カテゴリ:269彷徨える大国主命( 2 )

大国主を追放したのは、何処の氏族?

権力者(為政者)が変われば

祭祀方法も祭神も変わる


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大国主命(八千矛神・オオナムチ)が彷徨うことになった理由は、政変

意外に考えられません。

為政者が変われば、墳墓の形も、シンボルの山も、祭祀する神も変わります。
次の為政者は先祖から伝わる葬儀をするでしょうし、崇める山も違って来るし、当然祭神も変わるのでしょう。

全国に浸透しつつあった大国主神が、出雲一局にて祀られるようになったのには理由があるはずです。北部九州・出雲・紀伊・関東で神祭りが変わるのは、いつでしょう。

大国主が出雲へ向かったのは、弥生時代の終わりころ?
普通の国主ではなく、「大」が付く国主となったのは何処で、いつなのか。

大国主命はオオナムチ・八千矛神とも言います。たくさんの矛(鉾)をシンボルとした神なのです。矛を祭祀に使った神祀りをしていたのは、北部九州の福岡平野が中心です。その中でも春日市から小郡市にかけての一帯、その辺りが中心地のようです。
弥生のコンビナート・須玖岡本周辺の古代工業地帯には、銅矛の鋳型が大量に出土しています。
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(福岡平野では、広形銅矛だけではなく、銅剣や銅戈の鋳型も出土しています)

弥生時代の終わりには大型青銅器の広形銅矛がなぜか埋納されるのです。
氏族の貴重品が突然埋められるのは、やはり異常です。

八千矛神は広形銅矛祭祀氏族が信仰した神と、わたしは思います。
その氏族かその一派が出雲へ向かったのではないでしょうか。
八千矛神は、出雲のスサノウの娘を嫡妻としたのです。

出雲の荒神谷に埋納された300本を超える銅剣は、彩杉文に研がれていました。その技術は九州のものだそうです。未だに銅剣製造の跡が見つからない出雲に三百五十余の銅剣が出土したのですから、誰かが九州から持ち込んだと思うのです。製造地がない限り、他には考えられません。
オオナムチは九州から移動し、出雲で大国主になったと思うのです。
その大国主は、広く九州・和歌山・関東の神となっていたのに、
突然「大国の主=権力者=祖先神」ではなくなったのです。それはいつなのでしょう。

それは、古墳時代の終わりだと思います。
前方後円墳ではなく、大型方墳の時代に代わったころ
、大国主の神祭りは傍系に移される運命になったと思います。

為政者の交替により、文化・人脈・祭祀・経済などに変化が起こるのですから。

地方にまで祭祀の変革・神社のご祭神の交替が求められたのは、大化改新後であり、大宝律令制定後ではないでしょうか。


大型方墳・蘇我系の大王
大型方墳が築かれるようになったのは、蘇我系大王の時代です。
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磯長の用明天皇陵(65m×60m)は方墳です。
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推古天皇陵(63m×55m)も方墳です。または、(59m×55m)

江戸時代に修復が行われています。

推古陵には「内に石棺二を安す」
という記録が残されています。
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(太子町竹内街道歴史資料館・「横領の谷・磯長谷古墳群」より)
推古陵も用明陵も大型方墳です。

この時代大王の墓の形が変わりました。
蘇我馬子の墓と言う石舞台も、蘇我稲目の墓という都塚古墳も方墳です。


ここで、気になるのは孝徳天皇陵は円墳(経32m)です。竹内街道歴史資料館の傍に有ります。ここは円墳だそうで…他の王陵と不釣り合いですね。
自らが出した薄葬礼に従って、小さな墳丘墓にされたと云うことでしょうか。
あの壮大な難波宮を造営した大王が…小さな墳丘…そうかもしれませんが。
わたしは孝徳天皇陵は近くに方墳としてある思うのですが…
余計なことかも知れませんが、その墓は未だに認められてないのでは…
私としては、確かに大型墳があたりにはあると思います。

蘇我系大王の方墳には家形石棺が置かれている

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都塚古墳(方墳)も、石舞台古墳(大型方墳)も、崇峻天皇墓ともいわれる赤坂天王山古墳(大型方墳)も、凝灰岩の家形石棺が置かれていました。氏族の葬送の共通性は十分にありますね。
家形石棺のルーツも、九州だと思うのです。
 
はい、今日は「広範囲の神とされていたはずの大国主命が、本貫を離れることになったのは何故か」を考えるのが目的でしたね。すっかり大型古墳に話が飛びましたね。戻りましょう。

八千矛神が何処で生まれたのかというと、九州でしょうね。
何が大きな転機があって、八千矛神は出雲に入り込んでいきました。大国主となった八千矛神は、関東にまでその勢力を伸ばしましたが、ある時、別の勢力にとってかわられた…
それが、大型方墳が現れる時期ではないかと、思うのです。
この大型方墳の勢力が明日香に入っていったと思います。

地名を見ても、太子町の辺りは「近つ飛鳥」というではありませんか
大阪府の南河内に蘇我系の勢力が入って来たのではないかと、わたしは思います。その勢力が奈良の明日香に進出したと。
なぜ奈良なのかですが、追われた氏族が隠れるのにいい土地ですね。山地で農地は狭いけれど薪の材料があり、炭焼きができたし、鉄の生産をするのに適していたと思います。経済力が何より重要ですよね。
また、ながくなりましたね。




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by tizudesiru | 2017-07-22 17:27 | 269彷徨える大国主命 | Comments(0)

269彷徨える大国主命と宗像君徳善

彷徨える大国主命宗像君徳善
さて、彷徨える大国主命の話の方へ移りましょう。
万葉集巻六「冬十一月、大伴坂上郎女、帥の家を発ちて道に上がりて、筑前の国宗形郡名兒山を越える時に作る歌一首」におおなむちの神が歌われています。

963 おほなむち すくなひこなのかみこそは 名付けそめけめ 名のみを 名兒山とおいて あがこふる 千重の一重も なぐさめなくに

むかし、おおなむちとスクナヒコナの神がはじめて名付けられたという「名兒山」だけど、わたしが都に置いて来た娘を恋しく思う心に比べれば、「なごやま(汝の兒の山だよ)」と聞いても、千重の一重も少しの慰めにもならない。

幾度か取り上げた万葉集の大伴坂上郎女の歌です。
このブログ「大国魂神社は、大化改新後に総社になった」でも取り上げました。

おおなむちの神が古代の筑紫・和歌山紀ノ川流域・関東の国土創造の神だったと、既に紹介しています。
では、おおなむちとスクナヒコナの神は、宗像氏の支配地域の神だったのでしょうか。支配神でなくては、山の名付け等できないはずです。
しかし、三女神を「宗形氏などが祀る」と書紀にも書かれています。万葉集とほぼ同時代に、同じ地域で神の名がずれているのです。
考えられるのは、同じ八世紀にご祭神が入れ替わったと云うことです。
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宗像氏は日本書紀に出てきますが、特に天武天皇の嬪となった宗像君徳善の娘・尼子娘は、高市皇子を生んだと書かれています。その宗像君徳善の墓が宮地嶽神社にある宮地嶽不動古墳とされていますが、徳善の墓ではないという説もありますね。
幾度もこのブログでも取り上げましたが、その古墳の所在する宮地嶽神社を再訪してみましょう。

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元のお社は階段を上り詰めたこの辺りに在りました。背面の山は神社のご神体山です。拝殿の大注連縄は、直系2.5m、重さ5t、日本一だということです。
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山門をくぐったこの境内で、毎年筑紫舞が(10月22日)奉納されます。
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特別の舞である「磯良の舞」が舞われた年もありました。安曇磯良は安曇氏の祖先神です。白装束で顔を隠して登場します。安曇氏は海神を祀っています。
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この宮地嶽神社のご祭神は三女神ではありません。また、宗像氏ともかかわりのないご祭神でもあります。
息長足比売命(神功皇后)

勝村大神(かつむらおおかみ)

勝頼大神(かつよりおおかみ)


神社の創建は1600年前とされ、1200年前に神功皇后が遷座されたと云うことです


ご遷座された日が10月22日と云うことで、御遷座記念祭が行われているのです。

平たく言えば、神功皇后は後の世に入って来られた神なのですね。

宮地嶽神社古墳は、相島(神社の正面の海に横たわる島)
の玄武岩で造られた巨石の横穴式石室の古墳です。

(日本で二番目に長い巨石の羨道をもっています)。

以上のことから、この神社の古墳が宗像君徳善の墓であると思いますか?
素人は、違うのではないかと疑ってしまいますね。
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このブログの『148光の道は弥生から』を見ていただくと、宮地嶽神社と古墳のことが分かるのではないかと思います。光の道で有名になった神社です。

さて、再度「彷徨える大国主命」の話の方へ移りましょう。

このブログ「大国魂神社は、大化改新後に総社になった」でも取り上げました。大国主は関東地方の神にもなっていたのだと。

おおなむちの神が古代の筑紫・和歌山紀ノ川流域・関東の国土創造の神
でした。
すると、おおなむちとスクナヒコナの神は、もとは古代宗像氏の支配地域の神だったのでしょう。(支配神でなくては、山河の名付け等できないからです)

永く神として祭られていた大国主(おおなむち)の神、しかし、歴史のどこかで主祭神ではなくなっていったようです。
おおなむち神は北部九州辺りの神だったのに、その後、何処に行かれたことになります。
古事記によると、おおなむち(大国主)は多くの妃との間に多くの子どもをもうけています。

須佐之男命の娘・須勢理毘賣(嫡妻)
八上比賣ーー木俣神
高志国の沼河比賣
宗像の奥津宮の多紀理比賣ーー阿遅鉏高日子根神(迦毛大御神)・高比賣(下照比賣)
神屋の楯比賣ーー事代主神
八島牟遅神の娘・鳥耳の神ーー鳥鳴海神(とりなるみ)


広範囲から妻を迎えていますね。出雲のスセリヒメ、越の国のヌナカワヒメ、宗像のタギリヒメなどなど、日本海ルートの国と深いつながりがあるのですね。そして、関東にまで手をのばしていた、ということです。

子孫も古事記で辿ってみましょう。
スセリ姫には子が書かれていません。スサノウの娘で、しかも嫡妻ですから、オオナムチ(大国主)が出雲に入るには、出雲の支配者の娘を娶る必要があったと云うことです。もしかしたら、スセリ姫は年齢が高くて子供が産めなかったのかも知れませんね。それでも、嫡妻にしなければならなかった…
この掟(慣習)は、古代国家にもその後にも受け継がれる「王権の条件」ですね。古代では、皇后には皇女でなければなれなかったのですから。


では、大国主の子孫たち、鳥鳴海神から続きます。
鳥鳴海神
と日名照額田毘道男伊許知邇神ーー国忍富神(くにおしとみ)
国忍富神と葦那陀迦神(八河江比賣)ーー速甕の多氣波夜遅奴美神
多氣波夜遅奴美神天の御仲主の娘・前玉比賣ーー甕主日子神(みかぬしひこ)
甕主日子と於加美神の娘・比那良志毘賣ーー多比理岐志麻流美神
多比理岐志麻流美神と比比羅木の其花麻豆美神の娘・活玉前玉比賣神ー美呂浪神
美呂浪神と敷山主神の娘・青沼馬沼押比賣ーー布忍富鳥鳴海神
布忍富鳥鳴海神と若盡女神ーー天日腹大科度美神
天日腹大科度美神と天の狭霧神の娘・遠津待根神ー遠津山岬多良斯神

おおなむちの神が妻を迎えた地域は、広範囲にわたりました。
途中から「天御中主神」が入ってきますね。甕(みか)・日子・天など九州に所縁の深い詞が子孫の名についています。九州の勢力が大国主の勢力に浸透していったと云うことでしょうか。
その後、オオナムチ神は摂社や境内社へと遷座されていったようです。または、名前を変えて…
時々、思わぬ場所で「大国主」が祭られている神社に出会います。
そんな小さな祠にも、村社の摂社にも、知られざる歴史の面白さを感じますね。
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(関東平野の最奥の筑波山とつくし池です。写真をお借りしました)
(古事記では、多岐理比賣がオオナムチの妻になっていますが、書紀には市杵嶋姫という一書もあります。また、宗像大社の辺津宮の女神でもあります。「宗形三女神のお仕事」で祭神はとりあげています)


今回も長くなりました。読みづらいでしょうね。
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by tizudesiru | 2017-07-20 11:20 | 269彷徨える大国主命 | Comments(0)


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202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
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204吉備真備の挫折と王朝の交替
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232岩戸山古墳の歴史資料館
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265消された饒速日の王権
266大宰府・宝満・沖ノ島
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272平群を詠んんだ倭建命
273大型甕棺の時代
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳

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