に置かれたのでしょう。天満宮へ伸びたラインの先にあるポイントを以前から見つけていました。


 そこにある偶然があります
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この画像は、筥崎宮・太宰府天満宮のラインをのばした、宮地岳との間をアップしたものです。国立博物館の上を赤ラインが通過しています。更に、よく見るとラインが交差する場所があります。以前から、私が注目しているポイントです。
 赤ライン(筥崎・大城山・太宰府天満宮・国立博物館・宮地岳)と交差するピンクラインがあります。南北に走るピンクラインは、若杉山の太祖宮と式内社の筑紫神社を結ぶラインです。筥崎宮と大分宮を取り持つようにライン上にあった太祖宮。そこから真南にラインを引くと、筑紫神社に当たるのです。偶然すぎます。
 交差する水色ラインが2本あります。東北からのラインは、三郡山から宝満山を通り、高雄山を通り、九千部に届きます。西北からのラインは、大城山と宮地岳を結んだものですから筥崎からのラインの亜流です。また、紫ラインが中心に届いていますが、唐原神籠石からのラインで、途中で大根地山の山頂を通ります。
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(
(「この辺」としているのが唐原神籠石です)
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 こうしてみると、赤・ピンク・水色・紫ラインが集まるところは、どういう歴史のある場所なのでしょう。私は、以前の記事に「此処に古代の太宰府の宮城があったのではないか」と書きました。2006年までは、そう思っていたのです。改めて地図を当たってみて、「やはり此処には歴史が隠れているのではないか」と思います。醍醐帝が封じ込めたかった「敵国」の王宮があったと…… 
 こう書いてしまうと、なんだか恥ずかしいです。ラインが集まる事の他は、何も宮城があったという証拠がないからです。とにかく、なんとなく思ったことです。何年たっても、ここから進化しませんね。
 

九州(熊本・福岡・佐賀)には「天子神社」「天神社」がたくさんあります。これは何を意味するのでしょうか。聞きたいです。
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by tizudesiru | 2012-02-14 11:30 | 45筥崎宮から見た太宰府天満宮 | Comments(0)


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