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10 雷山・雷山神社・千如寺・神籠石

10 雷山・雷山神社・千如寺・神籠石?  
(ア)雷山は曽増岐山
 雷山の頂上に登ったのは少ないが、見晴らしのいい事と、大きな岩があった事、二つの印象が残っている。昔の記憶だが、尾根続きに歩くコースだけでなく、雷山は何処も四季を通して素晴らしい。雷山も英彦山と同じように霊地である。中腹にある大悲王院千如寺の千手千眼観世音菩薩は、幾度拝観しても感動する。山全体が、明治になるまで真言密教の道場だった。インドの僧清賀上人が開山したと言われる大悲王院千如寺は、仏教公伝より前の成務天皇四八年の開創とも伝わる。
 「雷山千如寺縁起」には、風伯雨師の雷電神が一夜のうちに山を削り、岩を砕き、大伽藍を造顕したと、雷電寺の草創を伝える。雷山は、曽増岐(そそぎ)山と言われ、曽増岐神社の上宮、中宮、下宮があり、中宮は現在「雷神社」として残っている。以前は、雷神社横の中の坊にあった講堂に「千手千眼観世音菩薩」は安置されていた。
 下宮は「笠折権現」とも呼ばれた。神宮寺は聖武天皇の勅願を伝え、清賀上人が開山建立した寺であり、後に千如寺になった。雷山は幾度の興亡の中、『三百の僧坊』を数えた事もある。千如寺は、多数の僧坊の総称である。神仏習合の時代の終焉と共に、千手千眼観世音菩薩は大悲王院に移され、中の坊は解かれた。今では雷山は深い森に閉ざされているようである。明治の世にどれだけの仏と神が失われたことか。改めて、考えさせられる。失われる。世の中が変わるとは、そういう事なのだ。雷山が「そそぎやま」と呼ばれていたことすら、福岡市博物館の資料を見るまで知らなかった。名前が変わったのは、真言密教が入って来た事が原因だろうか。為政者が変わり、宗教が変われば、生活の仕方も土地の名すらも変わる。それが繰り返されて、おぼろげな記憶となり、怪しげな伝承となってしまうのだろう。そのわずかな片鱗から、はるかな過去が甦る事が出来たら、それは、なんと素晴らしいことだろう。途方もない思いが湧いて来た。
(イ)雷山神籠石 
 雷山には、目的不明、使途不明な神籠石がある。雷山北面の中腹、伊都国側の海抜四百から四百八十メートルの辺り、列石と土塁と水門、列石の外側に保護用の木柵の跡。雷山の場合も、列石は山頂を含まない。東側と西側の列石はすでに失われている。急な崖となっているところへ落ちてしまったようだ。高良大社の神籠石と同じく、天武天皇時代の地震(筑紫大地震)で壊れたらしいのである。
 神籠石の使途については、山城説、霊域説等いろいろあったようだが、最近では山城説が有力とか聞く。古墳の石室の石組みとの比較からして、神籠石の築造は時代を遡るという説も読んだが、古代の建造物の中でかなりの労力を要する神籠石は、山城意外に考えられないとも書いてあったと思う。
 山城とは、白村江敗戦後に作られた山城である。
 日本書紀に「天智天皇四年八月、達率億礼副留、達率四比福夫を筑紫国に遣わして、大野及び 基肄、二城を築かしむ」とある。達率とは、百済の冠位である。筑紫に百済の役人が来て、大野城と 基肄城を造った。防人と烽とを置き、水城を造ったのは、天智三年である。大和の高安城、讃岐の屋島城、対馬の金田城は、天智六年。この辺りで、他の神籠石(山城)も築造したのだろうか。それらは、大和を守る目的の為に造られたと、歴史で学習した。しかし、九州の歴史に詳しい人は、古代山城は大宰府を守るために築かれたと言う。そうかも知れない。北部九州の神籠石の数からして、大宰府を守るためかもしれない。そうすると、雷山神籠石は大宰府を守っているのだろうか。他の神籠石と何かつながりがあるのだろうか。
まず、霊域としての役目はどうだろう。雷山山頂などの経度を比べてみよう。
雷山山頂(東経130度13分24秒)
雷神社(中の坊・講堂)(東経130度13分27秒)
山頂近くの神社(東経130度13分24秒)
雷山神籠石(東経130度13分6秒)

 こうして見ると、神籠石は雷山の南北ライン上にはない。信仰とは結びついていないように思える。やはり、山城としての目的の為に築かれたのだろうか。
 では、雷山神籠石の東、大宰府方面に定規を当ててみよう。
 東にラインを伸ばすと、大宰府の南にある宮地岳に達する。近年、山頂西側に古代山城が発掘されたと聞く山である。この古代山城の発掘により、「神籠石は古代山城」と確定したのだ。試しに、緯度を出してみよう。
雷山神籠石(北緯33度29分38秒~49秒)
雷神社  (北緯33度29分31秒)
宮地岳山頂(北緯33度29分34秒)*西側に古代山城あり

 かなり興味をそそられる数字が出た。宮地岳神籠石は、発掘の結果古代山城と結論付けられたが、神籠石と言っても一つの塊ではなく、広い範囲の列石である。確かに数字は近いが、東西の関係として断定する事、安易な結論は避けたい。他の神籠石との関係はどうなっているか、もちろん興味の湧くところだが、まだ気になる古墳や神社が残されているので、そちらを先に考えたい。神籠石については後に書く予定である。
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by tizudesiru | 2011-09-21 13:17 | 10雷山 | Comments(0)


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