カテゴリ:278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル( 4 )

西原の縄文土器の出現と退去

2017・9・5 縄文土器の紹介

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ほとんどの土器に文様があります。

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何種類の文様を見つけられましたか。

一度の探索で拾えるのはこの量で、結構な手ごたえがあります。

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様々な土器の縁だったり、底だったり、胴のふくらみだったり、出会ったときは、ありがとう、です。

遺物に出会いたいと思ったら、おまじないをしなくてはなりません。

「今、わたしの前に出ておいで。もし、そうしなかったら是からまた何千年もそのまま土の中に居ることになるでしょう。それでいいの? 寂しかったら、さあ、わたしの前に出ておいで。」

と、心で呼び掛けるのです。本当に心から話しかけると、次々に目に入ってきます。歩く足元に出ているのです。

「よく出てきてくれたね」

嘘みたいでしょう? でも、本当なんです。

あんまり石器に出会うので、父から

「お前には何かついているのではないか?!」

と云われたことがありました。それで、 わたしは石達に言いました。

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「ありがとう。もう、いいよ。そのままでいいよ。そのまま、ずっとそこに居ていいんだよ」

といいました。それから、探さないと出会えなくなりましたが、それでいいと思っています。

私よりずっと長く西原を見てきた遺物達に心から「ごくろうさま」といいたいですね。

今は、耕運機が畑を耕しますから畑では見つからないでしょうね。道路もアスファルトやセメントがかぶってしまいました。野原は草ぼうぼうで人間は入れません。

これから、土器も石器も静かに眠りにつくことでしょう。

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余談ですが、わたしは何処に行っても石に出会いました。25年ほど前、平尾台の近くの山道で道が通れるか見るために車を降りたら、水晶を拾いました。一緒にいた妹たちに見せると、そこに幾つか落ちていました。さらに、その道で小さな黒曜石も拾ったのです。

辺りは黒曜石の産地ではありません。古代人が何処かから運んできたものに違いないのです。

その時は、とても不思議な出会いを感じました。

石も何か人間の波長を感じるのかもしれませんね。まさか! ですけど。

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1988年12月、高齢の母と俵山に登りました。登り始めて三時間近くたって頂上に着きました。
「もう、登れないよ。これが最後ね」
と母が言いました。山頂でお弁当を開いたのですが、その腰かけた石の傍の砂地に鏃がありました。左の石鏃です。だいぶ風化していました。もともとは、右の石鏃のようなギザギザがあったのでしょうね。母との思いでの遺物です。
なぜ頂上にあったのでしょうか。今でも不思議です。

きょうは、土器と石との別れの日です。
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by tizudesiru | 2017-09-05 09:58 | 278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル | Trackback | Comments(0)

西原村は旧石器と縄文のタイムカプセル

西原村は旧石器と縄文の
   タイムカプセル

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八月の白川。熊本県大津町の橋から東を見ると阿蘇が」見えます。橋を渡ると、やがて西原村の入り口です。
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白川の水はくすんでいます。火山灰が混じっているのでしょう。
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上流の阿蘇方面は、珍しくはっきり見えました。
地震で崩れた山肌が少し見えています。立野を通る国道57は復旧していませんが、並行して白川の横を通る道路が、一週間ほど前に復旧したそうです。
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今日は西原村史の一部の紹介です。
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村史の写真で目を引く縄文時代の大珠(だいじゅ)です。石材は糸魚川産のヒスイだそうです。

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ちょっと気になる写真です。縄文時代の土器ですが、豊穣のシンボルとして描かれたのでしょうか。
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これは銅矛です。矛だということは、福岡平野とのつながりを示すのでしょうか。
有明海から白川を遡るとしたら、この銅矛が奉納された鳥子あたりが船着き場でしょうね。ここより上流は、速瀬と石が多くて舟での遡上には難渋するでしょう。その先数キロの立野では滝と絶壁でもちろんストップです。古代には白川を大津まで舟で来て、鳥子を通って桑鶴地区、俵山峠を越えて阿蘇谷に入ったのでしょう。古道が残っています。
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銅矛が奉納されていた鳥子の三之宮神社です。一之宮・二之宮・三之宮と、ご祭神によって神社の呼び名がちがうのです。
村史に「旧石器遺跡分布図」が掲載されていました。
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私たちが拾った遺物は上の赤丸の中に限られます。今更驚かされるのは、こんな狭い範囲にこれだけ大量に落ちているということです。もちろんトラクターで撹拌されなかったのでしょう。
ただ、父が地域の人から譲られたものも交じっているのですが。
下の写真は、村史に有る旧石器の細石刃です。貴重な黒曜石を小さく欠いて最大限に生かしたのだそうです。
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更に、下の写真は縄文時代の石匙です。小さなつまみには糸(紐)をつけて、首から下げて持ち歩いたそうです。動物の皮を剥ぐための道具だとききました。
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こんなミステリアスな西原村ですが、大断層の上に在るのです。今回の被害もその故に起こりました。布田川断層は怖いと思ってはいましたが、まさか実家が全壊になるとは思いませんでした。
傾いた家を起こし、屋根をなおし、石垣をなおし、床を張り替え、配水管をなおし、でもほとんどの家具や小物は捨てました。それでも、残された考古の遺物達です。
西原村に長く住んでいたこれら・古代の語り部を捨てるわけにはいかなかったのです。

将に西原村は古代人が現代に残したタイムカプセルです。
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流れ去った水は戻りません。そうして常に新しくなっていくのでしょう。
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最近紹介した石斧や石鏃やトロトロなどの考古資料は、阿蘇の外輪山の俵山の西麓に広がる西原村の特定の地域で拾ったものです。上の写真の中央の山(山頂が二重に見える)が俵山です。現在、阿蘇に入る俵山越えの道とトンネルがあります。
(熊本空港から南阿蘇に入るには、俵山トンネルを使ったが早いのです。俵山にも地震の爪痕が残ります。大雨が降ったらどうなるのでしょう。)

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付け加えです

これらは拾われたものですから(表採という。地層からの発掘品ではないので)、考古学的な価値はないそうです。私たち家族はもったいないと思ったのですが、今日までどうにもならなかったのでした。
しかし、拾った場所が特定しているのは大切だということで、石斧を見ていただくことになりました。
そう云って下さったのは、福岡市埋蔵文化財センターの先生でした。
良かった、の一言です。
西原にはこんなに落ちているのですから、発掘すれば他にも分かることがあるでしょうね。でも、発掘なんてお願いしているのではありません。そんなことは望んでいません。
手元の石や土器が捨てられないで済むようにと、それが何よりの願いなのです。




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by tizudesiru | 2017-09-01 20:15 | 278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル | Trackback | Comments(0)

黒曜石・白滝の赤と腰岳の黒

黒曜石北海道白滝の赤と九州腰岳の黒
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これは白滝の黒曜石です。十五年以上前に白滝を訪ねましたが、その時拾ったものです。
白滝(赤石山)は湧別川の上流に有るので、その河口のオホーツク海の海岸で拾えるのです。

湧別川の河の中には誰もが拾ったのでしょう。黒曜石はありませんでした。それならと思って、河原の氾濫原を探してみました。そこに落ちていました。でも、その石は上の写真のものではありません。河原で拾ったものは、川に流されて風化しているので、すりガラスのようになってガラス質の特色は見られません。

近くで北海道大学の発掘あっていて、見学がてらお話を聞きました。そこで黒曜石で石器を試作されていて、ナイフや槍先ができていました。外に出ると、素材の黒曜石が砕かれてプレハブの前に捨ててありました。
「分けてもらってもいいですか?」と、恐る恐る尋ねると「どうぞ!」といわれました。
嬉しかったのですが、一掬いだけいただきました。
たくさんあったのですが、さすがに遠慮してしまいました。

白滝の黒曜石は赤いのです。その中にマダラの黒が入っています。T大学のY教授から大きな白滝産の黒曜石を父がいただいていたので、それ以上は必要なかったのですが、わたしは拾ってしまいました。
今になって、この石は何処へ行ったらいいのか、迷っていることでしょう。
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こちらは九州の黒曜石、一番の産地は伊万里の腰岳です。これは道路のアスファルトの下敷きになりそうだったのを拾いました。伊万里にはたくさんあるのでしょうか。開いた道路にたくさん落ちていてもそのままにローラーをかけてアスファルト道路にするのです。

父が元気な頃でしたが、伊万里に出かけて道路工事に出くわして黒曜石の末路を見てしまったのでした。残念に思って、たまたま日曜日で工事があってなかったので、家族で拾いました。


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これは、25年前の甥の夏休みの自由研究です。この中にトロトロとよばれる珍しい石鏃があるのですが、分かりますか。
それは、鏃であってヤジリではない、祭祀に使われたのではないかという石器です。この時点で、日本には百五十数個しか登録されていないという貴重品です。
甥は西原村の父の住まいの近所の土手のようなところで拾いました。実は、父もそこで旧石器の台形石器を拾っています。
それは、博物館かどこかに預けたそうです。
さて、トロトロですが、4番ではないでしょうか
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決して鏃の役目はできないが、鏃のかたちをしているというものです。
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大きな発見につながるのは、子供の目と直感なのでしょうか。
なかなかのコレクションですね。

黒曜石は、大変魅力的な石です。

それから、とても大事なことを忘れていました。

黒曜石は大事な考古学の資料ですから、いらなくなっても何処にでも捨ててはなりません。
燃えないゴミとしてごみ処理する以外にないのです。
空き地などに捨てると、後々考古学的資料になってしまうからです。私も黒曜石などを人にあげる時は「決して、捨てないで。いらなくなったら燃えないゴミとして処分して」といいます。
何より処理できないものを、最近は拾わなくなりました。
国東の姫島の黒曜石が港(姫島)の周囲に落ちていましたが、一つも拾わずに帰りました。
石はその生れた場所にいるのがいいと思うようになったのです。遅いけど。


石達が嫁入り先で平安に過ごせるように祈ります。


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by tizudesiru | 2017-08-29 22:36 | 278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル | Trackback | Comments(0)

さらば愛しき小物たち

旧石器時代からの遺物が

落ちていた村・遺跡の村


約五十年前、西原村の山を買って父母が家を建てました。
その時、ブルトーザーで開いた土地に土器や石器がありました。
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わが庭から出た二つの石斧です。左は蛇紋岩で、右は火成岩で作られています。

父母の家は遺跡の上に建ったのです。それから、我が家は遺物拾いに目覚めました。ちょうど辺りには家も少なく平たい所は畑で田圃はありませんでした。山野を歩けば様々な土器・石器が落ちていました。

特に雨上がりは表面の土が流されていたので土器も石器もはっきりと姿を見せています。

仕事が休みになると父母の家に遊びに行って辺りを歩きました。月に一度くらいの訪問ですから、遺物は適度の雨に洗われて次々に姿を現すのです。

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チャート、サヌカイト(?)、黒曜石と材質もさまざま。石匙、石鏃、スクレーパーと種類もさまざま。
父と母、妹たち、孫たちが月に一つか二つ拾うことができました。


気が付いてみると、たいへんなコレクションになっていました。

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ほとんどはガラクタでしょうか。

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これは島根県の玉です。
右は二十年前に拾いました。
海岸で海を見ていたら、砂浜に変わった石が落ちていました。何か分からないので、拾って「石を加工販売している店」に行って「これは何でしょう」と尋ねました。

店主は少し沈黙した後、「玉」と教えてくれました。私が見つけたのは、玉だったのです。
私はすぐに父にこの石を送りました。思い出の深い石です。

十二年前、ふたたび島根に行きました。出雲から日御碕までドライブして、玉作温泉に立ち寄りました。
左のつるりとした石は、その時拾った島根の玉です。これは、玉作温泉の温泉川で拾いました。

お湯から上がって川の畔を歩いていました。浅い川の水は淀んでいて、温泉水が流れ込んだのか少し濁っていました。ふっと見ると、まわりとは違った色の石が水に沈んでいます。

玉かも知れないとは思いましたが、川水が汚れているので手を入れるのは嫌でした。しかし、拾わずに帰ったら後悔するだろうと思って、思い切って拾いました。

誰が見ても玉だと分かるものですね。これを見せたい父は既に亡くなっていたので、仏壇に置きました。
島根の二つの玉は懐かしい、思いでの品です。

思い出をありがとう

この思い出深い石達とサヨナラしようと思っているところです。妹たちとも話し合ったのですが、このまま手元に置いていても、やがては出自のわからないガラクタになることでしょう。

その前に、嫁に出そうということになりました。
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そのうち土器も紹介しましょう、縄文土器ですが。そのときは全て私の傍にはないかも知れません。



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by tizudesiru | 2017-08-26 23:05 | 278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル | Trackback | Comments(0)


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
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232岩戸山古墳の歴史資料館
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235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
261隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵善寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた

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