カテゴリ:36神籠石から分かること(1)( 1 )

女山神籠石の謎

女山神籠石の謎
神籠石の秘密を一緒に考えませんか
 西日本に点在する不思議な列石、何時代に造ったか分からないといわれている神籠石。使用目的が、歴史の記録の中にないのですって。どんな人が作ったのか、人々の記憶の中にもありません。西日本にある列石が、数箇所確認されています。古代の山城か、祭祀施設か、いずれとも決着がつかないままでしたが、最近になって、山城説が考古学的観点から優勢のようです。しかし、地図を広げ、定規を当て、よく見ると思いがけない結果が生まれました。
見つかっている神籠石
・佐賀県
      おつぼ山神籠石
      帯隈山神籠石

・福岡県
     ・女山神籠石
     ・高良山神籠石
     ・雷山神籠石
     ・鹿毛馬神籠石
     ・御所ヶ谷神籠石
     ・杷木神籠石
     ・唐原神籠石
     ・宮地岳古代山城

山口県      石城山
岡山県      鬼城山城
・        大廻り小廻り山城
愛媛県      永納山
香川県      讃岐城
兵庫県      播磨城山城  
 神籠石は、太陽信仰の祭祀処(?)という説もあるそうです。
 現在、これらの建造物を神籠石と呼ばないで、古代山城と呼ぶ傾向もあるようです。
 どうでしょう? 何のために、いつ造られたのか、謎を解いてみたいですね。
 地図上にラインを入れて、どんな処と結びつくか調べましょう。

女山神籠石から考えます 
「女山」と文字を二か所に入れています。平野に近い地点は、地図上に「神籠石」と書かれた場所です。もう一つは、実際に見学したときの展望台のあった場所で、近くから列石が続いていました。神籠石と言っても、小さな建造物ではありません。地形に沿って長い列石で囲んだ広い場所を言うので、一定の地点を特定できません。
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 グーグルアースの映像に線を入れています。分かりやすくラインに少し色を付けました。
紫ラインは、ほぼ西に延びて佐賀県のおつぼ山神籠石に届きます。
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女山神籠石(北緯33度9分47秒)とおつぼ山神籠石(北緯33度10分39秒)は、有明海を挟んで向き合っています。しかし、きっちり東西ではないようです。見た目には東西の関係に見えますが。
 三本の紫ラインの中央のラインが、東の女山に届きます。上のラインは、北東に伸びて、帯隈山神籠石に届きます。それから、帯隈山を通過し、五郎山古墳に届くようです。一番下のラインは、熊本県の西の山々の中の三ノ岳を通過し、井寺古墳に届きます。
 井寺古墳は、上益城郡嘉島町井寺にあり、直径14mの円墳。石室内に切り石造りの石障があり、これにすぐれた直弧文の装飾。しかし、鏡、刀剣などの副葬品はすでに散逸し、今は直刀4本を残すのみ。二次大戦中に防空壕として使われ、赤以外の色は不鮮明。国指定史跡で、熊本県立美術館に古墳のレプリカがあるそうです。
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赤ライン・紫ラインの集まる場所が、神籠石の地図上の地点と重なります。おつぼ山からの紫ラインが斜めに横切る地点が、神籠石です。帯隈山という目印は、帯隈山の山頂に入れました。

再度「女山神籠石」に戻ります。

 女山を横切る白ライン
これは、女山神籠石の北北東に延びると「岩戸山古墳」に届き、女山神籠石から南南西に降りて雲仙普賢岳に届きます。
 女山神籠石を横切るピンクライン
これは、北北西に延びると、福岡市西区の愛宕神社を通り志賀海神社の北の元宮の内の「沖津宮」に届きます。勝馬の浜から見える小さな島に社がありますが、それが沖津宮です。また、女山神籠石から南南東に延びたラインは、熊本県の和水町の江田船山古墳に届きます。
 江田船山古墳は、五世紀の古墳です。副葬品も圧倒的に大量ですし、国宝の鉄剣でも有名です。
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福岡市の愛宕神社と志賀海神社の元宮との結びつきは、面白いです。志賀海神社は、式内社ですから十世紀には、現在地に遷宮しているはずです。ですから、玄界灘側の元宮に届く事は、古い神祭りを示しているのでしょうか。
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さて、次は青いライン
これは、女山神籠石から北西にのびて、雷山を通り、糸島の一貴山銚子塚古墳に届きます。この古墳は、四世紀の前方後円墳です。

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北へ延びる水色ラインは、石人山古墳を通り、太宰府の四王子山(大城山の頂上)に届きます。このラインを無理して伸ばすと、宗像大社に届きます。宗像大社は、式内社ですから、十世紀には社殿があったでしょうが、女山神籠石は築造の時間が違いすぎます。
今度は、水色ラインと白ラインの間の黄色ラインです。このラインは、高良大社を通り、桂川町の王塚古墳に届きます。高良大社の社域は、高良神籠石と重なります。黄色ラインが神籠石の領域を横断しています。たくさんのラインが集まっている社殿が、高良大社です。
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王塚に届いている紫のラインが、女山神籠石から届いたラインです。黄色に色を変えていませんが。
では、女山神籠石から南東に伸びた緑ラインは、何処へつながるのでしょう。
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女山神籠石からのラインは、阿蘇カルデラ内、阿蘇神社の本宮である国造神社に届きます。この神社の横には、首長達の古墳があります。それから、このラインが八方ヶ岳を横切ることも忘れてはなりません。

更に、赤ラインです。このラインは、女山神籠石から北東に伸びて、杷木神籠石を通り唐原神籠石(土佐井)に突き当ります。「この辺」の文字に届く紫ラインが女山神籠石から届いたラインです。
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 唐原神籠石(土佐井)を地図で確認したのですが、自信がないので、「この辺」と文字を入れています。

 これで、女山神籠石に入れたライン(紫・白・ピンク・青・水色・黄色・緑・赤)8本が、どんな山や古墳・神籠石と結びつくかを書きました。
 それで、いくつかの事が分かりましたが、たくさんの事が謎のままです。
(1)東西に位置する神籠石がある。二か所は、対になっているのだろうか。
(2)交通の要衝にある神籠石は、山城のような防衛施設なのだろうか。
(3)神籠石からのラインが当たる山は、当時の人々にとって信仰の対象の神の山だったのだろうか。
(4)神籠石からのラインが当たる古墳は、大きな影響力を持った首長の墓なのだろうか。
(5)見つかっている神籠石が、北部九州に集中するのはなぜだろうか。
(6)同時期に大変な土木工事する必要があったとしたら、その理由は何だろう。そのことが忘れられたのは
、なぜだろう。
神籠石の謎は、まだまだ続きます一緒に謎解きしませんか?
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by tizudesiru | 2012-02-01 00:49 | 36神籠石から分かること(1) | Comments(0)


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