カテゴリ:144有間皇子事件の目撃者( 1 )

144・有間皇子事件の目撃者

有間皇子事件の目撃者
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この理不尽な事件を目撃したのは額田王中皇命
二人は紀伊温泉に来ていました。額田王は斉明天皇の行幸に従って、間人皇后(中皇命)は有間皇子に付き添って。
二人の歌が万葉集に残されています。
まず、「紀伊温泉に幸す時、額田王の作れる歌」です。
莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾が瀬子が い立たせりけむ いつかしが本
莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣には、読みの定説がありません。
ゆふつきの あふきてとひし
ゆふつきし おほひなせそくも
きのくにの やまこえてゆけ
みもろの やまみつつゆけ
まつちやま みつつこそゆけ
さかどりの おほふなあさゆき
ふけひのうらに しつめにたつ
しづまりし かみななりそね
みよしのの やまみつつゆけ
ゆふつきの かげふみてたつ
しづまりし うらなみさわく
どれもピタリと、意味と読みが合致せず、定説がないのです。云うに言えない心のうちを意味不明の漢字に託して、額田王は読んだのでしょう。
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莫・日暮れ・広い大きい・寂しい→計り知れない寂しさの中
囂・かまびすしい・うるさい、やかましい→うるさく騒ぐ人や
圓・まどい・おだやか→穏やかな人も
隣・となり、集落に家がある→集まって
之・漢文に用いられる日本独特の終助詞・強めの助詞
大相・大きな会見→尋問がおこなわれた
七・一の中からわずかな変化が斜めに芽を出すこと→些細な事で
兄・あに・二つのものを比べて、その中ですぐれたほう→年上の人が。
爪.つめ、爪の先でつまむ→あの方は小さな望みを以って
謁・目上の者に申し上げる→潔白を陳べた
氣・目に見えない力→あの方は凛としておられた
漢字だけで考えると上記のようになります。

わが瀬子とは、有間皇子のことだとしても良い(当の有間皇子を擬する道がありそうである)と、万葉集釋注で伊藤博は書いています。事件は斉明天皇の紀伊國行幸の時に起こったのですから、額田王が知らずに過ごすことはないでしょう。
蘇我赤兄が奏上してきた「有間皇子の謀反」、額田王は斉明天皇の傍近くに居たと思われますから、事の重大さと急変を感じないはずは有りません。「わが瀬子」とは、親しい男性に対する気持ちを込めた言葉です。額田王にとって、有間皇子はどのような存在だったのでしょうね。斉明天皇にとっては、実弟の孝徳天皇の皇子です。甥の姿を見て動揺されたことでしょう。
莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 わが背の君がお立ちになったであろう、この聖なる橿の木の根元よ(万葉集釋注)
「あの方は独り、大臣諸侯の前に連れ出され尋問を受けられた。あの方に掛けられた嫌疑はささやかなことであったが年上の方は詰め寄って…あの方はわずかな望みを以って申し開きをされたが、そのお姿は凛としていた。その場は許されたかに見えたのに、追っ手の手に掛かって、あの方は命を落とされたと聞いた。最後まで、命を奪うために縄がかけられた橿の樹の本に立たれたあの方の姿は毅然としていたという。ああ、私がこのことを忘れることがあろうか。あの方を忘れることはない。」と、私は読みたいと思います。
読めない部分にこそ、本音が隠れているのですね。
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次は、「中皇命、紀伊の温泉に往すの御歌」
君が代も我が代も知るや 岩代の岡の草根をいざ結びてな
わが背子は仮廬(かりいお)作らす 草(かや)なくは 小松が下の草を刈らさね
我がほりし野島は見せつ 底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ
中皇命は間人皇后とされ、『有間皇子がこの温泉に護送された時、間人皇后がつきそって行く途中での歌とされる説がある(田中卓)』と岩波の「古典文学大系」に書かれています。私も、そう思います。
間人皇后と兄の中大兄皇子は、同母の兄妹という関係を越えて恋仲だったという説もあります。
舒明帝の娘だった間人皇女が、孝徳天皇の皇后に立てられた時、二人には年の差がありました。それで、孝徳帝は大事にしていたのですが、中大兄皇子が母の斉明皇太后と妹の間人皇后を連れて明日香に帰ってしまいます。孝徳帝との間に意見の違いがあったのでしょう。更に、中大兄皇子は、ずっと皇太子のままで二十年以上も即位していません。それは、妹との道ならぬ関係を断つことができなかったからだというのです。果たして、そうでしょうか。私は、別の意見を持っていますが、それは後で。
貴方の寿命もわたしの寿命も知っているであろうか、岩代の岡のしっかり根を下ろした松の枝を、さあ結びましょう。
我が背子が仮廬を作っていらっしゃる。カヤがないのなら、子松の下のカヤをお刈りなさいませ。
わたしが見たいと思っていた野島は見せてくれた。でも、阿胡根の浦の玉は拾わなかった。玉こそ拾いたかったのに。
此処に、中皇命の歌が三首もあり、それも有間皇子の歌と対応するのです。
 岩代の濱松が枝を引き結び 真幸くあらばまた還り見む
 



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by tizudesiru | 2016-11-01 16:47 | 144・有間皇子事件の目撃者 | Comments(0)


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