カテゴリ:150草壁皇子を偲ぶ阿閇皇女( 1 )

150草壁皇子を偲ぶ阿閇皇女の歌

阿閉皇女が草壁皇子を偲ぶ歌

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紀伊に旅して印象に残った白崎。ここで「白崎は幸くありまて」の万葉歌碑を見て、思わず涙しました。この美しい風景には様々な悲話が重なるのですから。


紀伊國の旅はなんといっても持統天皇の大宝元年の「紀伊國行幸」の時の歌群が内容的にも圧巻です。持統天皇の紀伊国行幸は数度あるようですが、二度は万葉集で誰にも確認できます。


その一度目は、朱鳥4年(690)持統帝が草壁皇子を亡くした翌年です。
草壁皇子の妃の阿閇皇女を伴っての行幸です。阿閇皇女は夫を失って失意のうちにありました。持統帝はこのとき息子の嫁を元気づけようとしていたのです。皇女には草壁皇子の遺児が三人いて、
中でも跡取りの軽皇子の成長を待って皇位継承を成さねばならなかったのです。その為に堅い決心を促すために、旅にさそった…それが「紀伊國行幸」です。そこで持統帝が見せたもの、それには重大な意味がありました。

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阿閇皇女は愛情深い優しい人でありました。

阿閉皇女は天智天皇と蘇我石川麿の娘の姪郎女の娘です。持統天皇の母も蘇我石川麿の娘の越智娘となっていますから、持統帝とって、息子の嫁は妹であり姪であり非常に近い間柄です。


「勢能山を越ゆる時の阿閇皇女の作らす歌」巻一の35

 
これやこの倭にしては我が恋ふる紀伊路にありという 名に負う背ノ山

この歌は、単なる土地褒めの歌でしょうか。阿閇皇女は夫の突然の死によって深く傷ついていました。この紀伊國行幸は物見遊山というより、この先どのように生きるのか、何をしなければならないのかを義母から諭された旅であったのです。

「これがそうですか。お母さま、いえ、陛下から常々お聞きしていた勢能山は。紀伊路の紀ノ川(吉野川)を挟んで背ノ山と妹山が向かい合っています。わたくしは織姫と彦星のように離れていても心から慕いあうお話を聞いて、ぜひとも背ノ山を見たいと倭から恋焦がれておりました。今日、とうとう背ノ山を見ました。お別れした我が背の君を思い出させる背ノ山。わたくしは、これから織姫のように我が背の君との逢瀬を待ち続けましょう、ずっと。」

背の山を見た皇女は草壁皇子を思い出して、十分に涙を流したことでしょう。皇女は夫を愛していたし、三人の子どもたちを心から愛しているのです。

やがて、始めて背ノ山を見て涙を流した阿閇皇女が連れていかれたのは、
有間皇子が浜松が枝を結んだ岩代だったのです。その地を見せるのが持統帝の目的でしたから。
朱鳥四年九月の行幸の目的は、岩代の結松に手向けすることでした。この年の一月に、持統天皇は即位していました。

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阿閇皇女の『これやこの』の歌の前にあるのは、川嶋皇子の「紀伊国に幸す時、川嶋皇子の作らす歌」です。川嶋皇子は翌年に薨去していますから、死の一年前の歌です。


白波の 浜松が枝の手向け草 幾代までにか年の経ぬらむ



明らかに有間皇子の「岩代の浜松が枝を」の歌を踏まえた歌です。有間皇子の刑死の年(658)から朱鳥四年は三十年余りたっていますが、祈りをささげた結松は残っていたというのでしょうか。

「白波が打ち寄せる岩代の浜辺の結松は、あの有間皇子が祈りを込めて結ばれた手向け草だった。皇子は無事を祈られたのに帰路で追っ手により亡くなってしまった、無実だったのに。あの有間皇子事件からどのくらい年月が経ったというのだろうか。何年も年月が流れたが、結松を見ると胸が痛む。

川嶋皇子は親友だった大津皇子の謀反を密告した人です。
「吉野の盟約」にも参加した、天智天皇の皇子で、姉の大江皇女は天武天皇の妃になり、長皇子と弓削皇子を生んでいます。
川嶋皇子が有間皇子を悼み、結松を読むことは意味のあることでした。

川嶋皇子は、大津皇子の謀反を許さなかったが、有間皇子は無実だったので、

その運命の過酷さを悼み、皇子を偲んでいる…となるのです。

皇子川嶋に「結松」を読ませたい人は、誰か? もちろん、此の行幸の主人でしょう。

朱鳥四年の紀伊国行幸で詠まれたと思われる歌がまだありますが、それは、また今度。
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また後で



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by tizudesiru | 2016-11-06 15:48 | 150草壁皇子を偲ぶ阿閇皇女 | Comments(0)


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240藤原鎌足の墓
239藤原鎌足の墓
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