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198光明皇后の不幸と不運

198光明皇后の不運と不幸

当時の女性たちの中で最高の権力と財力を手にしたのは、光明皇后でした。

しかし、不運で不幸な女性でもありました。もちろん、聖武天皇の皇后になったからです。

権力が光明子を不幸にしたのです。

光明子は生まれた時から聖武天皇((おびと)皇子)の妃となるべく育てられました。母譲りの気丈な女性だったようで、聖武天皇に尽くすことが藤原の娘としての自分の使命だと確信していたようです。

しかし、(もとい)王(728没)の他に男子をもうけることはできず、女子の阿倍(あへの)内親王(ひめみこ)を皇太子にする(738年)ほかは有りませんでした。母として、それでよかったのでしょうか。阿倍内親王が立太子されたのは二十一歳の女盛りです。過酷な判断だったのではないでしょうか。

この時、光明子は三十八歳、基王を生んだ時の光明子は二十七歳でしたが。十年間子供に恵まれなかったのです。

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長屋王の事件以来、光明皇后はふさぎ気味だったでしょう。
あの日、

天平元年(729)、長屋王の事件は世間を揺るがせました。

世間では長屋王への同情が広がりました。「長屋王は無罪だったのに」と。

噂を鎮めるための勅には「長屋王は悪人だったから除かれ滅ぼされたのだ。衆は三人以上集まって話をしてはならない」と書かれました。

異端を学んだ者、勅禁を破る者、呪詛をする者は罰する」という勅も出ました。(呪詛は大流行していたのです。)

天平二年(730)、光明皇后は興福寺の五重塔を建てたりしましたが、男子を授かることはありませんでした。それは、長屋王の怨霊でしょうか。世間は様々に取りざたしたでしょう。

長屋王の館は官に没収され、光明皇后のものとなりました。これを世間はどう思ったでしょう。皇后は平城宮に隣接する長屋王の住居跡が欲しかったのではないか… そこに、皇后となった藤原夫人は、「皇后宮職」を新設していました。

そこに、疫病の流行でした。


天平九年(737)、大宰府に疱瘡が流行し、たちまち都に伝染しました。そのため、藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麿)が揃って疫病で没しました。まるで天罰。世間はそう思ったでしょう。

この年、遣唐使の玄昉が持ち帰っていた経論を皇后宮職で写経させました。皇后が仏教にすがったのは無理からぬことでした。そして、

天平十年(738)、阿倍内親王の立太子。四兄弟が没した以上、どうしても政権の安定を図らねばなりませんでした。

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天平十二年(740)

そんな時に、藤原広嗣の乱は起こりました。広嗣は大宰府に左遷されたと、不満を感じていました。それを上表文にしたためました。そして、

弟と九州の兵を使って都に攻め上がろうとしますが、失敗しました。

天皇を誹謗することは、それだけで大罪でした。極刑となります。

広嗣は上表文を出した時点で大罪を犯していました。

彼は都からの「光明皇后と玄昉のよからぬ噂」に、怒り心頭だったようです。

しかし、噂です。噂で兵をあげるなど、考えられない事でした。このように、実際に兵を動かした大罪は、この時代には藤原氏だけがおかしました。(他の謀反事件は密告などで露見し、兵など動かしてはいません)

藤原四兄弟の没後に「広嗣の乱」。怨霊の仕業でしょうか。

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大仏鋳造の発願の詔が出されたのは、光明皇后が一番苦しい時でした。光明皇后は仲麻呂を優遇します。(が、光明皇后没後、4年で仲麻呂も乱を起こし斬られました。この時代、二度も藤原氏は乱を起こしました。)
更に、犬養三千代の子であり、兄であった橘諸兄が没すると、甥の橘奈良麻呂は謀反で断罪されました。光明子は、長屋王事件・橘奈良麻呂事件・藤原広嗣の乱と、苦しめられました。

光明子の不運と不幸の遠因は、「皇后」だったからです。

聖武天皇の皇后だったからです。

聖武天皇の崩御後に天皇遺愛の品を正倉院に納めたのは、光明皇后です。

その宝物は寺によって守られ今日まで伝わりました。

「正倉院展」は、毎年大盛況です。宝物の豊富さと豪華さ技術の高さなどに毎回驚かされました。そして、この天皇だけ、何故このように遺愛の品が残されたのかと不思議に思います。他の天皇の私物はほとんど残されなかったのに。


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考えてみると、遺愛の品は「開かずの倉庫」に納められました。

皇后としての苦痛の年月を思い出す品々を、光明皇后は見たくなかった、見るのが辛かった、二度と目に触れないものとしたかったと、思うのです。

それは、封印。それは、聖武天皇への決別だったのかも知れません。

そして、権力によって大事なものを失ったことの後悔でしょうか。

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また明日




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by tizudesiru | 2017-01-12 22:18 | 198光明皇后の不幸と不運 | Trackback | Comments(0)


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