カテゴリ:204和気王の謀反( 1 )

204淳仁天皇の甥・和気王の謀反

204政変の果てに


藤原仲麻呂のの反乱で、藤原氏の氏族内の権力争いが決着したのではありません。まだ、聖武天皇と犬養広刀自との間に生まれた三人の子どもたちが残っています。称徳天皇には後継者はいませんから、誰が次の玉座に昇るのか、都には噂ばかりではなく呪詛も充満したことでしょう。

天武系の王子達も、密かな期待を持ちました。
和気王も舎人皇子の孫であり、淳仁天皇の甥であることから皇位を望んだようです。

a0237545_23170684.png
天平宝字八年(764)仲麻呂の乱は鎮圧されました。
和気王は淳仁天皇の甥でしたが、臣籍降下していました。
舎人親王に崇道盡敬皇帝の尊号が追贈されると、和気王は皇籍に戻っています。

淳仁天皇としては舎人親王に「天皇」と追贈したかったのですがかなわなかったのです。天皇と皇帝では、意味が違ったということです。

祖父の舎人親王の歌は万葉集に三首残されています。
万葉集の時代には、叙景歌はほとんどないとされます。純粋に景色や風景のみを詠むことはないのです。詞の中に意味があり、出来事や神事が詠みこまれて叙事詩となっているのです。すると、舎人親王の歌も、ただの叙景詩ではありませんね。

1706 黒玉の夜霧ぞ立てる衣手の高屋の上にたなびくまでに

この歌は、「右、柿本朝臣人麻呂の歌集に所出」と書かれた歌群(1682~1709)の中にあります。1704と1705は、人麻呂が舎人皇子に献じたものです。次が、1706で舎人皇子の歌と続いています。

    
「舎人皇子に献ずる歌二首」
1704 
ふさ手折り多武の山霧繁みかも細川の瀬に波の騒げる
1705 
冬こもり春へを恋ひて植えし木の実になる時を片待つ吾ぞ
人麻呂は舎人皇子に何を伝えようとしているのでしょうね。

1704 
木の枝をためるという「たむ」と同じ多武の山の霧が深いからだろうか、細川の瀬の波が立ち激しい音を立てている。
1705 
冬の間に春になったらと期待して植えた木に、花が咲いて実がなる時をただ待ち続ける私なのだ。
多武の峯には藤原氏ゆかりの談山神社があります。多武山は藤原氏を意味しているのでしょう。藤原氏の権力への欲望はその山霧のように深く、細い山川は瀬の音高く事件が起こりそうだと騒いでいる、とでも読めそうです。

更に、まるで冬のような時に何をしてもうまくいかない、春になったらと期待して実のなる木を植えておいて、花が咲いて実になるまでただひたすら待ち続ける以外に道はない、それが生き残る道なのだから、と人麻呂が伝えていると読めませんか。

そうして、次に舎人皇子の1706の歌です。
1706 ぬばたまのように黒い夜の暗闇に霧が立ち込め、高い館の上までも包みたなびいている。こんなに夜霧が深ければ、私には何も見えないし、何もすることはできない。
舎人皇子は、自分の置かれた状況を冷静にしかも正確に把握していたのでしょう。
しかし、子の淳仁天皇も孫の和気王も的確な判断ができなかったのか、または藤原氏の方が一枚上手だったのか。
哀しい結果となりました。

a0237545_11385332.png
a0237545_21283782.png
また、明日






[PR]
by tizudesiru | 2017-01-25 00:59 | 204和気王の謀反 | Comments(0)


地図で分かる生活と歴史


by tizudesiru

プロフィールを見る
画像一覧

最新の記事

柿本朝臣人麻呂と玉津島
at 2017-04-22 21:21
玉津島神社の春・衣通姫の歌
at 2017-04-17 13:56
紀伊国・玉津島神社の春
at 2017-04-16 00:42
241神籠石と古墳の石組みの技術
at 2017-04-09 23:59
240神籠石の水門の技術は共..
at 2017-04-08 10:42
239神籠石は消されるのか
at 2017-04-08 00:23
240藤原鎌足の墓は何処か
at 2017-04-07 20:54
238米原長者伝説の鞠智城
at 2017-03-12 22:12
237パルメット文様は何処から?
at 2017-03-08 17:32
236藤ノ木古墳の築造時期の謎
at 2017-03-07 22:09
235 基肄城の水門石組
at 2017-03-06 11:27
234 小郡官衙の見学会
at 2017-03-05 21:53
233 耳飾のルーツは何処?
at 2017-03-04 21:55
232岩戸山歴史資料館の新館..
at 2017-03-03 12:05
231雷山神籠石は国家的事業..
at 2017-03-01 11:17
229 残された上岩田遺跡
at 2017-03-01 00:55
228 古代山城の瓦
at 2017-02-26 23:05
227 大野城から神山を遥..
at 2017-02-24 22:22
226 基肄城の不思議
at 2017-02-23 21:57
225 鞠智城の八角形鼓楼
at 2017-02-23 01:04

記事ランキング

カテゴリ

全体
初めての地図旅
地図のたのしみ
1大宰府の位置
2竹原古墳
3間夫という山
4筥崎八幡宮
5弥生王墓・吉武高木・須玖岡本
6平原王墓ラインから分かること
7八女丘陵の古墳のライン
8高良玉垂命の目的
9渡神山から英彦山へ
10雷山
11羽白熊鷲と脊振山
12羽白熊鷲と古処山
13九千部山と香椎宮
14国守りの山は何処に?
15神籠石が教えてくれる古代
16六世紀の都
17神功皇后伝説の空白地
18太宰府と大保と大分
19畿内に近い豪族たち
20大倭とは何か
21七世紀の政変と天智天皇
22天智天皇の十年間
23日本書紀の中の日本
24唐書から見た倭国と日本国
25/26文林朗裴清が見た倭王
27倭の五王の行方
28倭国の空白
29筑紫城の最後
30山岳の名と歴史や文化
31国内最古の暦が刻まれた太刀
32阿蘇山と高良・高千穂
33筑紫舞(宮地嶽神社)
34志賀海神社の山ほめ祭
35栂尾神楽(宮崎県椎葉)
36神籠石から分かること(1)
37神籠石から分かること(2)
38神籠石からわかること(3)
39神籠石から分かること(4)
40神籠石から分かること(5)
41神籠石から分かること(6)
42愛宕山が見た早良国の光芒
43古代の宮殿は何処に?(1)
44江田船山と筑紫君磐井
45筥崎宮から見た太宰府天満宮
46高千穂の峰から阿蘇へ
47雲仙が守った首長は、何処
48神籠石の謎解き
49宮地岳(阿志岐)古代山城
50醍醐天皇の都の守り
51十世紀の国守り
52淡路国伊弉諾神社
53空海の霊力
54出雲大社と熊野本宮大社
55大山古墳の謎
56天智天皇陵墓と天武天皇陵墓
57宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ
58石上神宮の視線
59続石上神宮の視線
60藤原京の守り
61高松塚古墳の被葬者
62石舞台古墳と藤原宮
63あおによし奈良の都は
64続・あおによし奈良の都は
65継体天皇陵墓のラインを読む
66崇俊天皇の真実とは
67石城山神籠石ライン
68式内社の偏りの意味
69最北の式内社・大物忌神社
70陸奥国の式内社
71尾張国の式内社
72紀伊国の式内社
73近江国の式内社
74但馬国の式内社の秘密??
75筥崎宮の「敵国降伏」その1
76筥崎宮の「敵国降伏」その2
77筥崎宮の「敵国降伏」その3
78筥崎宮の「敵国降伏」その4
79孝徳天皇の難波宮
80倭女王墓を教える香椎宮
81ブログのスタートに還る
82再度神籠石へ
83悲劇の好字
84船原3号墳の馬具
85飯盛山&こうやの宮
86奈良の長谷観音
87福岡の長谷観音
89古墳のライン
90筥崎宮百八回目の神事
91 薦神社の不思議
92薦神社の不思議2
93金富神社と鉾立山
94 金富神社と鉾立山 2
95 金富神社と鉾立山3
96宇佐神宮と北部九州
97宇佐神宮と北部九州・2
未分類
98北部九州のミステリー
99北部九州のミステリー2
101宇佐神宮と九州の神々
100日知王の山々
219法起寺式伽藍
207中大兄とは何者か
149有間皇子を愛した間人皇后
102安心院の二女神社
103安心院の妻垣神社
104安心院の佐田神社
105大富神社と和気清磨と
106宮地嶽不動古墳
106宮地嶽古墳と石塚山古墳
107寄り道・邪馬台国
108ふたたび香椎宮
109倭国王の侵略
110瀬戸内の神籠石再び
111京都の守り・再び
112都を守る天皇陵
113神となった斉明天皇
114天武朝の都の守り
115こんにちは万葉集
116大王は神にしませば
117太宰府・宝満・沖ノ島
118石人山古墳と王塚古墳
119基山とは何か
120九州国博「美の国・日本」
121博物館の『金印祭り』
122宮地嶽神社の筑紫舞
123寿命大塚古墳の被葬者
124宇佐神宮の呉橋を渡る
125「新・奴国展」博物館の諦め
126邪馬台国から倭国へ
127倭国を滅ぼした?国
128倭国の墓制
129?国の墓制・巨石横穴墓
130素材が語る古代Ⅰ
131素材が語る古代Ⅱ
132箸墓は卑弥呼の墓ではない
133ホケノ山古墳
134邪馬台国シンポ・久留米
135阿蘇ピンク石の井寺古墳
136古代の土器焼成
137方保田東原遺跡の庄内式土器
138武士の祭祀線・徳川と足利
139大祖神社と志登神社に初詣
140猫大明神のネコとは
141熊本大震災
142光の道は祭祀線
143大汝小彦名の神こそは
144紀伊國に有間皇子の跡を訪ねて
145和歌山と九州の古墳
146有間皇子の墓は岩内1号墳か
147糸島高校博物館
148光の道は弥生時代から
150草壁皇子を偲ぶ阿閇皇女
151有間皇子を偲ぶ歌
152有間皇子の霊魂に別れの儀式
153有間皇子の終焉の地を訪ねた太上天皇
154 有間皇子は無実だった
155持統帝の紀伊国行幸の最終歌
156人麻呂は女帝のために生きた
157持統帝の霊魂に再会した人麻呂
158草壁皇子の形見の地・阿騎野
159草壁皇子の薨去の事情
160大津皇子の流涕して作る御歌
161天武朝の女性たちの悲劇
163持統天皇の最後の願い
164持統天皇との約束・人麻呂ことあげ
144有間皇子事件の目撃者
165天武大地震(筑紫大地震)678年
166高市皇子と高松塚古墳
167持統帝の孫・文武天皇の仕事
168額田王は天智天皇を愛し続けた
169額田王の恋歌と素顔
170額田王が建立した粟原寺
171額田王の歌の紹介
172糸島の神社
173但馬皇女の恋歌
174高市皇子の死の真相
175草壁皇子の挽歌
176大化改新後の年表
177持統帝と天武帝の絆の深さ?
熊本地震・南阿蘇への道
178天武帝の霊魂は伊勢へ
179天武帝と持統帝の溝
180天智天皇と藤原鎌足
181藤原不比等とは何者か(1)
181藤原不比等とは何者か(2)
181藤原不比等とは何者か(3)
182鎮魂の歌集・初期万葉集
183元明天皇の愛と苦悩
184氷高内親王の孤独
185長屋王(高市皇子の長子)の悲劇
186 聖武天皇の不運と不幸
187難波宮を寿ぐ歌
188孝徳帝の難波宮を寿ぐ
189間人皇后の愛と悲劇
191間人皇后の難波宮脱出
192有間皇子と間人皇后の物語
192軽太郎女皇女の歌
193人麻呂編集の万葉集
194万葉集は倭国の歌
195聖武天皇と元正天皇の約束
196玄昉の墓は沈黙する
197光明子の苦悩と懺悔
198光明皇后の不幸と不運
199光明皇后の深い憂鬱
200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独
201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 古代山城・鞠智城
226古代山城・基肄城
227 古代山城・大野城
228古代山城の瓦
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の資料館
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
239藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島

画像一覧

以前の記事

2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2014年 07月
2013年 10月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 05月
2013年 02月
2012年 11月
2012年 09月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月

タグ

フォロー中のブログ

絵本ぶろぐ

検索

メモ帳

その他のジャンル

外部リンク

ファン

ブログジャンル

歴史