カテゴリ:206古墳散歩・唐津湾( 2 )

207 唐津で不思議な話

207 唐津の神社見学の帰りにご一緒した婦人に不思議な話を聞きました。
田島神社を見ての帰りでした。
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西九州自動車道で糸島を通過する時、その人は「糸島市の高祖神社に参拝したのは、夢の中で指示されたからだった」というのです。高祖のバス停の文字が浮かんできて、高祖と書いて「たかす」と読むことも夢で教えられたとか…へえ、それはスゴイと思いました。
「たかそ神社」とキーボードには打ち込みますが、土地の人は「たかす」と呼びます。
高祖神社に参拝することで様々な出会いがあり、家族の難病が治ったとか。自分の先祖に関わる神社や寺との交わりとか、驚くばかりでした。
最後に、鏡山(唐津)の話になって、「藤原広嗣が反乱に失敗して、五島に逃げたけれど風に押し戻されて、唐津で斬られたんですよね。鏡神社は広嗣を祀っているんです。」と私が言うと、その人は「え、広嗣を御存知ですか?」と驚かれました。
「私は広嗣のことは何も知りませんでした。実在の人物だと知って驚いたのです。そろそろ首と体を合わせる時が来た」と夢で指示があったというのです。
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奥の水平線は唐津湾、台形の島は神集(かしわ)島、右の奥の緑が鏡山。山頂に鏡神社があります。藤原広嗣は唐津の海岸で斬られたというのですが、更に、その人は言いました。
「そろそろ首と体を合わせる時が来たという指示があったので、唐津の宏嗣を祀る神社の宮司さんに話して理解してもらい、体と首を合わせるために五島に行った」そうです。
首は五島にあるというのです。
五島に向かっている時、友人から電話があり「頭が痛くてたまらないが、どうしたらいいか」と聞かれたので、「今、五島に向かっているが、首と体が合ったら頭の痛みはとれると思うから、治ったら電話ください」と応えたそうです。
それから、五島の神社の宮司さんに祀りをしてもらって、やがて頭の痛かった友人から電話があって「治った」ということだったそうです。不思議な話でした。
広嗣と言えば、首が都に飛んで行ったとか、玄昉が広嗣の祟りで死亡したとか、怪しげな話の主役です。その首が五島にある?
その人の話は確かに不思議ですが、実際に五島にまで行って神主に神事をしてもらっているんですから、思い込みでは無いようです。
確かに、広嗣は刑死していますが、斬られたのは唐津なのに首は五島とはどういう意味でしょうね。続日本紀の広嗣の乱の記述は、なんだか変です。朝廷の命令の前に広嗣は斬られているようですし、藤原氏族内の権力争いに広嗣は巻き込まれたのかも知れませんね。
「その話、ブログに載せてもいいですか?」と聞いたら「いいですよ」と答えられたので、こうしてあらましを書きました。
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不思議な話もあるものですね。


また、明日。



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by tizudesiru | 2017-02-01 20:59 | 206古墳散歩・唐津湾 | Comments(0)

206松浦川のほとりを歩く

206唐津で黒曜石と桜貝を拾う
唐津に行くと、必ず松浦川のほとりを歩いていました。そして、虹の松原のレストランで食事をする…松の香りが素晴らしい松原ですよ。
今は護岸工事をやってしまってるので、なかなか拾えませんが、十数年も前には、松浦川の岸辺で黒曜石の欠片をいろいろ拾えました。スクレイパーも、石鏃も落ちていました。土手が雨にあらわれて、ガラスのようにぽつぽつ地表に落ちていたのです。
海岸では紅色の蝶貝と、薄いピンクの忘れ貝を拾いましたね。今も小瓶に詰めていますが…
さて、松浦川のほとりに三世紀後半の古墳があります。最近は、四世紀初めと書き換えてありますが。確かに、四世紀初めとされる一貴山銚子塚(糸島市)より古いタイプの前方後円墳です。だから、三世紀後半でも構わないと思うのですが。
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何度も紹介していますが、久里双水古墳のど真ん中を通る主軸線が真っ直ぐ延びると、浮嶽に届き一貴山銚子塚に届き、志賀島と向き合う毘沙門山に届きます。
二〇〇七年に取った久里双水古墳の墳頂から浮嶽を取った写真です。古墳の主軸線がまっすぐ浮嶽に延びていたので驚きました。

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ここには、後漢の盤龍鏡が副葬されていました。
この古墳は、全長108m(後円部62m)の地山を削り出した上に盛り土をしています。竪穴式の石槨に舟形木棺があった可能性があるそうです。
周りには縄文時代からの遺跡や、弥生王墓と思われる遺跡があり、唐津の菜畑遺跡には早期の水田跡が発見されています。
糸島地方の一貴山銚子塚(いきさんちょうしつか)古墳には、後漢鏡と金メッキの後漢鏡と足元に三角縁神獣鏡・鉄製素環頭大刀(3)、直刀(3)、短刀(1)、剣形槍身(14)硬玉製勾玉(2)碧玉製管玉(33)が副葬されていましたから、久里双水古墳よりは新しいでしょうね。一貴山銚子塚古墳は103mの柄鏡形の前方後円墳です。一貴山は未盗掘の古墳でしたから、竪穴式石室の中にどのような副葬品がどのように置かれたかを知る手がかりとなりました。

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その浮嶽から志賀島の志賀海神社にオレンジのラインがつながっています。このラインには、一貴山銚子塚古墳と釜塚古墳が乗っています。このラインは、釜塚古墳のど真ん中を通って行きます。そして、延喜式内社の9志賀海神社に当たります。
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一貴山はラインが集まる最重要古墳ですが。
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今日は一貴山には行きませんでした。
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参拝したのは、湊疫神社です。
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神集島(かしわじま)に渡る港にある神社です。
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肥前鳥居がありました。
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次に田島神社に行きました。宗像三女神と大山祇と稚武王を祀ります。
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神社の裏には磐座があります。
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この田島神社が宗像市の田島にある宗像大社の元宮だという話も聞きました。
なかなかおもしろいですね。
神の集まる神集島も、そこにわたる港もある。
なるほどですね。



今日は、少し息抜きでした。
また明日





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by tizudesiru | 2017-01-29 21:07 | 206古墳散歩・唐津湾 | Comments(0)


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