カテゴリ:141熊本大震災( 2 )

西原村報告2

5月8日熊本地震から三週間以上経った西原村を訪ねた 
緑に埋まる萌の里
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しかし、道路は通交止めで、車も人もほとんど見当たりません。写真奥に小峰山の赤茶けた崩落した崖が少し見えています。二日続けて雨でした。犬の散歩で橋の近くを通る時、始めて遠くから現場を見ました。
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雨では電気のない実家での片づけが暗くてできないので、自宅に戻ることにしました。その時、通りすがりに撮った写真です。橋と道の段差はは少し抑えてありましたが、基本的には何もできてないようです。青のシートは大切畑ダムの決壊を防ぐためのものでしょうか。このダムは地域の農業を支えていますが、今後も使うかどうかも含めて検討しているそうです。
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高遊原の農業にとって大事な水ですが、ダムの状況は深刻です。このダムの横を布田川断層が通っています。橋が架かった時から心配していたことですが、天災は避けられないのでしょうね。地震の
予感は当たりました
ちょうど一年前、実家の井戸水は真っ黒になったのです。その井戸水は100mの地下まで掘り下げ電気でくみ上げているものです。水は無菌水と認定された飲料水でした。それが、朝起きて蛇口をひねると、真っ黒だったのです。私は妹たちに向かって、「起きなさい!地震が来る! 水が異常に濁っている。早く避難して!」と騒ぎました。彼らも、トイレの水や洗面所まで、黒い細砂粒に変化していたので、すぐに部屋から出てきました。それから、私は熊本の気象庁に連絡したと思います。しかし、「地震に関しての情報は福岡に言ってくれ」と指示され、福岡の気象庁に電話しました。答えは「地震に関する情報では、井戸水は扱っていない」と、切られました。井戸とポンプはポンプ会社の人に来てもらって修理しましたが、大変な負担となりました。気象庁の皆さん、地下水と地震の結びつきはないのでしょうか。
地震雲ってありますか?
2015年の12月2日のことでした。犬の散歩でいつものように牧場に行くと、立野の谷を一本の雲が流れていました。白川に霧がかかっているのだとも思いましたが、他の谷には雲がかかっていないので、不思議に思ってカメラを取りに戻りました。立野の断層の活動が電磁波を起こして雲を湧かせたものかとも思ったからです。
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なんとなくピンクがかった雲のように思えますが、朝の光のせいでしょうか。そうしたら、実家の片づけに来た今回も、同じような雲を見ました。その雲は布田川断層の上にかかっているようにも思えました。気のせいでしょうか。
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驚いて後ろの俵山を振り返りましたが、天雲がのしかかっているだけでした。
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地震は予知が難しいとされます。確かにそうでしょう。日ごろから考えておかなければなりませんね。その時、何をするかを。日ごろの暮らしがそのまま見える村被災地は道路が乱れ、家や塀が倒壊し、所狭しとゴミが溢れていますが、西原村は違います。私は実家に何度も片づけに通いましたが、その時見た袴野の集落は石垣こそ崩れ、家は傾いていましたし、屋根にシートが被せられていましたが、少しもゴミが見当たりません。今度も、崩れた石垣に花が咲き乱れている風景を見ました。それは、むしろ美しくさえありました。日ごろから綺麗に片づけられた地域ですから、被災してもゴミを家の周囲に置くなどしないのです。本震の後も、崩れた石垣の横を通る細い村道にそれぞれの車を縦列駐車し、みんなで炊き出しをして一晩そこで過ごしたのだそうです。「ここで死ぬなら本望」と、老人たちはしっかり話していたそうです。妹はその光景に打たれ、涙が出たと言いました。「こんな美しい村があるでしょうか」と、私たちは日ごろから話していたのですが、豊かな湧水と緑と清風に包まれて生きて来た人達だから、こんな暮らしが出きるし、彼らが育てるから野菜も全ておいしいのだと、私と妹たちは再び確認することができたのです。これは、外交辞令ではなく自然な気持ちです
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それに、妹の知り合いの息子さん達が、東京や三重からボランティアに来てくれて、力仕事をしてくれました。こんな若者がいるのですね。ありがたいです。 
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中の妹の自宅は東京ですが、被災した末妹を置いては返れないと、今も西原に留まっています。「こんなに美しい被災地があるだろうか」と感動しきりの妹も、西原の人のようにはいかなくて、被災してぐしゃぐしゃの自分のセカンドハウスを上手に片づけてはいないようです。全く、身についたものとは恐ろしいものです。反省しきりの毎日です。
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by tizudesiru | 2016-05-11 10:40 | 141熊本大震災 | Trackback | Comments(0)

西原村報告

西原村報告
布田川断層を垣間見るやっと熊本に入りました。
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肥後大津から阿蘇方面を見ると、大きな外輪山の切れ目が見えます。カルデラの割れ目で、『蹴破り伝説』のある谷です。北向山と立野の間の谷を白川が流れています。
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白川の岸から俵山を眺めました。山の一部が地震で崩れているようです。雨が降ったら危険でしょうね。
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壊れた道路ですが、まだまだ大事な動脈として使えます。
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布田川断層のすぐ横を走る道路は壊れて、交通止めになっていています。この夜は何とか過ごしましたが、余震で夜中に目が覚めて朝まで眠れませんでした。
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断層の上の家屋は全壊です。このような壊れた石垣の横をわずかに車が通れるように地域の人が道を整備していました。次の日は雨で、雨の重みで実家の天井が落ちました。この日の夜は、避難勧告が出て避難所で車中泊となり、仕方なく自宅に戻りました。高速は混んでいましたが、朝早くだったので渋滞はありませんでした。  

 
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by tizudesiru | 2016-04-28 19:12 | 141熊本大震災 | Trackback | Comments(0)


地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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全体
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地図のたのしみ
1大宰府の位置
2竹原古墳
3間夫という山
4筥崎八幡宮
5弥生王墓・吉武高木・須玖岡本
6平原王墓ラインから分かること
7八女丘陵の古墳のライン
8高良玉垂命の目的
9渡神山から英彦山へ
10雷山
11羽白熊鷲と脊振山
12羽白熊鷲と古処山
13九千部山と香椎宮
14国守りの山は何処に?
15神籠石が教えてくれる古代
16六世紀の都
17神功皇后伝説の空白地
18太宰府と大保と大分
19畿内に近い豪族たち
20大倭とは何か
21七世紀の政変と天智天皇
22天智天皇の十年間
23日本書紀の中の日本
24唐書から見た倭国と日本国
25/26文林朗裴清が見た倭王
27倭の五王の行方
28倭国の空白
29筑紫城の最後
30山岳の名と歴史や文化
31国内最古の暦が刻まれた太刀
32阿蘇山と高良・高千穂
33筑紫舞(宮地嶽神社)
34志賀海神社の山ほめ祭
35栂尾神楽(宮崎県椎葉)
36神籠石から分かること(1)
37神籠石から分かること(2)
38神籠石からわかること(3)
39神籠石から分かること(4)
40神籠石から分かること(5)
41神籠石から分かること(6)
42愛宕山が見た早良国の光芒
43古代の宮殿は何処に?(1)
44江田船山と筑紫君磐井
45筥崎宮から見た太宰府天満宮
46高千穂の峰から阿蘇へ
47雲仙が守った首長は、何処
48神籠石の謎解き
49宮地岳(阿志岐)古代山城
50醍醐天皇の都の守り
51十世紀の国守り
52淡路国伊弉諾神社
53空海の霊力
54出雲大社と熊野本宮大社
55大山古墳の謎
56天智天皇陵墓と天武天皇陵墓
57宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ
58石上神宮の視線
59続石上神宮の視線
60藤原京の守り
61高松塚古墳の被葬者
62石舞台古墳と藤原宮
63あおによし奈良の都は
64続・あおによし奈良の都は
65継体天皇陵墓のラインを読む
66崇俊天皇の真実とは
67石城山神籠石ライン
68式内社の偏りの意味
69最北の式内社・大物忌神社
70陸奥国の式内社
71尾張国の式内社
72紀伊国の式内社
73近江国の式内社
74但馬国の式内社の秘密??
75筥崎宮の「敵国降伏」その1
76筥崎宮の「敵国降伏」その2
77筥崎宮の「敵国降伏」その3
78筥崎宮の「敵国降伏」その4
79孝徳天皇の難波宮
80倭女王墓を教える香椎宮
81ブログのスタートに還る
82再度神籠石へ
83悲劇の好字
84船原3号墳の馬具
85飯盛山&こうやの宮
86奈良の長谷観音
87福岡の長谷観音
89古墳のライン
90筥崎宮百八回目の神事
91 薦神社の不思議
92薦神社の不思議2
93金富神社と鉾立山
94 金富神社と鉾立山 2
95 金富神社と鉾立山3
96宇佐神宮と北部九州
97宇佐神宮と北部九州・2
未分類
98北部九州のミステリー
99北部九州のミステリー2
101宇佐神宮と九州の神々
278西原村の旧石器・縄文・弥生の資料
289人麻呂が見た王朝の皇子達
256平城京と平安京
219法起寺式伽藍
149有間皇子を愛した間人皇后
102安心院の二女神社
103安心院の妻垣神社
104安心院の佐田神社
105大富神社と和気清磨と
106宮地嶽不動古墳
106宮地嶽古墳と石塚山古墳
107寄り道・邪馬台国
108ふたたび香椎宮
109倭国王の侵略
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111京都の守り・再び
112都を守る天皇陵
113神となった斉明天皇
114天武朝の都の守り
115こんにちは万葉集
116大王は神にしませば
117太宰府・宝満・沖ノ島
118石人山古墳と王塚古墳
119基山とは何か
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121博物館の『金印祭り』
122宮地嶽神社の筑紫舞
123寿命大塚古墳の被葬者
124宇佐神宮の呉橋を渡る
125「新・奴国展」博物館の諦め
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127倭国を滅ぼした?国
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129?国の墓制・巨石横穴墓
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131素材が語る古代Ⅱ
132箸墓は卑弥呼の墓ではない
133ホケノ山古墳
134邪馬台国シンポ・久留米
135阿蘇ピンク石の井寺古墳
136古代の土器焼成
137方保田東原遺跡の庄内式土器
138武士の祭祀線・徳川と足利
139大祖神社と志登神社に初詣
140猫大明神のネコとは
141熊本大震災
142光の道は祭祀線
143大汝小彦名の神こそは
144紀伊國に有間皇子の跡を訪ねて
145和歌山と九州の古墳
146有間皇子の墓は岩内1号墳か
147糸島高校博物館
148光の道は弥生時代から
150草壁皇子を偲ぶ阿閇皇女
151有間皇子を偲ぶ歌
152有間皇子の霊魂に別れの儀式
153有間皇子の終焉の地を訪ねた太上天皇
154 有間皇子は無実だった
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156人麻呂は女帝のために生きた
157持統帝の霊魂に再会した人麻呂
158草壁皇子の形見の地・阿騎野
159草壁皇子の薨去の事情
160大津皇子の流涕して作る御歌
161天武朝の女性たちの悲劇
163持統天皇の最後の願い
164持統天皇との約束・人麻呂ことあげ
144有間皇子事件の目撃者
165天武大地震(筑紫大地震)678年
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167持統帝の孫・文武天皇の仕事
168額田王は天智天皇を愛し続けた
169額田王の恋歌と素顔
170額田王が建立した粟原寺
171額田王の歌の紹介
172糸島の神社
173但馬皇女の恋歌
174高市皇子の死の真相
175草壁皇子の挽歌
176大化改新後の年表
177持統帝と天武帝の絆の深さ?
熊本地震・南阿蘇への道
178天武帝の霊魂は伊勢へ
179天武帝と持統帝の溝
180天智天皇と藤原鎌足
181藤原不比等とは何者か(1)
181藤原不比等とは何者か(2)
181藤原不比等とは何者か(3)
182鎮魂の歌集・初期万葉集
183元明天皇の愛と苦悩
184氷高内親王の孤独
185長屋王(高市皇子の長子)の悲劇
186 聖武天皇の不運と不幸
187難波宮を寿ぐ歌
188孝徳帝の難波宮を寿ぐ
189間人皇后の愛と悲劇
191間人皇后の難波宮脱出
192有間皇子と間人皇后の物語
192軽太郎女皇女の歌
193人麻呂編集の万葉集
194万葉集は倭国の歌
195聖武天皇と元正天皇の約束
196玄昉の墓は沈黙する
197光明子の苦悩と懺悔
198光明皇后の不幸と不運
199光明皇后の深い憂鬱
200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独
201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 古代山城・鞠智城
226古代山城・基肄城
227 古代山城・大野城
228古代山城に瓦があった
229 残された上岩田遺跡
231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の資料館
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
261隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵善寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた

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