カテゴリ:138武士の祭祀線・徳川と足利( 1 )

138武士の祭祀線・徳川氏と足利氏

徳川家康足利尊氏の夢?陰謀?武士の祭祀線
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 どなたも御存じのように、平安京は千年の都です。桓武天皇は都を怨霊から守るために平安京を設計されたそうです。その皇子の嵯峨天皇も空海に国家と都の守りを託しました。「空海の霊力」でもすでに紹介していますが、平安京は確かに神社と寺院で守られています。皇居は火災により移動していますから、途中で若干の修正はあったようです。水色のポイントは10世紀の始め、醍醐天皇の延喜式により名神大社として挙げられたいわゆる「延喜式内社」です。神となった祖先霊(陵墓)の力も借りて、都と御所は守られていたのです。
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では、鎌倉・室町と武士の時代になっても「都の守り」が機能していたとなれば、武士にとても由々しきことです。足利尊氏は室町に幕府を開きましたが、後醍醐天皇の菩提を弔うために「天龍寺」を建立したと伝わります。確かに、夢想国師の助言を受けて、国師を開山として創建された禅寺でしょう。しかし、その立地を見ると不思議な気分になります。
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方丈から見える庭は、夢想国師作の池泉回遊式庭園で嵐山を借景としていますが、そこを一本のラインが通っています。
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このラインは、都と天皇家を明治まで守り続けた東寺と、延喜式内社の間にあります。私なりにラインを読んで考えてみると、出雲大神宮と東寺の結びつきを断つという結果を導き出します。まさかと思われるかもしれないので、足利氏の二代将軍の庶子で、三代将軍となった足利義光が建立したという「金閣寺」を見てみましょう。
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上賀茂神社と松尾大社の間にきちんと入っています。義光は中国との外交権を手中にし、倭国王として君臨しようとしていたので、式内社の霊力を断ち切ろうとしたのでしょう。足利氏の夢でもあった政権掌握への密かな布石でしょうか。
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では、江戸幕府を開いた徳川家康も、京都と御所を縛ったのでしょうか。
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これは、2016年のNHKのテレビ番組をカメラで撮ったものです。久能山東照宮とと日光の東照宮が富士山を挟んでラインで結ばれるというもので、墓所が西の近畿に向いているというのは豊臣家を意識してのことだという展開の番組でした。グーグルで見ると次のようになりますが、富士山は山頂を通っていないし、京都も大阪も若干外れます。青のポイントは、日光と久能山の家康の墓所で、黄緑が富士山です。京都では二条城にラインをつないでいます。が、今一つ徳川氏の意図が見え難いですね。
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では、徳川氏は京都には興味を示さなかったのでしょうか。いいえ、そうではありませんでした。すでに何度も紹介している二条城のラインです。
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徳川氏が京都に築いた二条城は、下鴨神社と角宮(式内小社)のラインを断ち、御所の守りのラインを傷つけています。また、上賀茂神社と東寺のラインの中に入り込み、天智天皇陵と出雲大神宮の間にも割り込んでいます。足利氏と同じように、東寺・出雲大神宮・上賀茂神社の霊力を断とうとしているように見えます。つまり、武士の時代にも祭祀ラインを密かに利用したり、その霊力を遮ろうとする思想はあったということです。


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by tizudesiru | 2016-01-06 23:22 | 138武士の祭祀線・徳川と足利 | Comments(0)


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240藤原鎌足の墓
239藤原鎌足の墓
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