カテゴリ:239神籠石は消された?( 1 )

239神籠石は消されるのか

神籠石は何処へ消えた?!
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慣れ親しんだ神籠石系山城という歴史用語は、無くなるのでしょうか。確かに神籠石が世間に知られた時、高良大社の神域を囲む列石と古くから使われて来た「神籠石」という言葉が、混同して使われたので理解に混乱が生じたのでしょう。しかし、正史に登場する朝鮮式山城と区別するために、明治以来ずっと神籠石・神籠石系山城という用語が使われて来たのは事実です。しかし、何故か歴史学者の歯牙にはかかりませんでした。その存在を認めることは間違いでああるかのような意見は有りました。ほとんど地方(主に九州)の自治体が地域おこしのために時々使うマイナーな用語でもありました。もちろん、大野城や基肄城、鞠智城といった正史に残る山城のイベントとは比べられないほど小さなものだったと思います。
そのささやかな歴史さえも、突然、奪われようとしていると、わたしは思いました。つい一年前の山城シンポでさえ、若い研究者が馬鹿にした笑いで「僕は神籠石は大野城より新しいと思いますよ」と、これまた若い研究者仲間に喋り掛けているのを見ました。そばを通り抜ける時、「ああ、やはり神籠石について考えてくれる人はいないのかな。九州になんで神籠石が集中するのか、少しは考えてほしいな」と、非常に残念に思いました。しかし、一転、「古代山城」という一語で、朝鮮式山城も神籠石もひとくくりにされてしまったのです。いつの間に? 何があったというのでしょう。分けて考えて来たのではありませんか、今までは。なぜ、急に変わったのでしょう。それも、近畿政権の建造物だったとは、仰天の展開ですよ。つい昨年まで、下の画像のように、朝鮮式山城と神籠石系山城は分けて示されていました。資料は、山城シンポジウムだったと思います。
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列石と版築を持つ神籠石系山城は九州から瀬戸内に分布します。それも絶妙な位置に置かれているのです。例えば、おつぼ山神籠石、帯隈山(おぶくまやま)神籠石、御所ヶ谷神籠石は一本の直線で結ぶことができます。その山城の高所にピンを立て直線で結べばいいのです。誰にでもできます。
驚いたのは、この直線がほぼ夏至の日の出のラインだったからです。
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夏至の日の出は、冬至の日没のラインでもあります。東西のラインは春分秋分の日の出・日の入りのラインではありませんか。南北のラインは、太陽が毎日南中するラインです。そこに、神籠石系山城があるのは、非常に驚きでした。これは、自著「太宰府宝満沖ノ島」でも取り上げたと思います。
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これらの神籠石に共通する列石を見てみましょう。
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雷山神籠石の列石。番号は昨年の講座(市民センターであった)で、わたしが使ったスライドの番号です。写真の日付けは、撮影に行った2013年です。写真を撮るには冬がいいかなと思います。ただ、一人で行くのは危険だと思います。
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杷木神籠石の列石は、江戸時代に筑後川の工事に使われたらしくほとんど抜き取られています。大石堰は五庄屋の伝承と共に大変な工事だったようです。古墳の石室も壊されたとか…
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鹿毛馬(かけのうま)は歩きやすく、40分ほどで列石を一周できます。列石はほとんど残されています。

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御所ケ谷神籠石は、様々な時代がごちゃ混ぜに盛り込まれた神籠石です。途中で工事の変更もあったとか…

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女山(ぞやま)神籠石には切り欠き溝がはっきりと残っています。

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高良山神籠石が、神籠石という用語の発祥の地です。列石は高良大社(延喜式内社・筑後国一宮)の神域にほぼ重なるそうです。

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阿志岐神籠石(阿志岐古代山城)の列石は、二段に積まれている場所があります。丁寧に敷石もしかれています。急斜面を列石が滑り落ちないようにしているのでしょう。もちろん、一段の列石もあります。
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唐原神籠石は見学できませんでした。ここは列石が抜き取られた跡が残っていました。抜き取られた石が中津城の石垣に転用されているということでした。


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列石の共通点は見つかりましたか。いずれも切り石でした。切り欠き溝がありましたね。版築のための木材を据えるて見のものだそうです。
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雷山神籠石の説明板によると、切り欠き溝が彫られた理由が分かります。下は、御所ヶ谷神籠石の報告書の中の説明図です。イラストををデジカメで撮りました。
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次は、水門をみましょう。
また明日。




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by tizudesiru | 2017-04-08 00:23 | 239神籠石は消された? | Comments(0)


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