カテゴリ:39神籠石から分かること(4)( 3 )

神籠石から分かること

少しだけ言えること神籠石は、7世紀の建造物とは思えません。偶然にしては、6世紀の古墳と結びつきすぎています。大塚古墳は飯塚市の寿命にあります。双脚輪状文を持つ古墳です。
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・竹原古墳は、宮若市にあります。
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五朗山古墳は筑紫神社の近くにあります。近くと言っても1キロまでは離れていない感じです。ここにも双脚輪状文が石室内に描かれています。
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岩戸山古墳は、6世紀前半の磐井の乱で敗れた筑紫君磐井の墓とされています。
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一貴山銚子塚古墳は、4世紀の古墳だそうです。6世紀の古墳と聞いたこともありますが、私には何処で判定がなされるのか分かりません。
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宮地嶽古墳は、宗像君徳善の墓といわれていますが、そうなると7世紀の墓になります。しかし、それより古いということも聞きます。2メートル以上の太刀(国宝)も埋納されていました。
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これらの古墳の存在を知っていた人々が、共通の意味をこめて方角を探り、神籠石の築造場所を決めたのでしょう。
 そうなると、神籠石を造った人々は、同じような考え方をしていたし、筑紫の君磐井を逆賊と考えていなかったことになります。また、神籠石の列石の下から6世紀の土器片が出たので、その頃の建造物との説を聞きましたが、それはどうなったのでしょう
 つまり、神籠石が「白村江戦後に造られた」という説に疑問が出てくるのです。大野城や椽城(基城)のように日本書紀に書かれてないことも大事と思います。

 

これらの古墳は、たまたま残されたタイムカプセルです。発掘された遺物は、東京や京都の博物館や大学に持ち去られていますが、個人のものではないですから、基本的には地元に返してほしいですね。研究室や博物館は、貸し借りしているとは思いますが。
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by tizudesiru | 2012-02-03 22:35 | 39神籠石から分かること(4) | Trackback | Comments(3)

もう少し、言えること

もう少し付け加えると
 高良大社と日の岡古墳(6世紀中)を結ぶと、ラインに寺徳古墳が乗ることは、カテゴリ7「八女丘陵の古墳」で紹介していますが、高良大社本殿を少しずらした高良山神籠石とすると、日の岡古墳・寺徳古墳・下馬場古墳・高良大社本殿前とつながります。日の岡古墳にもわらびて文が描かれています。全長78メートルの前方後円墳です。
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高良大社に集まるラインの中で少しずれた水色のラインが、日の岡古墳からのラインです。水色の色を付けました。
 日ノ岡古墳は、的(いくは)臣の古墳と言われ、畿内から来たとされています。しかし、高良大社や高良山神籠石と深いつながりがあるとしたら、考え直さなければならないと思います。
 磐井の乱の後、国家は著しく変化したそうです。磐井の子の葛子が糟屋屯倉を差し出しただけでなく、全国的に屯倉が広がったそうです。
 それまで、地方の有力者は「君}と呼ばれていましたが、磐井の乱後は「国造(くにのみやつこ)」となり、国造が各地にがおかれました。国の奴(やっこ)となったのです。6世紀は、国家の体制が大きく変わった時代となります。
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(この写真は、古墳の案内の写真を使わせていただきました) 
 月岡古墳が近くにあります。しかし、こちらは装飾古墳ではありません。この地区の若宮古墳群の中では一番古い前方後円墳と言われています。もちろん日ノ岡古墳より古く、80メートルの前方後円墳で長持型石棺の中に副葬されていたたくさんの馬具・甲・刀・剣などとともに金銅製冑は有名です。長持型石棺は畿内に多く用いられている石棺の形式です。九州では唐津の谷口古墳と月ノ岡だけだそうです。それで、畿内と関係の深い古墳といわれるのです。明らかに、月ノ岡古墳と日ノ岡古墳は様子が違います。日ノ岡古墳の被葬者が神籠石と関係があるなら、各地の有力者(宮地嶽・寿命大塚・竹原・五朗山・岩戸山・日ノ岡など古墳のある地域の首長)は連携していた。と、なるのでしょうか。その連携には、6世紀とそれ以前の九州の体制が反映していると言えるのではないでしょうか。
 そうすると、弘化谷古墳(八女丘陵)にも双脚輪状文があるのです。ここも神籠石と結びつくのか。という問題が出てきます。ためしにやってみましょう。わかりやすく黄緑ラインにしてみます。
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結果、弘化谷古墳から大善寺玉垂宮を通り、雷山神籠石を横切り、一貴山銚子塚古墳に届きました。ラインの色は黄緑です。このラインも神籠石のラインに入れると、有力者の墓と思われる墳墓は神籠石に結びつきます。
 
神籠石は、北部九州の有力者の思いを反映している。彼らが考えていたことは、中途で頓挫した」神籠石は、途中で作業が止まったところがあるそうです。それは、何を意味するのでしょう。それから、先日まで「日ノ岡古墳には双脚輪状文がある」と書いていました。石室の同心円の内の中央の文様がそのように見えるのですが、古墳の案内板には「双脚輪状文」という紹介の言葉がないので、このたびはずしました。蕨手文はいくつもあります。
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by tizudesiru | 2012-02-03 00:07 | 39神籠石から分かること(4) | Trackback | Comments(0)

その他の神籠石

石城山神籠石と永納山神籠石
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山口県の石城山神籠石と愛媛県の永納山神籠石も、ほぼ東西の位置にあります。ということは、この二か所の神籠石は、対になっていて何らかの関係を持っていた事になるのでしょうか。
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by tizudesiru | 2012-02-02 15:51 | 39神籠石から分かること(4) | Trackback | Comments(0)


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221斑鳩寺は若草伽藍
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224樟が語る古代
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227 古代山城・大野城
228古代山城の瓦
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232岩戸山古墳の資料館
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
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大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
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263天智天皇は物部系の皇統か
264柿本人麻呂と持統天皇
265消された饒速日の王権
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269彷徨える大国主命
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272平群を詠んんだ倭建命
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274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラ
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
284明日香川原寺の万葉歌の謎
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂は知っていた!
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?

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