カテゴリ:175草壁皇子の挽歌( 2 )

175草壁皇子の挽歌・2

175草壁皇子の挽歌・2

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この歌の大意は、次のようになります。

天と地が分かれた初めの時、久かたの天の河原に、八百万の神々が集まられて、その集まりの中で話合われた時に、天照らす日女(ひるめ)命は天を治めることになり
また、葦原の水穂の国を天と地の依りあう極みまでお治めになる神の命を、天雲の幾重にも重なった雲をかき分けて、神々がお下しになった。
その高い天から照らすように日の皇子が、飛鳥の浄の宮に神のようにおいでになったのに、この国は天皇のご統治になる国であると、自ら天の原の岩戸を開けて、現世から天界に神上がりされてしまわれた。

もし、我が大王である皇子尊が天の下を統治なさっていたら、春の花のように素晴らしく、満月のように欠けることなく、世の中のあらゆる地域の人は大船に乗ったようにすっかり安心して、天からの雨を空を仰ぐように待っていたのに、どのように思われたのであろうか、
何のゆかりもない真弓の岡に殯宮を高々と建てられ、
(あさ)(ごと)仰せもない、そんな日が長く重なり続いてしまった。そのために、皇子の宮人はこれからどうしていいか分からないのである。


長歌の内容を、次のように読むことができます。二種類考えました。

その(1)

①八百万の神が集まって決めたのは、天を治めるのは天照大神(神代の話)

②葦原の水穂国を治めるために天から下りて来たのは、神の命

日の皇子(草壁)はこの国は天皇が統治なさる国だと神上がりされた

④もし、皇子尊(草壁)が統治されていたら皆よろこんだろうに

(もがり)長くな、皇子(草壁)の宮人はこの先どうしていいか分からない

と、五つの内容で長歌は構成されています。


その(2)
大方の現代語訳は、日の皇子を天武帝としています。


①大昔、神々が集まって天照大神に天を治めさせ(神代の話)

➁葦原中津国を治めるために神の命として天より下されたのが(天武)

③浄の宮に統治された日の皇子(天武)は、天皇が統治される国と神上がりされた 天武帝が自ら神上がりした?

④もし、皇子尊(草壁)が統治されていたら、世の中の人も喜んだろうに

⑤殯の日が多く長くなると、皇子の宮人の不安も大きくなっていく


上(1)下(2)のどちらの現代語訳が人麻呂の歌に近い内容なのか、わたしには解けません。「持統帝と草壁皇子の歌のなぞ」誰か読み解いてください。


長歌に続くのは、反歌二首(反歌とは、長歌と同じ内容を繰り返す短歌のこと)

168 久かたの(あめ)見るごとく仰ぎ見し 皇子の御門(みかど)の荒れまく惜しも

遥かなる天空を見るように仰ぎ見た皇子の宮殿が荒れてしまうと思うとたまらなく寂しい


169 茜さす日は照らせれど 
(ぬば)(たま)の夜渡る月の(かく)らく惜しも


太陽は赤々と照り輝いているのに、真っ暗な夜を渡っていく月が隠れるように、お隠れになってしまったことが悲しくてたまらない

 或本の歌一首

170 島の宮まがりの池の(はな)ち鳥 人目に(こひ)て 池に(かづ)かず


皇子がお住まいになった島の宮の池の放ち鳥も、人の目が恋しいのか、池に潜ることもなく、池に浮かんでいる。皇子がいらっしゃらないからだろう。



草壁皇子こそが、天の神が決めた統治者である。せっかく神が天下りさせられたのに、冥界に上ってしまわれた。残念でたまらない。


と、柿本朝臣人麻呂の詠んだ挽歌からは読めるのです。


人麻呂の歌を見る限り「高市皇子や大津皇子は、天武天皇の皇位継承者としては選ばれていない」ということでしょうか。


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by tizudesiru | 2016-12-09 21:21 | 175草壁皇子の挽歌 | Trackback | Comments(0)

175草壁皇子の挽歌

175・柿本人麻呂が詠んだ草壁皇子の挽歌

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壬申の乱後の天武朝で、謀反事件が次々と起こりました


壬申の乱
とは何だったのか。

この壬申の乱が天智朝と天武朝の間に大きく傷を残し、その亀裂に入り込んだ藤原氏が様々な策を講じて律令政治を掌握し、藤原氏族の横暴につながっていくと思うのですが…


壬申の乱そのものが謀反事件だった
(大友皇子が先に兵をあげたのではありません)のですが、これが天武朝の王子が次々に命を絶たれていくという結果に導いた大きな要因だと思うのです。万葉集を読むかぎり。

さて、7世紀の天武朝の謀反事件で、忘れてはならない事件がありました。

朱鳥元年の大津皇子謀反事件です。ここで、大津皇子が死を賜ったことが、結果的に天武朝の滅亡へと展開していくのですからね。

そして、大津皇子の死後三年、皇太子草壁皇子が薨去します。即位せず、皇太子のままでしたが。その死の顛末は何も語られていません。

人麻呂は挽歌を献じました。

草壁皇子こそが皇統を伝えるべき唯一の存在だったと、声を大にして歌い上げているのです。  


皇太子草壁皇子の挽歌


日並皇子尊の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首幷短歌


天地の初めの時の 久かたの天の河原に 
八百万(やおよろず) 千万(ちよろず)神の (かむ)(つど)い 
集いいまして 神はかり はかりし時に 天照らす 
日女(ひるめ)の命 天をば 知らしめせと 葦原の水穂の国を 天地の 依りあひの極み 知らしめす 神の尊を 天雲の八重かき分けて 神下し いませ(まつ)りし 高照らす 日の皇子は 飛ぶ鳥の (きよみ)の宮に 神ながら 太しきまして 天皇(すめろき)の しきます国と 天の原 岩門(いはと)を開き 神上がり 上がりいましぬ わご大王 皇子の命の 天の
下 知らしめしせば 春花の 貴くあらむと 望月の たたはしけむと 天の下 四方の人の 大船の 思いたのみて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに おもほしめせか つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太しきいまし みあらかを 高知りまして あさことに 御言(みこと)はさず 日月の まねくなりぬる そこ故に 皇子の宮人 行方知らずも

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ここには、母の思いが切々と語られています。


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by tizudesiru | 2016-12-03 14:12 | 175草壁皇子の挽歌 | Trackback | Comments(0)


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232岩戸山古墳の歴史資料館
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240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
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243 柿本人麻呂と玉津島
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247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
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254新薬師寺・光明子の下心
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257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
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259王権と高市皇子の苦悩
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大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
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263天智天皇は物部系の皇統か
264柿本人麻呂と持統天皇
265消された饒速日の王権
266大宰府・宝満・沖ノ島
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272平群を詠んんだ倭建命
273大型甕棺の時代
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラ
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
284明日香川原寺の万葉歌の謎
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂は知っていた!
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?

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