カテゴリ:174高市皇子の死の真相( 2 )

175高市皇子の薨去と謀反事件

175・高市皇子の薨去と謀反事件


高松塚古墳が発掘された時、その埋葬の様子が問題になりました。


しかし、石室は狭いのですが、壁画があり、
それが大きな話題となったので、その為に他の事実が目立たなくなってしまいました。

当時、被葬者は「何か罰を受けるような、事件に巻き込まれた人」であるとされていました。

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わたしの記憶が確かであれば、遺体の様相が問題だったと思います。


頭蓋骨がなかった…首の骨は有ったので斬首ではない
と。この話題はいつの間にか消えたようですが、問題が解決されたのではありません。

埋葬当時から頭蓋骨が抜き取られていた(小さな骨、甲状軟骨・舌骨などは残る)? 筋骨の発育のいい壮年男性。7世紀末に死亡。

梅原氏は「人骨に頭蓋骨がない・鞘のみで、大刀の刀身が抜かれている・日月像と玄武の顔が削られていた」これは、呪いの封印で、被葬者のヨミガエリを阻止したのだという。

ですから、軽皇子(文武帝)の立太子に異議を申し立てた弓削皇子が被葬者と、梅原氏は主張されました。高市皇子だと言ったのは原田大六氏だけです。


わたしは、ずっと草壁皇子だと思っていました。それは、治田神社(岡宮跡・草壁皇子が育った)と、高松塚石室と、岡宮天皇陵が直線で結ばれるからでした。

所縁の宮と改葬前の墓とを結び、尚かつ耳成山の真南に位置するのは、草壁皇子の墓以外には考えられない
と思っていました。数年前に、ブログにもそう書きました。

しかし、出土した歯の鑑定が壮年男性となったので考え直したのです。

では、「後皇子尊」と尊称で呼ばれた高市皇子以外にないと結論しました。

a0237545_09562667.png

高市皇子ならヨミガエリを阻止された(天武朝の皇統が続くことを阻止した)ことは十分考えられます。

だからこそ、耳成山と高松塚古墳の間に文武陵を築造(改葬)したのです。そして、岡宮天皇陵(草壁皇子の陵)も束明神古墳に改葬した、と考えます。


本当に、高市皇子のヨミガエリは阻止されたのか?
それは何故か?
だからこそ、高市皇子の死は再検証しなければなりません。


謀反事件の共通点

①有間皇子の場合

658年 中大兄皇子の息子、建王没(5月)

半年後に、有間子に謀反の疑い(11月)有間皇子没


わたしが幾度も紹介したのは、有間皇子が有力な皇位継承者であったことです。有間皇子の存在が邪魔だったのは、鎌足や中大兄皇子側でした。
蘇我系女子(造子媛)が生んだ建王の死は、中大兄皇子サイドには、後継者を亡くしたことになった。大友皇子は後継者とはなれなかったから、中大兄は「不改常典」の法を考え、皇位継承の決め事を造ったと、展開していきます。

➁高市皇子の場合

太政大臣という最高位についていた。文武天皇の元服が近くなった。高市皇子にも王子がいて、有力な後継者だった。

696年 高市皇子没(7月)

半年後に、697年 軽皇子立太子(2月)、

半年後に、軽皇子即位(8月)


軽皇子の立太子と即位が滞りなく行われるには、高市皇子の存在が障害になっていた。次の段階に進むには、喪が終わる半年の時間が最低必要だった。文武天皇の15歳即位に合わせて、高市皇子の死は、すごく計画的に練られた事件だった、と言えるでしょう。

③氷高内親王の即位の場合? なぜ首皇子は即位できなかったか?

714年 首皇太子元服(14歳)*次の年の即位を考えていた

715年 長皇子(6月)穂積皇子(7月)志貴皇子(8月)没

 氷高内親王即位(9月)*元明天皇の配慮か


独身だった氷高皇女(元正天皇)には、身分が高すぎて嫁ぎ先がなかった。藤原氏としては、皇位継承者を拡散するつもりはなかったので、氷高皇女を結婚させなかったのでは…。
藤原氏としては、首皇子(文武天皇の子・聖武天皇)を元服させ、即位準備は十分に整っていたが元明天皇は娘の氷高皇女を即位させた。それは何故か?
元明天皇は、草壁皇子の妃です。夫の決意(自死)を十分に承知していたとしか思えません。皇統は長屋王に受け継がれてもいいと……

④長屋王の場合
妃は吉備内親王(文武天皇・元正天皇の妹)で後継の男子あり

727年 基王(母・光明子)生まれてひと月で立太子

728年 基皇太子一歳で没(9月)

半年後に、729年 長屋王、謀反の密告で自刃(2月)

聖武天皇と光明子の間に生まれた基王は、生後すぐに立太子されたが、一歳ほどで死亡。すると、皇位継承者として一番近かった長屋王一家を全滅させる謀略を、藤原氏は取ったのだった。


謀反事件の共通点

謀反事件は、有力な皇位継承者が死亡した時に起こる。
次の継承者とおぼしき人物が抹殺される

と考えられるのですが、

更に、「藤原氏がここまでのことがやれたのは何故か

なぜ、高市皇子は封じ込められなければならなっかったのか
をはっきりさせねばなりません。


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by tizudesiru | 2016-12-02 10:25 | 174高市皇子の死の真相 | Comments(0)

174高市皇子の死の真相・1

174高市皇子とは何者か


万葉集の謎の一つに「高市皇子の挽歌」は何故あれほど長いのか」という謎というか、疑問がありました。


持統帝が愛した草壁皇子より弔いの歌が長いのです。

もちろん、天武帝の長男である太政大臣(高市)の葬儀の歌です。長いのは当然かも知れませんが、皇太子より2倍以上長いのは誰が見ても不思議です。

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しかし、よく読み直してみると、先に紹介した通り(「高松塚古墳の被葬者」で読んだ通り)、多くの詞が使われているのは、


壬申の乱
(夏の戦を冬の厳しい戦いとして表現されていますが)と


天武天皇の意志と功績
、其の命を受けた皇子、そして、


「結う花の栄ゆる時に」お元気で今も盛りの時に、「皇子の御門を神宮に装い」皇子自身の御殿を霊殿に飾ったこと。


高市皇子の棺を挽き、神として城上の宮に祀ったということ、です。

 

冷静に読むと、高市皇子の権力者としての姿は見えにくいですね。

人麻呂は「時の最高権力者に敬意」を払ったけれど、その真の姿を現さなかった…


では、高市皇子の本当の姿は読めないのでしょうか。

高市皇子の挽歌は、長歌と短歌からなっています。長歌は紹介しましたから、短歌を見てみましょう。


短歌二首


200 久かたの 
(あめ)() ゆえ 日月


地上ではなく天上世界をお治めになることになった皇子ゆえに、残された者は日月が立つのも分からないほど嘆き皇子を慕い続けている


201 
埴安(はにやす)  (こもり)() 舎人(とねり)(まど)


埴安の池の堤に囲まれた出口のない隠れ沼のように、水の行き先が分からないように、舎人たちはただ迷い嘆くだけである


  或書の反歌一首


202 
哭沢(なきさわ)の 神社(もり)三輪(みわ)須江(すえ) いも 我が(おほきみ) 

 右一首は、類聚歌林に檜隈女王が泣沢(なきさわ)神社


哭き沢の神社に神祭りの酒の甕を据えて、皇子の蘇生をお祈りしたけれど、その甲斐もなく、とうとう我が王は天上をお治めになることになってしまった。なんということだろう。


高市皇子は何故死なねばならなかったのでしょうか。
上記の短歌三首の内の二首は人麻呂作です。人麻呂は、天武朝の皇子に対して、その立場や位置を的確な言葉で表現しています。

「高市皇子は地上を治めるのではなく天上をお治めになられた」
元来『地上を治める人だった❓』けれど、天上を治めることに成った…と、人麻呂は表現しています。
長歌の詞でも『わご大王の天の下申し給えば』とは、高市皇子が天下の政治を執り行っていた、と読めます。
高市皇子は、太政大臣以上の立場だったのでしょうか。

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それで、気になることがあります。大化改新後の謀反事件には、ある共通点があるのです

その事を考えてみたいと思います。


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by tizudesiru | 2016-12-01 12:03 | 174高市皇子の死の真相 | Comments(0)


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