カテゴリ:189間人皇后の愛と悲劇( 2 )

190間人皇后の愛と悲劇(2)

190間人皇后の恋

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なぜ、間人(はしひと)皇后(こう)(とく)ったしょう

書紀によると、孝徳帝は皇后に歌を送って言われました。

金木(かなき)()(こま)()()吾が人見(ひとみ)

あれほど大事に後宮の奥深くに置いて人目に触れないようにしていたのに、貴女を人が見たというのか(誰かがあなたに手を出したというのか、その事で貴女は後宮を去ったのか)

「見る」という行為は、万葉集の時代「眺める」ではないのです。皇后が誰かを愛したのではないかと、後宮であってはならないことを問いかけている歌です。世間では、間人皇后が愛したのは中大兄皇子だと云われています。

そうでしょうか。

であれば、大スキャンダルで中大兄皇子は極位には着けません。

わたしは、皇后の愛した相手は兄ではないと思います。

中大兄はそんな危ない橋は渡らない、用意周到な計算高い人で、あの藤原鎌足が見込んだ男です。鎌足は孝徳帝から中大兄皇子に乗り換えたのですから。

間人皇后の相手は中大兄皇子ではありえません。

大后(おほきさき)は、後宮中宮トップ地位にあ

その大后が仕えていた者を引き連れて、(さい)明皇太后(めいこうたいごう)難波宮内裏(だいり)ガランしょう。のお引越ん。孝徳帝絶望し、国位たい山崎(やまさき)山城(やましろ)乙訓(おとくに)山崎(やまさき)郷)す.

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白雉年(651)、難波宮はその異様なまでの大きさで人々の前に顕れていました。この年、孝徳天皇は新宮に遷り、難波(なにわの)長柄(ながらの)豊崎宮(とよさきのみや)(なづ)けました。難波は、大変ったしょうね。

大化改新(645)(みことのり)により新体制の政治が始まり、人々は期待っていしょう大スキャンダルってた。

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(この大極殿の北に内裏がありました)


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by tizudesiru | 2017-01-04 12:24 | 189間人皇后の愛と悲劇 | Comments(0)

189万葉集に隠された間人皇后の愛と悲劇

189間人皇后の愛と悲劇


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万葉集・とりかえばや物語(1)

万葉集の巻二は不思議な始まり方をしています。

(いわの)(ひめ)皇后(仁徳天皇の皇后)の歌で始まるのですが、これが本当に磐姫皇后の歌だとすると万葉集中で最古の歌になります

万葉集・巻二の冒頭歌は誰の歌なのか

   (いわの)(ひめ)皇后(おほきさき)、天皇を(しの)いて作らす歌四首

85 君が行き()(なが)くなりぬ 山たづね迎えか行かむ 待ちにか待たむ

   右一首は、山上憶良(やまのうへのおくらの)(おみ)類聚歌(るいじゅうか)(りん)()

   磐姫皇后が天皇を想って御作りになった歌四首

あのかたがお出かけになってからずいぶん日が経ちました。山に分け入りあの方をお迎えに行きましょうか。それとも、このまま待って待ち続けましょうか。(山上憶良臣の類聚歌林に掲載あり)


磐姫皇后が思っているのは、仁徳天皇です。仁徳天皇が出かけたまま帰らないというのです。天皇が他の女性のところに出かけているので嫉妬しているというのでしょうか。それにしても長い不在なのです。


86 
かくばかり恋つつあらずは高山の磐根し巻て死なましものを

これほどまでにあの方を恋しがっているよりは、あの方をお迎えに行って高山の岩を枕にいっそ死んでしまったほうがいい


87 
()りつつも君をば待たむ(うち)(なび)くあが黒髪に霜の置くまで

ずっとこのままあの方を待ち続けよう。打ち靡くようなわたしの黒髪に霜が降りたように白髪になってしまう時までも。


88 
秋の田の穂の()()らふ朝霞(あさかすみ)いつ()(かた)()が恋やまむ

秋の田の稲の穂の上に立ち込める朝霧がいつの間にか消えて行くように、わたしの恋も何時かどこかに消えて止むのだろうか。

   或本の歌に曰く


89 
居あかして君をば待たむ ぬばたまの吾が黒髪に霜はふるとも

   右一首、古歌集中に出ず

ずっとこのまま居てあの方を待っていましょうか。ぬばたまのように黒い私の髪に霜が降ったように白髪になるとしても。


85~88は連作になっています。89は別に「古歌集」から付け加えた歌です。

あの方が出かけて長く帰らないので、山に踏み入って迎えに行きたいが。

・いっそ険しく高い山の岩を枕に死にたいくらいあの方が恋しい…

・このままあの方をまちつづけよう。髪が白くなるまで。

・私の恋は朝霧のように消えることがあるのだろうか。

・(いえいえ、このまますっと何年でも白髪になってもあの方を待っていよう)

万葉集では、いっそ死にたいとまで思い詰めている磐姫皇后一体何があったのでしょうか。

いくら待ってもあの方は帰って来ない。こんなに待っているのに。


しかし、書紀の仁徳紀では、磐姫皇后は待ちません
。夫が他の女性を召そうとしても許しません。

むしろ、出かけて長く帰って来なかったのは磐姫皇后の方です。

磐姫は紀伊国に三綱(みつな)(かしわ)を取りに行ったのですが、皇后の留守をいいことに仁徳天皇は八田皇女を召しいれます。


難波まで帰って来てそれを知った皇后は怒って川を上って山背に去り、再び難波に帰ることはありませんでした。
仁徳天皇は磐姫皇后に「帰ってほしい」と歌を送ります。あれほど愛し合ったではないかと歌で呼びかけるのですが、皇后は聞きませんでした。

待ち続けたのは仁徳天皇の方です。

万葉集と日本書紀では、立場が逆転しているのです。


万葉集は鎮魂のための歌集です
言霊(ことだま)により(たま)にふれたり、霊魂を慰めたり鎮めたりする歌を集めた歌集です。そこに嘘を並べても意味がありませんし、むしろ、悪霊を刺激してしまうでしょう。

古代人は言霊を畏れました。死者の名を出さないようにしたし、(いみな)(本名)を口に出すことさえ避けたのですから。


万葉集は言霊が信じられた時代の歌集なのです。そこに嘘を並べても畏れ多いのですから、歌そのものは信頼できるでしょう。
或皇后の歌は存在したでしょう。

もし、それが磐姫皇后でなかったとしたら……

「もし」が可能なら、非常に恐ろしい事件が浮かび上がってくるのです。
また、明日


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by tizudesiru | 2017-01-03 15:44 | 189間人皇后の愛と悲劇 | Comments(0)


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